Archive for the ‘館蔵資料紹介’ Category

中国四国名所旧跡図21 讃州屋島山から見る図 高松城

2014年3月8日

この図も前図と同じく、屋島から高松方面を見下ろして描いている。カメラでいうと前図が広角レンズで捉えた引きの構図であったのに対して、本図は望遠レンズで高松城へとズームした一枚といえる。

白い塀が取り巻くなか、城郭がそびえている。本丸には三重四階地下一階の天守を置き、その周囲には現存する月見櫓、艮櫓以外に、烏櫓・太鼓櫓・龍櫓といった5棟の三重櫓が設けられていた。現在ではビルも建ち並び、お城も目立たなくなってしまったが、そうしたものが一切ない江戸時代にはランドマークとして目を引いたことであろう。高松城の白漆喰総塗籠の建物は、瀬戸内海に蒼い海によく映えたものと思われる。

西丈は屋島を三枚描いているので、一枚に割ける時間はそれほどなかった。その限られた条件の中で、それぞれの見たもののイメージを的確に表現していることがわかる。

参考までに大正から昭和初期の高松城を紹介した絵葉書を掲載した。手前に艮櫓、奧に月見櫓が並ぶ。石垣の下まで波が寄せており、海城としての高松城の姿がよくわかる。

「中国四国名所旧跡図18 讃州国分寺関ノ池図」に新しく調査した現況写真を加え、若干の加筆をしました。あわせてご覧ください。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

中国四国名所旧跡図20 讃州屋島寺獅子岩より見る図

2014年2月28日

屋島には複数の展望台が設けられているが、なかでも獅子の霊巌の展望台は一番人気で、現在では夕焼けから夜景までを連続して見る「ゆうやけい」を楽しむ人も多い。歩き遍路の西丈が訪れたのは安全な日中と思われるが、その絶景をスケッチに遺している。

瀬戸内海の一大パノラマが広がるなか、西丈が描いているのは高松市街の眺望である。上部に海に面した高松城、そしてその左側には瓦屋根のたくさんの町屋が描かれている。弘化4(1847)年に刊行された『金毘羅名所図絵』には、城の近くに武家屋敷が雲霞のごとくたくさんあり、市中は商家や職人の家が軒を連ねて活発な経済活動をしていると、高松のことが記されている。その文章にぴったり対応する描写となっている。

左側から手前にかけては田圃のような表現がされているが、これは塩田である。高松藩では宝暦5(1735)年に殖産興業政策の一環として、藩営により屋島の西潟元(にしかたもと)に塩田を完成させている。この塩田は亥年にできたことから、「亥の浜(いのはま)」と名付けられ、総面積28町余りの高松藩を代表する塩田となった。西丈が獅子の霊巌から見下ろした際にも、美しい入浜式塩田の姿が広がっていたことであろう。それは西丈が住む大和国田原本では見られない風景であり、当時の旅人が瀬戸内海を見て感じる特有の美しさでもあった。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

中国四国名所旧跡図19 讃州屋島寺獅子の霊岩図

2014年2月25日

画面左から突き出す奇怪な形の岩。西丈お得意のデフォルメ表現。岩のはるか下には帆をたてた廻船が進んでいく。廻船の小ささが霊岩のスケールを一段と増す。西丈が描いたのは、84番札所屋島寺の西150m、高松港に面した断崖に突き出た岩で、その形が獅子の頭に似ていることから、獅子の霊巌といわれた。そういわれてみると、獅子が吠えている姿に見えてくる。

こちらは大正から昭和初期にかけての絵葉書。西丈の絵とほぼ同じアングルで写真が撮影されている。絵葉書と比べてみると、岩の形はそっくり。西丈の絵はデフォルメされているようで、その基礎に写実があったことがうかがえる。

獅子の霊巌が名所とされたのは、この奇怪な岩の形だけではなく、その眺望。弘化4(1847)年に刊行された『金毘羅名所図絵』にも、「此地より八ケ国を眺望して至つて絶景なり、故に八国が峯ともいへり」とその一大パノラマを絶賛している。西丈もこの美しい景色が気に入り、スケッチで遺しているが、それは次回紹介する。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

