今年も開催!「教員のための博物館の日 2019」のお知らせ

7月 4日 木曜日

教員のための博物館の日2019チラシ表
当館では、今年も8月22日(木)に「教員のための博物館の日」を開催予定です。この講座は、学校の先生方に博物館に足を運んでいただき、博物館のことをもっと知っていただくものです。
対象は教職員の方、教員を目指す学生の方、社会教育施設職員の方です。本講座に参加ご希望の方は、所定の申込書に必要事項をご記入の上、当館学芸課宛てにFAXをお送りください。
なお、今年はれきハコを活用した実践講座(講師:鬼北町立泉小学校元校長)を予定しており、随時、内容は変更しています。また、講座を選んで受講することも可能です。
教員のための博物館の日2019チラシ裏

松山市制130周年!

6月 28日 金曜日

明治21(1888)年4月25日「市制」が公布され、内務省は全国39ヵ所を指定しました。これにより次々と市制が施行されましたが、松山市の市制施行は翌22年12月15日。今年は松山市制130周年にあたります。今回紹介する資料は旧市街地100町を中心に誕生した松山市の地図です。現在の市域とくらべると、松山城を中心にごく狭い範囲であったことがわかります。よく見ると、兵営、裁判所、警察署などは見えますが、明治21年10月28日外側(現松山市駅)~三津間に開通した伊予鉄道は描かれていません。そのため、この地図は「市制」が公布された明治21年4月25日から伊予鉄道が開通する10月28日までに描かれたものと思われます。
市制当時の松山市は戸数7,519戸、人口32,916人。「市制」の標準人口である25,000人を大きく超えていました。明治23(1890)年、30人の市会議員(任期6年)が選挙され、松山藩士族で伊予鉄道社長・県会議長の小林信近(1842~1918)が議長に選ばれました。「市制」によると、市長(任期6年)は市会が推薦した3名の内から内務大臣が天皇に上奏し、天皇の裁可を経て選任されました。松山市会は市長候補に小林信近・土屋正蒙(温泉・風早・和気・久米郡長)・木村利武を選びましたが、小林と土屋が固辞したため、市会は内務大臣山県有朋に対して木村が最適との意見を添えて申請し、天皇の裁可を得ました。木村(1850~1914)は松山藩士族で、市会議員に選出されるとともに松山52国立銀行取締役をつとめていました。
4月1日、湊町4丁目の円光寺を仮庁舎として市役所が開庁しました。職員は書記6人、属22人、使丁10人。市長の年俸は500円(明治27年の国家公務員高等官初任給50円)、議員は名誉職でした。翌年出淵町~南堀端の753坪を買い入れ、明治25年に新庁舎の竣工式が行われました。市と町村は色々な面で異なりましたが、監督官庁の違いもその一例です。市は第1次に府県知事、第2次に内務大臣が監督するのに対して、町村は第1次に郡長、第2次に府県知事が監督しました。実質的に市は郡と対等に見なされたのです。以後愛媛県では大正時代まで松山市が唯一の市制都市でした。

愛媛県松山市之図


城山周辺(拡大)

最後の宇和島空襲戦没者追悼平和祈念式行われる

5月 11日 土曜日

参加者


献花


追悼曲の合唱


献花された祈念碑


宇和島市が空襲を受けた5月10日にあわせ、和霊公園で第31回宇和島空襲戦没者追悼平和祈念式が行われました。式典は、「平和の鐘」の鐘打に始まり、追悼曲「平和の鐘の歌」が合唱されました。そして、宇和島空襲を記録する会代表の黒田美知子さんが挨拶され、参加者約110名が祈念碑に献花しました。祈念碑には終戦までの空襲で亡くなった272人の名前が刻まれています。
74年前の5月10日、宇和島市は1機のB29による空襲で115名が死亡しました。その後も7月13日(死者28名)と29日(同100名)に大きな空襲を受け、市街地の約7割を焼失しました。終戦までに278名が死亡しました。(死者数は『宇和島市誌』による)平成元年に建設された祈念碑には、故水野政子さん(当時記録する会代表)の尽力によるもので、97.8%の氏名が刻まれており、今では祈念碑自体が貴重な資料です。
戦後74年が経ち、戦争の悲惨さをどのように伝えるか、が大きな課題となっています。平成元年に始まった宇和島の祈念式も主催者の高齢化、参加遺族の減少(平成元年62名、今年5名)などから今年が最後となるそうです。祈念式の様子を撮影しながら、戦争体験者とともに生きる時間の短さを実感するとともに、聞き取り調査や戦時資料の調査を急ぎ、平和の大切さを学ぶ活動に活かしたいと思う一日でした。

新元号「令和」のポストカード

5月 1日 水曜日


「令和」の時代が始まりました。新元号お祝い記念。万葉集ポストカード、共通観覧券ご購入の方にプレゼントしています。

※新元号「令和」の出典『万葉集』巻五(愛媛県歴史文化博物館蔵)は5月31日まで常設展示室にて展示しています。
参考:4月1日のブログ「【速報】新元号「令和」の出典『万葉集』を展示します。」

