昭和13年(1938)に松山の関印刷所が発行した四国遍路道中図(渡部高太郎版)には、「遍路の元祖」と伝えられる(右)衛門三郎(えもんさぶろう)ゆかりの番外霊場や古跡などが紹介されています。
衛門三郎伝説には諸説ありますが、元禄3年(1690)の真念『四国遍礼(へんろ)功徳記』には、以下のような物語が紹介されています。
予州浮穴郡の衛門三郎は貪欲な人で、托鉢に訪れた僧の鉢を杖で8つに打ち割わると、8人の子が8日で次々に亡くなりました。そのことに驚き、悔やみ、発心して三郎は四国遍路に出ます。21回目に逆打ちで遍路を行ない、阿波国の焼山寺の麓で生き倒れ、臨終の際に大師に出会い、領主河野氏に生まれ変わることを願います。大師は石に衛門三郎の名前を書いて手に握らせます。その後、河野氏にその石を握った子が生まれ、その子は成長して河野家を継ぎ、松山に安養寺を再興して、その石を納めて石手寺と寺名を改め、河野家は数百年繁栄しました。この話は長い物語で、石手寺の縁起等に記されています。
次に、四国遍路道中図(渡部高太郎版、当館蔵)に記載する衛門三郎ゆかりの伝説地を見てみましょう(写真①)。


〇文殊院徳盛寺(もんじゅいん・とくじょうじ。愛媛県松山市恵原町)
道中図に示す巡拝指道(巡拝ルート)では、四国八十八箇所霊場第47番熊野山八坂寺から4丁とあります。番外霊場を示す薄赤色印に「四国遍路巡拝根本道場 文殊院 徳盛寺」と記され、「衛門三郎古蹟 同 八塚」と併記されています。徳盛寺発行の『四国霊場遍路元祖 衛門三郎八塚の由来』(個人蔵、写真②)によると、弘法大師が衛門三郎を弔うために衛門三郎の屋敷に徳盛寺を移させ、文殊菩薩の御恵みから寺号を文殊院と称したと記されています。文殊院には「衛門三郎四行記」「遍路開祖衛門三郎四行記絵伝」などが残されています。

〇八塚(やつづか。同上)
衛門三郎の8人の子どもたちの墓と伝えられています(写真③)。前述の『衛門三郎八塚の由来』によると、「この八つの塚墓は今猶附近田甫に散在の哀れをとどめけるがその位牌所文殊院はかくも大師の御心を籠め置かれし霊妙不思議の御跡なれば大師の御迹を慕ふものの忘るべからず所なり」と記されています。八塚は古墳時代末期の群集墳(松山市指定史跡「八ツ塚群集古墳」)であることがわかり、後世に衛門三郎と弘法大師伝説に結び付けられたことが推察されます。

〇小村大師(愛媛県松山市小村町)
道中図の巡拝ルートによると、文殊院徳盛寺の次は「番外 小村大師」とあります。小村大師は別名「札始大師堂」(写真④)と呼ばれ、伝承によると、弘法大師のあとを追った衛門三郎はこの堂を訪ねて、大師が刻んだ尊像に懺悔し、その帰りを待ちますが大師は現れなかったため、木を削り、札に自分の名前を記して、堂の柱に打ち付けました。遍路の「納札」という行為の始まりとされています。

〇杖杉庵(じょうしんあん。徳島県名西郡神山町)
道中図には、第12番札所焼山寺と第13番大日寺の間に「衛門三郎墓地 杖杉庵」と記されています。杉杖庵縁起によると、この場所は衛門三郎が21回目の遍路でついに弘法大師に巡りあった終焉の地と伝えられています(写真⑤)。杖杉庵の名前の由来は、三郎の死後、大師は持っていた杉の杖を墓標として立て、やがてその杖が大杉となり、この地に庵が設けられたことに基づきます。杖杉庵で発行された弘法大師と衛門三郎の刷り物(当館蔵、写真⑥)には、衛門三郎が大師に許しを乞う場面が描かれています。


〇石手寺(四国八十八箇所霊場第51番札所。愛媛県松山市石手)
道中図には衛門三郎の記載はありませんが、石手寺には寺号の由来となった衛門三郎伝説が記された初見史料とされる永禄10年(1567)の紀年銘がある「石手寺刻板」、寺名の由来となった「玉の石」、江戸時代の衛門三郎略縁起(巻子本)など、衛門三郎伝説の貴重な史料が残されています。石手寺では薬師信仰、弘法大師信仰、熊野信仰、阿弥陀信仰などの多様な信仰が展開し、衛門三郎伝説は石手寺の歴史のみならず四国霊場の特色や四国遍路の歴史を考える上でとても注目されます(『研究最前線 四国遍路と愛媛の霊場』愛媛県歴史文化博物館、2018年参照)。
四国遍路道中図(渡部高太郎版)にとりあげる衛門三郎ゆかりの番外霊場や古跡は、現代の歩き遍路が訪れる巡礼地としても定着しています。江戸時代以来、四国遍路の歴史を語る上で欠くことができないのが衛門三郎伝説といえます。
衛門三郎伝説には、修行中の僧侶や巡拝中の遍路は弘法大師の化身と見なし、親切に接してお接待を施すなどの功徳を積むことの必要性、札挟みや納札などを用いる四国遍路の作法、尋ね人・弘法大師に出会うことができる逆打ちの神秘性、遍路を成就すると死出の旅路から再生できる、四国遍路は繰り返し行う連続性のある円環的な巡礼、熊野修験や念仏聖と衛門三郎伝説の関係性など、四国遍路という独特な巡礼の構造を理解するための重要な要素が数多く含まれています。今後の研究が期待されます。


















