中国四国名所旧跡図18 讃州国分寺関ノ池図

2014年2月21日

80番札所、国分寺の南にある関ノ池の図。降雨の少ないこの地域は溜池灌漑による農業が盛んで、溜池が日本一密集しているといわれている。溜池は小規模なものが多かったが、関ノ池はその中では大きなもので、堤高5.4メートル、堤長365メートル、有効貯水量34万7600立法メートルとされている。灌漑面積は16.1ヘクタール、高松市国分寺町国分・新居、坂出市府中地域を灌漑した。菅原道真が讃岐国守時代に詠んだ漢詩に記された蓮池が、この池ではないかとする説があるが定かではない。堤防が築かれて、現在のような池としての体裁が整ったのは、高松城を築城した生駒親正の時代で、慶長2(1597)年とされている。

関ノ池の背後には、霧に浮かぶように娘山、ハシノ山という二つの山が見える。娘山は讃岐七富士の一つで、御厩富士(みまやふじ)ともいわれる標高317メートルの六ツ目山のこと。娘山の右には「娘山人目の関をへたつ雰」、左には「秋風かむすめの山をかくさんときりにはたへとひとゑまかして」とあり、西丈は地名を巧みに織り込んだ俳諧と和歌を書き込んでいる。もう一つのハシノ山は、標高322メートルの「鷲ノ山」のことであろう。大部分が花崗岩で、頂上部には角閃安山岩が分布しており、古くから良質な石材を産出した山である。

平野部に突き出た霧に浮かぶ山と巨大な溜池。そして、溜池の畔に遍路道。西丈はそうしたこの地域の景観に感銘を受けて描いたのであろう。

関ノ池をほぼ西丈と同じアングルで撮影した現況写真。左側中央部に関ノ池が見え、その背後にきれいな山並みが続く。西丈が描く山の形が整っているのが気になっていたが、現地に行ってみると、西丈の絵にデフォルメはあるものの、雰囲気をよく捉えていることがわかった。目で見た風景を少ない筆で素早く捉える確かな技が西丈にはあった。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

テーマ展「宇和海の船大工」展はじまります

2013年12月21日

 12月21日(土)より、テーマ展「宇和海の船大工」展が開催されました。
 本展示のきっかけは、ある船大工さんから、船大工道具や船の設計図である「板図」、そして「板図」をもとに作られた船の模型などを当館へ寄贈いただいたことにはじまります。
 資料の寄贈にあたり、資料の名前や使い方、船大工の仕事などを聞き取り、記録する中で、その貴重さや船大工の美意識などを知り、ぜひ展示につなげることができないかと考え、準備をしてきました。
 そして以前当館に寄贈された別の船大工道具や、村上節太郎撮影の造船所の写真なども合わせ、今回の宇和海の船大工の仕事を紹介する展示となりました。

 
船の模型(奥)と板図(手前)


船大工道具

 博物館の展示ができあがるまでにはさまざまな形があり、今回のようにまずはじめに資料がありそこから展示へとつながるものもあれば、あるテーマをもとに資料を調べ、集めて展示へとつながる形もあります。今回企画展示室で同時開催されます「午年のお正月」展は後者のタイプだと言えます。平成26年の干支、「午」と「お正月」をテーマに、当館の各研究科の学芸員が「これぞ!」という資料を持ちよっての展示となりました。時代も場所も研究分野の垣根も越えたおめでたい展示となっております。
 ぜひご来館ください。職員一同お待ちしております。

テーマ展 「宇和海の船大工」
開催期間 平成25年12月21日(土))~平成26年2月3日(月)
会場    愛媛県歴史文化博物館 文書展示室

テーマ展 「午年のお正月」
開催期間 平成25年12月21日(土))~平成26年2月3日(月)
会場    愛媛県歴史文化博物館 企画展示室

民俗展示室3「四国遍路」展示替えのお知らせ

2013年8月1日

民俗展示室3「四国遍路」は、7月30日に一部資料の展示替えを行いました。

 今回新たに次の資料が常設展示に加わりました。

・弘法大師と衛門三の刷り物 

・弘法大師御事蹟壱千百年忌記念絵葉書、大正4(1915)年、個人蔵

・四国八十八箇所順拝略図、江戸時代

・四国第三拾八番土佐国足摺山図、明治時代

・遍路宿宿帳、昭和7~18(1932~43)年

 そのうち、「四国第三拾八番土佐国足摺山図」は、明治期に作成された四国霊場第38番札所足摺山金剛福寺の絵図です。絵図には略縁起を紹介し、境内の伽藍と足摺岬周辺の名所旧跡が描かれています。太平洋の沖合には日の丸をつけた洋船、帆船の姿も見られ、当時の様子を伝えています。

