4月19日(土)に特別展「誕生50周年 ねずみくんのチョッキ展 なかえよしを・上野紀子 想像力のおくりもの」が開幕しました。
創作絵本のロングセラー『ねずみくんのチョッキ』(1974年)は、赤いチョッキを着た小さくて可愛いねずみくんが、いろんな動物の仲間たちとくり広げるユーモラスで心温まる物語です。絵本作家・なかえよしを氏と画家上野紀子氏夫妻が手掛けたねずみくんの絵本シリーズは50周年を迎え、世代を超えて世界中で愛されています。それらの絵本を通じて、物を大事にすることや、悲しく弱っている人の気持ちに寄り添うこと、想像力を養うことなど、私たちにたくさんの大切なことを気づかせてくれます。本展では最新作を含む全作品の原画やスケッチなど約200点を展示します。この機会にぜひ多くの方にご覧いただきたいと思います。
そこで今回は『ねずみくんのチョッキ』の世界観に共感して思い浮かべた四国霊場の本尊仏を紹介します。
それは徳島県阿波市土成町に位置する四国八十八箇所霊場第9番札所の法輪寺の本尊・涅槃(ねはん)釈迦如来(秘仏)です。
涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナに由来し、すべての煩悩の火が吹き消された状態の悟りの境地や入滅・死去を意味します。「涅槃経」にもとづいて作られた涅槃像には絵画と彫像があり、いずれもインドのクシナガラにおいて沙羅双樹の下の宝座で、頭を北にして顔は西に向け、右脇を下にして、最後の教えを説かれて涅槃に入られた釈迦の姿と、別れを嘆き悲しむ諸菩薩と仏弟子、たくさんの動物たちの情景があらわされています。
八十八箇所霊場の中で本尊に彫像による涅槃釈迦像を祀るのは法輪寺が唯一です。法輪寺は昭和9年(1934)の安達忠一『同行二人 四国遍路たより』によると、「御本尊涅槃の釈迦如来 御丈二尺五寸大師の御作。当寺は大師の御開基で、昔は白蛇山法林寺と称へ山つき方にありましたが、天正の兵火に罹り正保年間(1644~1648)今の地に再興、再び安政六年(1859)火災に罹り、今の堂宇は明治になっての建立です。」とあります。同年の『四国霊蹟写真大観』(当館蔵、写真①)収録の古写真からは、のどかな田園風景の中にたたずむ法輪寺の境内の様子がわかります。

ところで、四国遍路道中図には八十八箇所霊場の札所本尊の姿(御影)が微笑ましく漫画チックに描かれています(本ブログ3「札所の本尊御影」参照)。大正6年(1917)の駸々堂版、昭和9年の浅野本店版、昭和13年(1938)の渡部高太郎版で法輪寺の御影(涅槃釈迦如来)を確認すると(写真②③)、地図上の小さな丸印の中に本尊の特徴をつかんで簡略に描くにあたり、涅槃釈迦如来は容易ではなかったと想像され、渡部高太郎版にいたっては略し過ぎて姿がよくわかりません。


実際に明治40年(1907)に法輪寺を参拝した遍路が納経を行った際に札所から授与された本尊御影(当館蔵、写真④)が納経帳に貼付されています。小さな紙片に描かれた簡易なコンパクト涅槃図といえます。そこには、上部に釈迦入滅の日(旧暦2月15日)といわれる十五夜の美しい満月、天女たちに付き添われた雲上の一団は息子のもとへ向かっている釈迦の生母・摩耶(マヤ)夫人、釈迦を囲んでいる沙羅双樹の木、釈迦を慕い嘆き悲しむ仏弟子たちと動物たちが下部に描かれています。

釈迦の涅槃に際しては様々な動物が集まっていますが、その中には白象や駱駝などの当時日本では見ることができなかった動物や、龍や獅子などの想像上の生き物、蜻蛉や蝶などの小さな昆虫の姿もあります。興味深いのは、ふだんは互いに争いあう動物たちも、この時ばかりは皆そろって釈迦の入滅を悲しんでいます。また、猫が描かれているものは少なく、その理由として、釈迦のために沙羅双樹の木に掛かった薬袋をねずみが取りに行こうとしたら、猫に邪魔されてできなかったとする説、死者の肉体を持ち去り食べてしまう猫を悪性と見る説などがありますが、詳しくはわかっていません。
涅槃像からは、釈迦の入滅というかけがえのない尊いものを失った生きとし生けるものが、そこで何を感じて、その後どのようになったのか? そうしたことを想像して、多くの大切な気づきを学ぶことができるように思います。
最後に当館の近郊にある隠れた人気スポットを紹介します。愛媛県八幡浜市大釜地区の沖合約100mに、ねずみが海上に座っているような形をしているところから「ねずみ島」と呼ばれ、地元の人に親しまれている小さな島(無人島)があります。干潮になると海の中から道が現れて島に行くこともできます。詳しくは八幡浜市観光物産情報サイトをご確認ください。特別展「誕生50周年 ねずみくんのチョッキ展 なかえよしを・上野紀子 想像力のおくりもの」の観覧とあわせて、南予地方の自然と歴史文化の魅力も楽しんでくださいね。
































