‘館蔵資料紹介’ カテゴリーのアーカイブ

昔の道具~冬のくらし編~ 5

12月 17日 水曜日

 冬のくらしに活躍する昔の道具、暖房道具を紹介しております。
 今回は炭ではなくお湯で暖を取る道具です。

 こちらの形の「湯たんぽ」はブリキ製です。プラスティック製のものは今でも見ることができます。
 蓋を開けてお湯を入れ、布でくるんで布団の中で使います。お湯を入れて使うほかに、湯たんぽ自体を火にかけて温めることもできました。朝になると、中のお湯を使って顔を洗うこともありました。

 こちらの湯たんぽは陶製のもの。栓はなくなっていますが、同じようにお湯を入れ、布に包んで使用します。
 とはいえ、使用していた様子は想像ではなかなか難しいものです。このような日常の風景は写真などにもあまり残ることはありません。
 ところが、今年度受けた寄贈資料は、木の栓と布も一緒にいただきました。湯たんぽ以外の附属物は使用していた当時のものではありませんが、使用していた様子が理解しやすいものです。

「湯たんぽの木の栓は毎年父親が作成し、穴に合うように布を巻いて調整した」
とのお話しとともに寄贈していただきました。
 博物館ではモノだけお預かりしても活用することができません。資料の名称や使用地、製作方法や使用方法など様々な情報とともにお預かりするからこそ、後世に伝えることができます。

昔の道具~冬のくらし編~ 4

12月 16日 火曜日

 冬のくらしに活躍する昔の道具、暖房道具を紹介しております。
 前回のブログで紹介した「あんか」の別名は「キシャ」でした。あんかの窓が汽車の窓に似ていることからこう呼ばれたようです。
 土製の火入の上に蓋をして暖める道具は他にもあります。

 この資料は「大和こたつ」といい、上から布団をかけて足や手を入れて暖めます。当館収蔵の大和こたつは何点かありますが、この資料の使い込まれた風合いはたまりません。

 こちらの資料は新旧(?)のこたつです。
 右側は炭でなく電気で暖める電気ごたつです。
 左側が「やぐらごたつ」といい、木の枠「やぐら」の中に炭火をいれた火入を置き、上から布団をかけて使います。

 

 このようにやぐらの一部が開閉し、中の火入を出し入れすることができます。
 このような昔の道具の仕組み、動かし方なども「昔のくらし探検隊♪冬のくらし編」と民俗講座「親子で学ぼう!古い道具と昔のくらし」で体験していただきたいと思っております。
 博物館でお待ちしております。

昔の道具~冬のくらし編~ 3

12月 14日 日曜日

 冬のくらしに活躍する昔の道具、暖房道具を紹介しております。
 前回のブログで紹介した「手あぶり」の別名は「ダルマ」でした。色といい形といい良く似ています。
 火にかざして暖める、「あぶる」ことから名づけられた暖房道具を他にご紹介します。

 こちらの道具は「足あぶり」
 両足がちょうど乗るくらいの大きさの鉄製の暖房道具です。腰掛の下におき、足をのせて使いました。

 こちらの色鮮やかな道具が「江戸手あぶり」
 ふたを開けて炭を入れ、ふたを閉めて使います。ふたがついているので、熱があまり逃げず、直火にあたる危険もないので子どもでも安心して使うことができました。上に布団をかけてこたつとしても使うことができます。

 最後に別名クイズ第二弾です。
 次の資料は「あんか」といって、土製の入れ物の中に火入があり、布団をかけて手足を暖めます。

 こちらの資料もその形状から別名でよばれることもありました。さてその別名は下の三つのうちどれでしょうか?

①キシャ ② カマボコ ③テツゴウシ

答えは次回のブログで。

昔の道具~冬のくらし編~ 2

12月 13日 土曜日

 冬のくらしに活躍する昔の道具といえば暖房道具です。 愛媛県歴史文化博物館民俗展示室では、復元家屋「里のいえ」を中心に昔の暖房道具を展示しています。

 トップバッターは火鉢です。灰を入れて炭火で暖を取る道具です。

 真鍮(銅と亜鉛の合金)でできた火鉢です。お客さま用に使い、お湯などは沸かしません。
 次の写真は桐火鉢といい、その名の通り桐の木でできています。

 とはいえ熱源は炭。木材で燃えてしまわないのかと思いますが、縁をよーく見ると

 木の火鉢が燃えないように中に銅など金属の箱が入っています。
 一口に火鉢といっても素材や使用方法など様々です。

 では最後にクイズを一つ。
 次の資料は「手あぶり」といって、文字通り手をあぶって暖を取るための道具です。

 しかしその形状から別名でよばれることもありました。 さてその別名は下の三つのうちどれでしょうか?