 また、「遍路宿宿帳」は、愛媛県上浮穴郡川瀬村大字下畑野川(現久万高原町)にあった旧遍路宿・大黒屋において、昭和7~同18年にかけて作成された遍路の宿帳です。畑野川集落は地理的に第44番札所大宝寺と第45番岩屋寺の中間地点にあたり、歩き遍路が順打ちして岩屋寺に向かう際、往復とも同じ道を通るため、宿に荷物を預けて巡拝する「打戻り」の拠点でした。そのため最盛期には遍路宿が10数軒あったそうです。この遍路宿宿帳に記録された遍路の数量的なデータは、昭和10年代の四国遍路の動向を知る上でとても貴重な資料といえます。常設展示室にある四国遍路の資料もぜひご覧ください。

弘法大師御事蹟壱千百年忌記念絵葉書

四国第三拾八番土佐国足摺山図ほか

遍路宿宿帳

西予市三瓶の野鍛冶資料

2013年6月28日

先日、れきはくボランティア・スタッフの方とともに、館蔵資料の西予市三瓶の野鍛冶資料の整理を行いました。

野鍛冶とは、農具、漁具、包丁などの地域生活に密接な鉄製道具を手がける鍛冶屋のことをいいます。かつて「村の鍛冶屋」として、地域生活を支えていた野鍛冶でしたが、農耕具の機械化、大手メーカーによる大量生産時代の到来によって、鍬(くわ)、鋤(すき)などの農具の生産・修理の需要が急減し、全国的に各地の野鍛冶は相次いで廃業していきました。

今回、整理した西予市三瓶の野鍛冶資料は、旧三瓶町朝立で平成10年頃まで操業されていた石本鍛造で作られた、愛媛県内外の鍬先の雛形(見本)です。

愛媛県内外の鍬先の雛形

石本鍛造の創業は明治期とされ、昔は大八車や馬車の車輪(鉄輪)を専門に作る車鍛冶でした。戦後、車の修理や新造の注文が減ったため、鍬、鋤などの農具を手がける野鍛冶に転身。昭和42年頃、甘藷、麦の栽培が主であった畑作が蜜柑栽培へと移行するにつれ、鍬の新調や修理の仕事が減り、昭和45年頃から、今治の金物問屋の依頼で、愛媛県内外の鍬先を専門に作りました。

鍬先とは、鍬の頭部に取り付ける鉄製の部分のことです。鍬先は地域によって形や呼称が千差万別です。それは土壌、作物の品種、使用者などの違いから、様々な種類の鍬先が作られました。形態を大別すると、三つ鍬、四つ鍬などの鍬先が又状に分かれている「又もの」と、鍬先が平べったい「平もの」があります。

今回、整理した資料は、実際に各地の鍬先を製作する際の見本(雛形)として作られ、大切に保管されてきたものです。

愛媛県内で使用されていたものとして、地元(三瓶)窓鍬、温泉郡四ツ鍬、周桑郡三ツ鍬、周桑平鍬、周桑ビワ鍬、周桑トギリ鍬、越智ごぼう掘り、越智型窓付き草削り、南予型おたふく鍬、柿木皮はぎ、玉ねぎ植がんぎ切り、八本レーキ、ナタ鍬などがありました。さらに、県外の鍬先には、香川県高松三ツ鍬、徳島県鳴門四ツ鍬、島根県平鍬、島根型化肩上げ四ツ鍬、広島島型三ツ鍬、広島ホソ口虫掘り、山口県山口型三ツ鍬、新潟県ヒツ大三ツ鍬などがありました。県内のみならず、四国地方や中国地方、遠い新潟県の鍬先までもが、かつて西予市三瓶町で作られていた事実には驚愕します。

越智型窓付き草削り(左)と南予型おたふく鍬(右)

新潟県ヒツ大三ツ鍬

実際、資料整理にあたっては、鍬先の使用痕跡や現状を損なわないように注意しながら、鍬先の表面についた埃や錆を布やブラシで軽く払い落とし、クリーニングが終わったものから、資料名称を記した整理用のラベルを括り付けました。鍬先の中には、商品銘や鍛造所名が刻まれているものもありました。

クリーニング作業

クリーニング、ラベリングが終わった資料

整理にあたった参加者はみんな、鍬先の種類の多さ、形状や呼称の違いに驚き、その意味や使い方などについていろいろ想像しながら、楽しく作業を終えました。西予市三瓶町の石本鍛造で作られた鍬先の製作見本(雛形)は、なくなりつつある野鍛冶資料として、また、農具研究資料としても貴重といえます。

