大正~昭和時代(戦前)を中心に発行された「四国遍路道中図」の入手方法について考えてみます。
戦前の四国遍路の詳細な案内記に昭和6年(1931)に発行された安田寛明『四國遍路のすすめ』があります。そこには「地図は御四国巡拝中、遍路にとりては道中の宝なり、僅か一枚六七銭である、持参して時折開き見て我が心に慰安を求めなさるよう。」とあります。
ここでいう地図とは、具体的な地図名までは言及していませんが、当時発行された四国遍路地図を年代的に見ると、大阪の和楽路屋発行の「四国遍路八十八所巡禮地図」、大阪の駸々堂や四国内の巡拝用品店などで発行された四国遍路道中図の可能性が高いと考えられます。
遍路地図は金額的に安価ですが、買い求めて活用することで心の慰安を得ることができる「道中の宝」として紹介されています(本ブログ40「道中の宝」参照)。四国遍路に限らず、見知らぬ土地を旅する時、目的地の案内地図があれば道に迷うことなく、その土地の様々な情報や魅力を知ることができます。地図を所持することは旅の不安から解放され、安堵感や期待感を得ることにつながります。
大正7年(1918)に24歳の若さで四国遍路を行った高群逸枝(たかむれいつえ、1894-1964)は、郷里の熊本から四国へ旅立つにあたり、上陸した愛媛県八幡浜で遍路地図を購入したことを、その遍路体験を綴った『お遍路』(昭和13年刊)に記しています。高群の事例にように、遍路地図の入手方法は巡拝を開始する前、四国の上陸地の巡拝用品店などで購入することが一般的であったと考えられます。
しかしながら、徳島を中心に四国内で発行された「四国遍路道中図」の場合は、発行・販売店の商売競争として「四国遍路道中図」が接待品・広告物として無料で配布されていました(本ブログ29・30「切幡寺周辺で発行された四国遍路道中図」参照)。
遍路が四国遍路を行うにあたり、四国への出発港となる大阪などの都市、撫養港などの四国の上陸地や巡拝を開始する札所周辺で遍路地図や案内記を買求めるのが一般的な事例といえます。その観点からいえば、徳島県の内陸部に位置する第10番札所・切幡寺は最初の巡拝札所となる可能性は低く、そこで道案内用の「四国遍路道中図」を購入することは考えにくく、切幡寺周辺で発行された巡拝用品店や宿屋の店名入りの「四国遍路道中図」は、広告入りの接待品として、切幡寺に向かう遍路道沿いなどで無料で配布されたものが多かったと推察されます。
興味深いのは『四國遍路のすすめ』に「御四國地の土産物は切幡寺の登り口に、商家が沢山ある。好む品物安く買いなさるがよい。」と記されているように、切幡寺周辺の巡拝用品店は商売競争によって四国中のどこよりも安く土産品が購入できたようです。そのため「四国遍路道中図」も格安で買い求めることができ、四国遍路の土産品として購入されたケースが多かったと考えられます。土産品を多く買った遍路に店名が入った「四国遍路道中図」をお礼品として配布していたことも想像されます。
一方、愛媛県西条の女性遍路の所持品に、切幡寺参道の金山商会が昭和9年(1934)に発行した四国遍路道中図(写真①、当館蔵)と遍路日記などが残されています(本ブログ11「実際に使用された四国遍路道中図」参照)。日記には女性が遍路のために出発前に地元の仏具店で準備した遍路用品の買い物記録や巡拝の日程、道中の費用などが記録されています。ただし切幡寺では「サイセン三銭」と記すのみで、四国遍路道中図などを購入した記録は確認できません。接待品として無料で入手したものなのか不明です。

接待品・広告物として無料で配布された「四国国遍路道中図」について考える際に参考となる事例に、昭和13年(1938)に松山市萱町の関印刷所が発行・印刷した「四国遍路道中図」(心臓薬本舗渡部高太郎版、写真②、当館蔵)があります。本図には発行者の渡部高太郎が経営する周桑郡徳田村(愛媛県西条市丹原町)の心臓薬本舗の心臓薬の宣伝広告が大きく掲載されています(本ブログ28「心臓薬本舗渡部高太郎版と広告性」参照)。裏面の大部分に四国遍路とは直接関係のない商店の宣伝広告を占めるような「四国遍路道中図」を遍路が実用として土産品としても買い求めるとは想像しがたく、渡部高太郎版は自社の広報を目的とした無料配布用の四国遍路地図として作成されたものと考えられます。心臓薬本舗の立地が愛媛の番外霊場の生木地蔵や西山興隆寺にも近く、病気平癒などで巡拝する遍路が多かったことが本図発行の背景にあったと推察されます。

四国遍路道中図の入手方法は、概して、通常の有料出版物として購入するケースと、広告入りの無料の接待品とがあり、大阪などの都市部で発行された駸々堂版は前者、四国内で発行された四国遍路道中図の一部は後者であったと考えられます。四国内で発行された四国遍路道中図の性格を考える上で注目したいのは、広告記載の無料接待品であり、四国特有の接待習俗と結びついていること、地図としての実用品以上に四国遍路の土産品として購入された点にあるといえます。