‘常設展おすすめ情報’ カテゴリーのアーカイブ

資料紹介「聖戦必勝態勢昂揚」~テーマ展「戦時下に生きた人々」から~

8月 28日 月曜日

テーマ展「戦時下に生きた人々」ものこり一週間となりました。今日は最後に、「5 まだまだがんばれ、がまんしろ!」のコーナーで展示している「聖戦必勝漫画昂揚」を紹介します。
戦前の漫画界は、いくつものグループに分かれていました。例えば、「日本漫画会」(北沢楽天、岡本一平)、「漫画連盟」(麻生豊、宍戸左行)、「新漫画派集団」(杉浦幸雄、横山隆一)、日本漫画界系の若手集団「三光漫画スタジオ」(松下井知夫、根本進)、漫画連盟系の若手集団「新鋭漫画グループ」(秋好馨、南義郞)などがありました。しかし、昭和15(1940)年に第2次近衛内閣が新体制運動を表明して大政翼賛会がつくられると、政党だけではなく新聞や漫画なども統合されました。若手の三光派と新鋭派が「新漫画派集団」に合同を持ちかけたことで「新日本漫画家協会」が設立されました。そして、翌年にはベテランを含めた「日本漫画奉公会」となります。
本展では「日本漫画奉公会」(会長北沢楽天、副会長田中比左良、顧問岡本一平、幹事細木原青起)が描いた「聖戦必勝態勢昂揚」を展示しています。多くの子どもが入った風呂を沸かすお母さん(池田永一治)、防毒マスクをかぶっている女性(北沢楽天)、油の取れる蓖麻(ヒマ)という植物を植える少女(細木原青起)などが描かれています。本来、笑いや笑顔を引き出すはずの漫画家たちも、大政翼賛会の傘下にあっては、戦意を昂揚させ国民に苦しい生活を我慢させるものしか描くことができなかったのです。漫画家をとおしても本テーマ展が目的とした戦争の悲惨さと平和の大切さを感じ取ることができます。 
テーマ展は9月3日(日)まで開催しています。ぜひ、ご来館下さい。


防毒マスクをかぶっている女性(北沢楽天)


多くの子どもが入った風呂を沸かすお母さん(池田永一治)

資料紹介「千人力と血染めの鉢巻き」~テーマ展「戦時下に生きた人々」から~

8月 24日 木曜日

今日はテーマ展「戦時下に生きた人々」の中から、「4 飛べなかった特攻隊員」のコーナーで展示している「千人力」と「血染めの鉢巻き」を紹介します。
特攻隊とは、戦死を覚悟しての体当たり攻撃です。飛行機では「桜花」、潜水艦では「回天」、船艇では「震洋」などがありました。展示室では、学徒出陣で海軍に入った特攻隊員を紹介しています。この方は昭和20(1945)年8年10日に相模湾に来ることが予想されたアメリカ艦隊への特攻を命じられました。13~15日、千人力のジャケットと腹巻きを身につけ、血書の鉢巻きを巻いて、いつでも離陸できる態勢をとっていました。千人力とは千人針の赤い糸さえ無くなったため、「力」という文字を千個押したものです。そして、鉢巻きは、女性たちが小指を切って皿にためた赤い血で「桜花」と書いて贈ってくれたものでした。結局、アメリカ艦隊は相模湾に現れず、15日の終戦を迎えたのでした。
当時、特攻隊は英雄とみなされていました。この方は生きて終戦を迎えましたが、簡単に喜べるものではありませんでした。仲間たちは特攻で戦死したのに自分は生き残った、故郷に帰っても生きて帰った特攻隊員として世間の目は冷たかったそうです。兵士と言えば、海外で戦ったイメージがありますが、国内にこのような兵士がいたことを知ることも大切です。
テーマ展は9月3日(日)まで開催しています。ぜひ、ご来館下さい。