佐田岬半島の裂織と絣木綿

4月 28日 日曜日

愛媛県佐田岬半島に伝わる裂織の上衣です。経(たて)糸は木綿糸、緯(よこ)糸に細かく裂いた古木綿布が用いられたリサイクル織物です。現地で「ツヅレ」とか「オリコ」などと呼ばれています。再生された裂織の布地は丈夫で暖かく、農・山・漁村の仕事着などに用いられました。

佐田岬半島の裂織は、袖や襟の部分に絣木綿布を用いたものや、緯糸に絣木綿の裂布が用いられ、紺絣の白地や色絣の色地が断片的に見え隠れする独特な身頃の色合いとなっているものも多く見られます。

佐田岬半島は、伊予絣や久留米絣など、西日本の木綿絣の産地近郊に位置し、裂織の材料に絣木綿が大量に使用されていることから、裂織は絣の普及以降の産物として位置付けられます。

常設展示「愛媛のくらし」に展示する佐田岬半島の裂織

緯糸の材料に絣木綿を用いた佐田岬半島の裂織

衿や袖が絣木綿で作られた佐田岬半島の裂織

江戸時代の西国巡礼のガイドマップ「西国順礼道中絵図」

4月 26日 金曜日

常設展示室「四国遍路」に紹介する「西国順礼道中絵図」は、江戸時代の西国三十三所観音巡礼の案内絵図(木版彩色。縦60.0×横69.2㎝)です。

西国三十三所観音巡礼は、日本に於ける広域にわたる複数の聖地をめぐる最初の巡礼として考えられ、伝説では、大和長谷寺の開山徳道上人が養老年間(717~723)に閻魔大王の勧めによって発願され、後に花山法皇自らが巡礼して中興したとされています。

絵図中には、番号を付した札所、札所と札所を結ぶ巡礼道、巡礼道から分岐する迷道や外道、道中の宿場町、宿場間の距離、神社、国名、城下、名所などの情報が記載され、推奨する道順は朱色で示されています。

「西国順礼道中絵図」

四国遍路にも大きな影響を与えたと考えられる西国巡礼。絵図に示された西国巡礼のコースをたどると、伊勢神宮、熊野三山、高野山などの聖地、奈良、京都、大坂などの観光地がルート上にあり、社寺参詣は信仰と物見遊山が表裏一体の関係にあったことがわかります。

西国巡礼のコース(「西国順礼道中絵図」部分拡大)

ムササビが歴博にやってきた!

4月 25日 木曜日

ムササビが博物館にやってきた。山から降りてきたのでしょうか。

「万葉集」巻六にもムササビが山を降りてきた和歌があるので、館蔵の「万葉集」(文化2年板)、その部分を開いてみました。「ますらをの高円山(たかまどやま)に迫(せ)めたれば里に下り来るむささびぞこれ」。天平11年(739)、大伴坂上郎女の歌。聖武天皇が狩りをしたとき、小さい獣が迷い込み、武人がつかまえて天皇に献上する。その際に詠った歌です。ムササビは万葉仮名では「牟射佐妣」と表記されています。

テーマ展「瀬戸内の海人たち」関連講座のお知らせ

4月 24日 水曜日

宮ノ浦遺跡の遠景写真(上島町教育委員会・愛媛大学考古学研究室提供)

現在、考古展示室ではテーマ展「瀬戸内の海人(かいじん)たち」を開催中です。本展は、今年5月に開通20周年を迎える瀬戸内しまなみ海道に関連して、近年の芸予諸島及び周辺部の発掘調査成果及び研究成果について、紹介するものです。

関連事業として、5月19日(日)と6月1日(土)に考古講座を下記のとおり、開催いたします。多くの皆様のご参加をお待ちしております。

■考古講座

5月19日(日)13:30~15:00

槙林啓介氏(愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター准教授)

「上島町宮ノ浦(みやんな)製塩遺跡と瀬戸内海人文化」

6月1日(土)13:30~15:00

谷若倫郎氏(瀬戸内海考古学研究会副代表)

「古代の瀬戸内海航路と津々浦々」

講座に参加ご希望の方は博物館までお申込みください。

新元号と万葉集

4月 2日 火曜日

昨日、新元号「令和」が発表されました。愛媛県歴史文化博物館では「令和」の出典である「万葉集」(江戸時代後期の版本)を所蔵しており、典拠部分の巻第五を、本日午前中に展示、列品しました。5月31日まで常設展示室(歴史展示室1)にて展示しています。

【速報】新元号「令和」の出典『万葉集』を展示します。

4月 1日 月曜日

万葉集巻第五

「平成」の次の元号が4月1日に発表され、新元号は「令和(れいわ)」に決まりました。

その出典は『万葉集』巻第五の「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」の「令」・「和」とのことです。

愛媛県歴史文化博物館は江戸時代後期に刊行された『万葉集』(奈良時代成立・文化2(1805)年板)を収蔵しており、この度、典拠部分である『万葉集』巻第五を、常設展示室(歴史展示室1)にて公開することとなりました。

展示期間は、平成31年4月2日午後から、令和元年5月31日までの予定です。

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