民俗展示室3「四国遍路」の展示替えを行いました。今回新たに展示した館蔵資料について紹介します。
①『御府内八十八ヶ所道知るべ』3冊 慶応2年(1866)

御府内とは江戸時代、町奉行の支配に属した江戸の市域を指します。御府内八十八ヶ所は、政治・文化の中心である江戸において開創された四国遍路の写し霊場(地四国)のことで、開創は江戸時代中期の宝暦5年(1755)と伝えられています。創始者は定かではありませんが、信州浅間山真楽寺の憲浄僧正と下総国松戸宿の諦信が協力して開基した説、31番多聞院の正等和尚開基説などがあります。開創以来、幾多の戦災や天災に見舞われ、札所の場所が移転しているところが多く確認されます。
本書は江戸の御府内の八十八ヶ所の案内書であり、札所ごとに道案内や縁起、該当する本四国の札所の御詠歌、境内の景観などが絵入れで紹介されています。絵師は歌川広重の門人で『名所江戸百景』などを手掛けた二代広重画。発願主は江戸の大和屋孝助、三河屋利兵衛。
②小豆島八十八箇所霊場案内絵図 昭和15年(1940)

風光明媚な瀬戸内海国立公園の真ん中に位置する小豆島(香川県小豆郡小豆島町・土庄町)には、空海が故郷の讃岐国と京の都を往復する際に小豆島に立ち寄り修行を行ったという弘法大師伝説があります。そうした伝説を背景に、貞享3年(1686)、小豆島の僧が結集し、島一円を霊域とする小豆島八十八箇所霊場が開創したと伝えられます。
小豆島霊場は地元で「本四国」に対して「新四国」ではなく、「元四国」と呼ばれ、島の山谷や自然の地形を利用した山岳寺院の札所が多く、古くからの「行場」と伝えられる修行場が存在します。
遍路道は全長約145㎞、日程的に徒歩は7~8泊、自転車4~5泊、車3~4泊を要します。春の巡拝シーズンには遍路にお接待が行われています。小豆島霊場は知多四国(愛知県)、篠栗四国(福岡県)と共に「日本三大新四国霊場」に数えられています。
本図は凡例にあるように、寺院、仏堂、番外奥之院、納経出所数、順拜道路、郵便電信局、宿屋、名所古跡、巡航船路、渡船場、汽船航路、不定期汽船、車馬道、坂道まで記載され、小豆島八十八ヶ所霊場絵図の中でも詳細な案内図となっています。特に小豆島への航路便が分かり易く記載され、本図に示す距離は正確な実測に基づいた数値で記されています。
この他、江戸時代からの旧遍路道の景観が残されて、国史跡「伊予遍路道」に追加指定された岩屋寺道と浄瑠璃寺道の写真パネルなども新たに展示しました。ぜひ博物館の常設展示室「四国遍路」をご覧ください。
なお、四国霊場の写し霊場については、令和4年度特別展図録『浄土寺・浄瑠璃寺と写し霊場』(2022年)で紹介しています。当館のミュージアムショップで販売中です。詳しくは当館ホームページ「調査・研究」の「展示図録」でご確認ください。





