               千人力


               血書の鉢巻

資料紹介「まぼろしの一銭陶貨」~テーマ展「戦時下の人々」から~

8月 3日 木曜日

今日はテーマ展「戦時下に生きた人々」の中から、「3 留守を守ったお母さん」のコーナーで展示している「まぼろしの一銭陶貨」を紹介します。
明治以降、日本の貨幣は金・銀・銅を主な材料として作られました。戦争の長期化と軍需優先のあおりを受けて、昭和8(1933)年に純ニッケル硬貨が作られました。この背景には軍需資材としての利用価値が高いニッケルを輸入して、貨幣として備蓄しようとした意図があり、昭和13(1938)年にニッケル硬貨は回収され、次はアルミニウム硬貨が作られました。しかし、アルミニウムは飛行機の材料となるため、2度にわたり量目が変更されました。10銭硬貨の場合、昭和16(1941)年に1.5gから1.2gへ、昭和18(1943)年には1.2gから1gになったのです。アルミニウムに続いて作られたのが南方の占領地でとれる錫や亜鉛を使った硬貨です。しかし、戦況の悪化で南方から錫や亜鉛も手にはいらなくなります。
そこで、政府が考えたのが粘土を材料とした陶貨です。有田焼や瀬戸焼で有名な佐賀県、愛知県などの陶器メーカーが作りました。表には富士山、裏には桜花の模様があしらわれています。昭和20(1945)年の敗戦によって使用されることなく、粉砕されたのですが、少量ながら市場に出回っています。なお、一銭という単位の貨幣が作られたのは、不発行ながらこの陶貨が最後となりました。お金を通じて戦争を捉えてみると、戦争を身近にイメージできるかもしれません。
8月6日(日)には自由研究応援講座「戦争を調べよう」(事前申し込み必要)を行います。ぜひ、ご参加ください。展示は9月3日(日)まで開催しています。

               表


              裏

テーマ展 「戦時下に生きた人々」開幕!

7月 15日 土曜日

特別展「トリックアート 大江戸物語」が15日(土)から開幕しました。錯覚を利用した不思議な江戸時代をぜひお楽しみ下さい。そして、お時間のある方は特別展と同時に開幕したテーマ展「戦時下に生きた人々」もご覧ください。特別展とはまったく異なる雰囲気ですが、夏には欠かせないテーマです。
この夏で戦後72年。実際に出征したり空襲を体験した世代は年々少なくなってきました。今のうちに戦争の悲惨さと平和の大切さを戦争体験者から聞き取り、次の世代に伝えていかなければなりません。当館では聞き取り調査も行っていますが、戦時資料の収集も行っています。いずれ戦争体験者はいなくなります。その時、戦争の実態を伝えるのは、戦争体験者から聞き取った内容と資料です。資料は何も語らないと思われがちですが、こちらが聞き取ろうとすると、いろいろなことを語ってくれます。今回のテーマ展は、戦時中の国内に焦点を当て、1空から爆弾が落ちてくる! 2ぼくたちも戦争のなかにいた  3留守をまもったお母さん  4飛べなかった特攻隊員  5まだまだがんばれ、がまんしろ!  の5コーナーからなっています。これから各コーナーの代表的な資料を紹介したいと思います。今日は松山空襲の写真を紹介します。
この写真は昭和20年9月7日にアメリカ軍が空撮した松山市の写真で、アメリカ公文書館に所蔵されています。写真の中心に城山、城山のふもとに黒く塗られて空襲からまぬがれた愛媛県庁、下の右隅に石手川、下の中央に松山市駅が見えます。松山市は昭和20年に入り何度も空襲を受けています。『愛媛県史』によると、特に5月4日の空襲で死者76名、行方不明3名、重軽傷者169名、7月26日の空襲で死者251名、行方不明8名と記載されています。空襲を受けると真っ黒になると思われがちですが、空襲からある程度時間が経つと、焼けて黒くなった木材などは浚われるため、地面がむき出しとなって白く見えるのです。つまり、この写真の白い部分が空襲を受けた範囲なのです。道後・新玉・立花・旭町・小栗・持田各町の一部と三津浜、農村部を残して焦土と化しました。不思議なことに22連隊が置かれていた堀ノ内はほとんど被害を受けていません。当時22連隊は出征していましたが、松山の軍事拠点である堀ノ内は市民にとって軍隊の象徴的な場所だったと思われます。アメリカ軍は意図的に空襲しなかったのか、それとも空き家同然の堀ノ内よりも松山市街の空襲を優先したのか詳細は分かりませんが、この写真は松山空襲の実態をよく伝えています。
展示室には空襲前後の宇和島市の空撮写真や焼夷弾の殻なども展示しています。空襲は焼夷弾によって実行されましたが、飛行機から1本1本バラバラ落とされたわけではありません。展示室では焼夷弾の仕組みや1機の飛行機にどれほどの焼夷弾が積まれていたのか、などについても解説しています。無差別な空襲をとおして、戦争の悲惨さを感じ取っていただければと思います。


