愛媛県松山市の松山観光港と福岡県北九州市の小倉港を結ぶ「松山―小倉航路」(写真①)が本年6月末で廃止されます。運営する松山・小倉フェリー(株)(松山市)の報道発表によると、令和2年(2020)以降、新型コロナウイルスの影響により、乗客やトラックなど車両の利用が大幅に落ち込み、加えて燃料価格の高騰や船の老朽化により、これ以上の運航継続は困難と判断し、航路廃止の決断に至ったとのことです。

松山―小倉航路は旧関西汽船(株)(大阪市)が昭和48年(1973)に開設し、平成25年(2013)3月末に「フェリーさんふらわあ」が松山-小倉航路から撤退したことを受けて、石崎汽船(松山市)が松山・小倉フェリーを設立して運航を引き継いできました。筆者も松山・小倉フェリーに乗船したことがありますが、夜間の時間を有効活用できるうえ、設備も行き届いており、快適に移動することができました。今回、松山と九州を結ぶ唯一の航路が廃止されることにより、愛媛にとっては人流と物流の両面でマイナスの影響が心配されます。
四方を海で囲まれた四国にとって定期航路の廃止は、人々の生活、観光、経済などへの影響が懸念されます。四国遍路においては、四国外から巡拝に訪れる遍路の交通手段の選択肢が少なくなるだけでなく、遍路の行程、宿泊地、経費など四国遍路全般の計画にも少なからず影響を与えるものと思われます(本ブログ13「四国に渡る汽船と巡拝方法」参照)。
四国遍路にとって九州と松山を結ぶ航路がいかに重要であったか、近代の四国遍路の資料から考えてみましょう。
四国遍路道中図では大正6年(1917)の駸々堂版に「三津ヶ浜上陸 九州北地方ハ五十二番の太山寺より始むるがよし」、昭和13年(1938)の渡部高太郎版に「高浜三津浜上陸 山口県九州北地方ハ五十二番太山寺ヨリ始ムルガヨシ」と記され、松山の港は山口・九州北方面からの上陸港として長年、数多くの遍路にも利用されてきました(当館蔵、写真②)。

昭和10年(1935)の四国遍路案内記である武藤休山編『四国霊場礼讃』(大澤自昶著作権発行人)によると、「山口県の西部、福岡、佐賀、長崎県、及び台湾、朝鮮、満州、方面の方は門司、下の関より乗船して高浜に上陸するのが最大便利である」(個人蔵、写真③)と記されています。戦前には福岡県・門司港及び山口県・下関港と愛媛県・高浜港を結ぶ定期航路が就航され、このルートは山口・九州方面のみならず、遠く海外の台湾、朝鮮、満州から福岡を起点にして四国に上陸する重要な瀬戸内海航路であったことがわかります。

同書にはさらに、「門司発の汽船は毎朝六七時頃に着船するから、高浜に上陸したら順に廻る人は会社の裏より霊仙洞を経て五十二番太山寺へ行くが極近道で僅に十丁余である(中略)順拝し終りには五十一番石手寺を打納め道後にてゆるゆる入湯でもして天候を見合せ午後より支度して太山寺並に霊仙洞へ礼参りして四時の夜汽船に乗れば夜明に門司、下関に着船す」とあり、高浜港上陸後のお奨めの四国巡拝の方法が記されています。なお、霊仙洞は高浜港から太山寺に至る経ヶ峰越への山道沿いにある霊窟ですが、現在廃墟と化しています。
戦後、松山と九州を結ぶ定期航路は、昭和25年(1950)の瀬戸内海航路の時刻表によると、旧関西汽船によって「今治―門司線」が就航されています。上り便は門司(17:00)⇒高浜(4:00)⇒今治(8:00)、下り便は今治(17:00)⇒高浜(20:30)⇒下関(7:30)⇒門司(8:30)のダイヤで隔日に運航され、愛媛県の高浜港に加えて今治港まで寄港地が延伸されています(個人蔵、写真④)。

次に、九州北部(福岡県)から海を渡って四国霊場を巡拝した遍路の資料を見てみましょう。
明治時代の筑前国宗像郡(福岡県宗像市・福津市)の講中札があります(当館蔵、写真⑤)。講中札とは四国八十八箇所霊場の巡拝を目的として結成された講(団体組織)で作成した納札のことで、諸事情のために四国遍路を行うことが難しい人たちが村や町などを単位にグループを作り、定額の積立を行い、目標額が貯まると代参者を選び、代参者は四国遍路へと出立し、札所で参拝した証として講中札を納めました。本資料には中央に「修行大師像 奉納四国八拾八ヶ所霊場 明治 年 先達 」と記され、講員と世話人の名前が記されています。また、墨書で代参者のものと見られる「日月清明 筑前国宗像郡田嶋村 奉納四国八十八ヶ所霊場 むま 同行二人」と記された納札が貼付されています。宗像郡の遍路がどのようなルートで福岡から四国に上陸したのかは不明ですが、最短の航路を考えると松山上陸ルートが想定されます。

同じく宗像郡野阪村出身の女性遍路が明治35年(1902)頃に伊予(愛媛県)・阿波(徳島県)・讃岐(香川県)の三国参りを行った納経帳(個人蔵、写真⑥)があります。最初の頁には第58番仙遊寺、第59番国分寺(愛媛県今治市)の札所の番号印のみで、実際の納経は番外霊場の「御来迎臼井泉」(道安寺、愛媛県西条市)から始まっています。この女性遍路は、おそらく福岡から愛媛の今治もしくは松山に上陸して四国遍路を始めたものと推察されます。

今回の「松山―小倉航路」の廃止を受けて、四国遍路の歴史を振り返ると、遍路の出身地と四国入りの航路との関係によって、上陸後の四国巡拝の巡り方が変わり、航路の数ほど四国遍路の多様な姿があったと考えられます。航路の変遷と地域ごとの四国霊場巡拝の特色を捉えることは、四国遍路の移り変わりを探る上で注目されます。
















