①マメ ②プチトマト ③ダルマ

答えは次回のブログで。

昔の道具~冬のくらし編~ 1

12月 12日 金曜日

 11月26日に行った展示替えでは、冬のくらしに活躍する昔の道具も展示しましたので、これからブログで少しずつ紹介していきたいと思います。

 まずは愛媛県歴史文化博物館民俗展示室2、復元家屋「山のいえ」にあるおひついれです。
 おひつは、炊き上がったご飯を釜から入れて、保温しておくための入れ物です。ご飯の余分な水分を吸い取ってくれるため、おいしく食べることができたそうです。
 しかし寒い冬にはご飯の保温時間も短かったため、稲わらで編んだ入れ物、おひついれに入れていました。

 次に、「海のいえ」の座敷で見ることができるのが「夜着(よぎ)」です。

 きもののような形をしていますが、夜眠る時に使う寝具です。

 この資料はお客様用の夜着ですので、襟元にはビロードが使われており、暖かく眠るだけでなく肌触りも考えられています。
 「夜着」のような昔の道具を実際に体験できるのは博物館では「特別」のこと。
 普段は申し訳ありませんがご遠慮いただいております。
 しかし!「夜着」をはじめとした昔のくらしを「知る」だけでなく「体験」もできるイベント「昔のくらし探検隊♪冬のくらし編」が新春のれきはくで行われます。
 また昔のくらしを楽しく学べる講座「親子で学ぼう!古い道具と昔のくらし」も年明け1月17日(土)に開催されます。こちらは親子ではなくても参加OKです。

 小学校3年生の社会科では「昔の道具とくらし」を学校で学びます。教科書に出てくる昔の道具に博物館で出会うことができますので、ぜひおいでください。

〇「昔のくらし探検隊♪冬のくらし編」
 学芸員とめぐるれきはく内探検ツアー!昔のくらしってどんな感じ?
日時:1月4日(日)、5日(月)13:30~(一時間程度)
集合場所:総合案内横
参加費:常設展チケット(当日券)が必要(中学生以下は無料)
   
〇民俗講座③「親子で学ぼう!古い道具と昔のくらし」
 日時:1月17日(土)13:30~15:00
 参加費:無料
 申し込みが必要です。希望する講座名・講座番号とご住所・お名前・年齢・電話番号など必要事項を記入し、はがきなどでお申込み下さい。
 お問い合わせ:企画普及グループ 歴史文化講座係
TEL(0894)62-6222
FAX(0894)62-6161

テーマ展「すえのうつわもの-館蔵品の須恵器紹介-」開催中

11月 7日 金曜日

10月11日(土)より、考古展示室にて「すえのうつわもの-館蔵品の須恵器紹介-」と題したテーマ展を開催しています。

これは、当館保管の須恵器のうち、5世紀後半から8世紀ごろのもの、およそ300点を展示し、時期ごとの変遷や器種の多様性を紹介するものです。

展示している須恵器の出土した遺跡名を列挙しますと、展示室入って右側から順番に、上難波南10号墳、松環古照遺跡、久米窪田Ⅴ遺跡、上難波南0号墳(いずれも松山市)、経ヶ岡古墳(四国中央市)、上三谷原古墳(伊予市)、大小谷谷窯跡(四国中央市)、尾土居窯跡(西条市)、片山1号墳、同4号墳、同7号墳(いずれも今治市)、池の内遺跡(西条市)です。

また、展示室中央部では、上三谷4号墳(伊予市)から出土した大型の壺や、池の内遺跡から出土した大型の甕、大下田2号東墳(砥部町)から出土した器台、上三谷2号墳(伊予市)から出土した装飾須恵器などを展示しています。

本テーマ展は、来年4月5日(日)まで開催しております。常設展示室の一部ですので、常設展示観覧料が必要(小中学生は無料)となりますが、須恵器の優美な形や古代人の技を感じに、ぜひ見にいらしてください。