展示室入口


展示室内部


体験コーナー


松山空襲後の写真

常設展 愛媛の祭礼図

4月 23日 日曜日

常設展示室の「祭りと芸能」の展示替えで、当博物館所蔵の祭礼図を列品しました。昭和初期の宇和島八ツ鹿踊りの古写真、吉田秋祭りを描いた「吉田祭礼絵巻」(中野本、栗田本、松末本、青木本の4点)、西条市氷見の石岡神社祭礼渡御行列之図(昭和初期)などです。期間は7月中旬までとなっています。

写真は上から、
 石岡神社祭礼渡御行列之図(右部分)
 石岡神社祭礼渡御行列之図(左部分)
 吉田祭礼絵巻(栗田本)の鹿踊と牛鬼
の順となっています。

テーマ展「よろいかぶと」、まもなく開幕です!!

4月 20日 木曜日

文書展示室では、4月22日(土)からテーマ展「よろいかぶと」を開催します。展示では、古代のよろいから江戸時代の大名家のものまで、「よろいかぶと」の移り変わりを紹介します。

現在は、開幕に向けて列品作業中。

大名家の「よろいかぶと」を慎重に展示していきます。博物館が収蔵する「よろいかぶと」を一堂に展示する機会はこれまでありませんでしたが、大きなケースの中にずらっと並んだ様子は壮観です。

展示室内には、「かぶと」を自由にかぶって、記念写真を撮ることができるコーナーもあります。

5月5日から7日は、この場所でよろい武者に変身するイベントも行います。ふるってご参加ください。

よろい武者に変身★
5月5日~7日
10:00~12:00(受付は9:00~)
13:00~15:00(受付は12:30~)
参加費:当日の常設展示観覧券か共通観覧券が必要です。
定員:各日60人(定員になり次第、終了いたします)

「愛媛のくらし」展示室の鯉のぼり♪

4月 18日 火曜日

4月も半ば。もうすぐ端午の節句です。「愛媛のくらし」展示室に、鯉のぼりが登場しました。
鯉のぼりは、男の子の立身出世を祈って、江戸時代中期頃から作り始めたとされます。明治末年までは紙製が多く、昭和に入ってからは布製が多くなりました。
展示しているのは、昭和25(1950)年、八幡浜市の若松旗店で作られた鯉のぼりです。
展示室には青い空もそよぐ風もありませんが、真鯉(黒い鯉)と緋鯉は悠然と泳いでおります。

テーマ展「久万高原町発掘50年の足跡」の開幕!