ハーモニカたんす

2013年5月30日

 特別展「民具王国びっくりミステリーツアー」で一二を争う人気の資料が「ハーモニカたんす」です。
 このたんすはただのたんすではありません。引出しを開け閉めすると「ファ~」とハーモニカのような音が鳴るので「ハーモニカたんす」と呼ばれています。空気が出入りすると音が鳴る仕組みになっています。ハーモニカは「息を吸う/吐く」で音が違うように、ハーモニカたんすも一つの引出しを「引く/押す」で音が変わります。音が出るのは、防犯の目的のためのようです。

 このたんすは松山市の一矢タンス店(現在のイチヤ家具店)が製作したもので、扉の内側にその銘が残っています。
 先日、このイチヤ家具店の一矢さんと奥様がご来館し、ハーモニカたんすについていろいろとお話ししてくださいました。
 たんすを運ぶために棒を通す「棒通し」や鍵の部分「鍵座」、真鍮製のカン(金へんに丸)などたんすの部分名称も丁寧に教えていただきました。
 また、最下部の左の引き出しを引き抜くと非常ベルのような音が鳴ります。丸い突起部が押されると鳴るものであり、もう少し新しいたんすの場合、バネのようになっているそうです。

 ハーモニカたんすは、普通のたんすと比べて高価であるとか時間がかかるというわけではありませんが、空気がもれないしっかりしたたんすでないとできないそうです。それをお客さんに説明するために、引き出しを上下逆にしても入れ、精密な作りだということをお見せしたりもしたそうです。

 このような「間箪笥」(けんだんす 幅180cm)は20年前くらいから作っておらず、今では四尺箪笥(よんしゃくだんす 120㎝)が主流となっているそうです。きものが日常的だった時代から洋服の時代になったことや、引っ越しや住宅などライフスタイルの変化が、たんすの変遷から読み取れる、大変面白いお話をお聞きすることができました。

 「民具王国びっくりミステリーツアー」では、ハーモニカたんすの音色(ねいろ)をはじめ、スゲミノの肌触りや昔の教科書の内容など、さまざまな体験をしていただけるコーナーがございます。
 おすすめの体験型展示解説会「民具王国ミステリーガイドツアー」は展示期間中以下の日程で実施しております。

 毎週土曜日 午後1時受付開始
         午後1時半~(所要時間 1時間程度)
 先着20名
 特別展観覧券が必要です

 次回は6月1日の土曜日、皆様をお待ちしています。

常設展示室に風船爆弾展示

2013年3月12日

  3月5日(火) の休館日に保守点検が行われ、その際歴史展示室4(近・現代) に風船爆弾の模型が展示されました。風船爆弾は、太平洋戦争末期、和紙と蒟蒻糊で作った気球です。爆弾を吊して、偏西風にのせ、アメリカ本土の爆撃を目的として作られました。実際アメリカ本土まで達し、被害を与えています。
 本県でも製紙業の盛んな東予地方で作成されました。川之江高等女学校33回生は勤労動員として昭和19年から風船爆弾を作成する日々を送りました。ぜひ一度御来館の上、このような戦闘道具があったこと、そして日々作成した勤労動員の生徒がいたことを忘れないでいただければと思います。

リフトで風船爆弾を取り付け

実際の1/11の大きさです

御殿飾りを展示しています

2013年2月15日

桃の節句、恒例の企画展「おひなさま」の開幕が迫ってきました。この数日間、担当の学芸員は展示室にこもって、人形の列品作業を続けています。

展示されるのは、お人形ばかりではありません。こちらは、江戸後期に京都や大坂で広く見られた御殿飾りのおひなさまです。今でいうドールハウスですが、分解したたくさんのパーツから御殿を組み上げていくので、これはこれで時間と根気のいる作業になります。

こちらで組み立てているのも御殿飾りですが、比較的に新しい昭和40年代のもの。最初の画像の御殿は白木の寝殿造りでしたが、新しい御殿は金きらきらに飾られていて、屋根がつくと日光東照宮みたいになります。

当館ではいろいろなタイプの御殿飾りを展示するので、御殿を比べながら見て歩くのも楽しいかもしれません。企画展「おひなさま」は2月19日(火)にオープンします。たくさんのおひなさまに逢いに来てください。