また、平成27年2月7日(土)には、三吉秀充氏(愛媛大学埋蔵文化財調査室講師)による講座「須恵器の生産と流通」も開催されます。そちらもあわせてご参加ください。

「村上海賊の世界」展示資料紹介(4) 名所絵のなかの瀬戸内海

10月 7日 火曜日

10月19日まで愛媛県美術館(松山市)を会場に開催中の4館合同特別展「村上海賊の世界」。
歴史文化博物館出展資料の紹介シリーズ、第4回です。

浮世絵のジャンルの一つに、各地の名所を画題とした風景画があります。江戸時代後期になると、これまで「名所」として認識されてこなかった、廻船や港の風景を画面の主題としたり、名勝の遠景に廻船を描いたりした名所絵が登場します。
歌川広重の「六十余州名所図会 伊豫西條」もその一つです。
伊豫西條
画面中央に石鎚山を置き、その麓には西条藩松平氏3万石の陣屋町西条、右手前に白帆を巻き上げた廻船を配しています。
広重は実際に西条に出向いたわけではなく、別の絵師が作った図柄をもとに作成したものですが、もともとの図柄には廻船は描かれておらず、手前に白帆を配したのは広重の工夫です。
海賊衆が歴史の表舞台から姿を消したあとも、伊予は瀬戸内海の海上交通を通じて江戸や大坂と緊密に結ばれていましたが、こうした事実が浮世絵の中にあらわれる伊予のイメージを形づくるのに一役かっていたのかもしれません。
 
 「伊豫西條」が展示されている展示室会場の後半エリアでは、瀬戸内海の廻船や港の風景を主題とした歴博出展の浮世絵とともに、県美術館から出展した、瀬戸内海を題材とした近代から現代のさまざまな美術作品が展示されています。
広重とMAYAMAXXさん
左は歴博出展の広重らの浮世絵、右奥にみえるのは県美術館出展のMAYA MAXXさん(今治市出身)の作品「これが私の世界一美しいと思う故郷の景色です」の一部です。
かたや江戸時代の浮世絵、かたや現代アートと、時代もジャンルも違う作品ですが、かつて海賊衆の活躍した瀬戸内海を主題としている点で一貫しており、自然に調和して展示室に並んでいます。
近代以降、さまざまな作家が瀬戸内海を題材とした美術作品を生み出しますが、近世の浮世絵や航路図は、あるいは、そうした活動の源流の一つかもしれません。

4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意ください。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「村上海賊の世界」展示資料紹介(3) 航路図に描かれた瀬戸内海

10月 6日 月曜日

10月19日まで愛媛県美術館(松山市)を会場に開催中の4館合同特別展「村上海賊の世界」。
歴史文化博物館出展資料の紹介シリーズ、第3回です。

豊臣秀吉が全国を統一し、独自の海上活動を厳しく禁じると、村上氏ら海賊衆は新しい生き方を迫られ、ある者は近世大名になり、ある者は活躍の舞台を求めて主家を離れ、大名の家臣として編成されていきました。海賊衆は歴史の表舞台から姿を消しますが、その末裔は、江戸時代には船手方として藩の船舶と航行を管理し、参勤交代の海上輸送等の業務を担いました。

一方、瀬戸内海で物資の輸送や旅行がそれまで以上に活発になると、絵巻形式の航路図や港を「名所」として描いた浮世絵が作られるようになりました。
今回展示している「西海海路図絵巻」は、大阪より長崎にいたるまでの海路を中心に描いた絵巻です。
西国海路図絵巻
上下に山陽側・四国側の沿岸をくわしく描き、瀬戸内海を中心として、多くの島々を実際の大きさにこだわらず描いています。海路は朱線で示し、海路の線上には各地間の距離を記します。また、青・緑・銀色を使い、それぞれ「見え瀬」「隠れ瀬」など航海上危険な部分を色分けして、航海者の便を図っています。来島や務志島・中途島(いずれも現今治市)など、かつて海賊衆村上氏の拠点が置かれていた島々も、引き続き海上交通の要衝として実際の縮尺以上に大きく描かれています。

このような資料は当時の海上交通の様相をビジュアルに示すもので、絵巻を手元に広げて観賞した人々は、見ているだけで瀬戸内を旅している気分になったに違いありません。

4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意ください。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「村上海賊の世界」展示資料紹介(2) 水軍を率いた加藤嘉明

10月 3日 金曜日

10月19日まで愛媛県美術館(松山市)を会場に開催中の4館合同特別展「村上海賊の世界」。
歴史文化博物館出展資料の紹介シリーズ、第2回です。

戦国の世を終わらせ天下統一を果たした豊臣秀吉は、天正20年(文禄元年、1592)からと慶長2年(1597)からの2度にわたって朝鮮半島へ軍勢を送り込みます。
当然、日本から海を渡っての進軍には、海上輸送が不可欠となります。また、沿岸部の拠点や制海権の確保も重要になってきます。