3月 25日 土曜日

前回のテーマ展(考古)では、“南予地域”に関連した考古資料を展示いたしましたが、今回の展示は「久万高原町発掘 50年の足跡」と題し、“久万高原町”にスポットを当てた展示を行います。
上浮穴郡久万高原町は、県の中南部に位置し、いにしえより、豊かな自然の恵みを生活の基盤としてきた高原地帯の町です。同町には、全国的にも著名な“国史跡・上黒岩岩陰遺跡”が存在し、現在もその調査・研究が進められています。近年では、それ以外の遺跡でも学術調査が行われ、多くの成果が得られています。
そこで本展では、上黒岩岩陰遺跡の発見から50余年、これまで久万高原町で発見されてきた埋蔵文化財を、関連写真や文献資料等とともに展示することで、その足跡を振り返りたいと思います。また、当館が、平成28年度に県内外の研究者や研究機関と共同で行った、上黒岩岩陰遺跡出土遺物の資料整理の成果についても合わせて紹介いたします。こうした観点から、久万高原町の埋蔵文化財にご理解いただき、その魅力についても再発見していただければと思います。
本展は、考古展示室を会場にして、3月25日(土)から9月3日(日)まで開催しております。常設展示室の一部ですので、常設展示観覧料が必要(小中学生は無料)となりますが、ぜひ見にいらして下さい。

民俗展示室3「四国遍路」展示替えのお知らせ

3月 23日 木曜日

民俗展示室3「四国遍路」は、3月17日に一部資料の展示替えを行いました。
今回の展示替えでは、弘法大師空海の誕生から高野山入定、その後の高野臨幸に至るまでの様々の奇瑞・霊験などを絵入りの版本で紹介した『弘法大師御伝記』(寛文2・1662年)、弘法大師空海の弟子たちの事蹟を紹介した道猷著『弘法大師弟子譜』(天保13・1842年以降)、明治前期の四国霊場(阿波の札所)の霊験を伝える繁田空山著『八十八箇所四國霊験記圖會』(明治19・1886年)など、博物館が収集した弘法大師空海と四国遍路に関する新資料の一部を公開します。
博物館ご来館の際にはぜひとも、常設展示・民俗展示室3「四国遍路」の新資料もご覧ください。

テーマ展「松山城下図屏風」「没後50年 永井刀専展」オープン

12月 22日 木曜日

  会 期
平成28年12月20日(火)~平成29年1月29日(日)

「松山城下図屏風」は紙本著色の四曲一双の屏風で、縦1m80cm、横6mを超える大画面に、松山城と城下町を西方上空から俯瞰して描かれています。
本テーマ展では、「松山城下図屏風」に加えて、松山城主であった加藤家、蒲生家、久松松平家に関わる資料や松山城の絵図を取り上げ、城下の変遷を辿ります。また、武家屋敷、町屋、寺社を描いた絵図も展示し、屏風の描写と比較することで、「松山城下図屏風」が細部にいたるまで写実性を備えていたことを紹介します。
約300年前にタイムスリップした気分で、「松山城下図屏風」の世界をお楽しみください。

永井刀専(1895~1966)は、松山でハンコ屋を営んでいた人物です。しかし、ハンコだけでなく多彩な分野で活躍しました。今回の展示は、新聞題字・風刺漫画・商業デザイン・刀専版画の4構成からなっています。刀専は、『海南新聞』や『愛媛新報』などの題字、大正から昭和初期における政党の争いを中心とした風刺漫画のほか、土産や名産などの商業デザイン、松山城・道後温泉などの版画を数多く遺しています。
刀専は、髪を結って櫛でとめていたため「ちょんまげの刀専さん」と呼ばれました。「ちょんまげの刀専」は、彫刻刀によって新たなデザインを生み出すとともに、歴史や文化を後世に遺した人物です。ぜひ、刀専の幅広い才能をご覧ください。

文書展示室
刀専の写真と使用していた机

風刺漫画
民衆の火の上で踊る政友会と憲政会
政友会の高橋是清(大正10(1921)~大正14(1925)総裁)と憲政会の加藤高明(大正5(1916)~大正15(1926)総裁)が民衆の熱を感じている。普通選挙の熱であろうか。大正13(1924)年に革新倶楽部の犬養毅と護憲三派が結成され、男子普通選挙法が成立する。

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