そこで大きな役割を担った存在が水軍でした。
この時の船手衆として、戦国時代から水軍として名高い来島村上氏、九鬼氏をはじめ、脇坂氏、藤堂氏、菅氏などの活動が知られますが、加藤嘉明も水軍を率いて参戦しました。
嘉明は、文禄の役の際には淡路国志智城主でしたが、文禄4年(1595)に伊予国松前6万石を与えられ伊予の大名となりました。
その後、慶長の役での戦功により慶長3年(1598)に10万石に加増されることになりますが、その時に豊臣秀吉から与えられた朱印状を今回展示しています。

 

冒頭に柴田合戦(賤ケ岳の合戦)の一番槍の功績に触れ、次いで朝鮮での水軍としての数度の戦功を賞しています。また、激しい籠城戦が展開されたことで有名な順天城・蔚山城について、諸将が連判で上申した城の放棄案に賛同しなかったことも賞され、10万石への加増となりました。

嘉明は、慶長の役では六番隊に編成されますが、そこには同じ伊予の大名で水軍を率いた来島村上通総や藤堂高虎らも配属されていました。伊予には水軍を率いる大名たちが何人も配置されていたことになります。

来島村上氏は、文禄の役で通幸、慶長の役では当主通総が討死しており、激しい海戦を展開していた様子がうかがい知れます。
一方、能島村上氏や因島村上氏も、中国地方の雄毛利氏の配下として出陣し、毛利氏の拠点の確保や合戦に加わっています。

秀吉は、天正16年(1588)にいわゆる海賊停止令によって海賊行為を禁止しますが、村上氏ら海賊衆は依然海上機動力を有していたはずで、加藤嘉明など伊予の大名らとともに豊臣政権下においてもその機動力を期待され、発揮していたといえるでしょう。

4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意ください。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「村上海賊の世界」展示資料紹介(1) 木津川口合戦の一場面

9月 28日 日曜日

9月27日から愛媛県美術館を会場に開幕した4館合同特別展「村上海賊の世界」。
当館も主催者の一員として、多数の歴史資料を出展しています。
どんな資料がご覧いただけるのか、少しだけご紹介しましょう。

最初に紹介するのは、「絵本拾遺信長記」に描かれた木津川口合戦の一場面です。
木津川口合戦「絵本拾遺信長記」
木津川口合戦とは、天正4年(1576)7月、海賊衆村上氏らと織田信長勢が大阪湾で激突した海戦です。
和田竜氏の小説『村上海賊の娘』の主題としても取り上げられています。

この年、織田信長は、反信長の立場を鮮明にしていた大坂本願寺に対し、大軍を動員して周囲を包囲しました。
この動きに対し、毛利輝元は、反信長行動に立ち上がることを決意し、本願寺救援のため水軍を向かわせましたが、この水軍の中核をなしたのが海賊衆村上氏で、来島村上氏の当主村上通総(みちふさ)の重臣村上吉継、能島村上氏の当主村上武吉の嫡男・元吉や従弟の景広、因島村上氏の村上吉充(よしみつ)らが船団を組織しました。
彼らは木津川(現淀川)河口付近で織田方の水軍と激突し、これに勝利して大坂本願寺へ救援物資を搬入することに成功しましたが、信長側の史料によれば、この時村上氏らは、織田方の大船に対して「ほうろく火矢などという物をこしらえ」「船を取籠め、投げ入れ、焼き崩し」たとあります(「信長公記」)。

「絵本拾遺信長記」は、織田信長対大坂本願寺等の一連の戦をまとめた絵入りの読物で、江戸時代後期に刊行されました。
同書によれば、木津川口合戦の際、織田方の兵100人余りが乗船している大船に対し、村上景広は小船を寄せて、熊手をかけて飛び乗ろうとしますが、織田方に熊手の柄を切り取られ、景広は自分の船にどうと落ちます。
しかし、景広の船に侵入してきた織田方の将を切り倒した景広らは、再び織田方の大船に乗り移り、船内を飛び回って兵を倒していきます。織田方は狼狽して、村上方の小舟に飛び乗ってそこで討たれる者や、海中に飛び込んで浮き沈みする者が続出し、ついに景広らは織田方の大船一艘を乗っ取った、と記されています。

木津川口合戦において、実際にこのような戦闘があったのかどうかは定かではありませんが、今回展示している場面で、右手に描かれた織田方の大船に対し、左手に描かれた村上氏の船はまことに小さく、熊手をかけて敵船に乗り移ろうとする様子は、いかにも戦国期の村上氏の姿を彷彿とさせます。
あわせて展示している安宅船模型や関船模型、古文書等とともに、海賊衆の活動の一端に思いを馳せていただければ幸いです。
安宅船模型その他
4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意下さい。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!