四国八十八箇所霊場には、第75番善通寺(香川県善通寺市)の樹齢千数百年といわれる大楠、第2番極楽寺(徳島県鳴門市)の樹齢千二百年余りとされる長命杉、第5番地蔵寺(徳島県板野町)の樹齢八百年と伝える大銀杏など、いにしえの名木が存在し、それらは霊木として崇められ、札所寺院のシンボルになっています。
四国霊場の境内に多く見られるのが松です。松は神仏がこの世に現れた姿を意味する「影向(ようごう)の松」や、神が降臨する際の依り代(よりしろ)とされた「羽衣(はごろも)の松」などのように、古来より「神聖な木」とされています。また、厳寒に緑色を保つ松は「不老長寿の象徴」とされ、「松竹梅」に表現されるように「おめでたい樹木」として私たちの生活に根付いています。
四国霊場の松は「大師松」「弘法大師手植えの松」「三鈷(さんこ)の松」などの名称が示すように、弘法大師伝承をもつものが多いのが特徴と言えます。樹齢の長いものや枝振りや樹形の優れた名松が存在しました。
第72番曼荼羅寺(香川県善通寺市)には、弘法大師が手植したと伝えられる、遍路が被る菅笠(すげがさ)を2つ重ねたような珍しい樹形の「不老松」(通称「笠松」)が生育していました(写真①)。縁起によると、曼荼羅寺の創建は四国霊場で最も古い推古4年(596)と伝えられます。

江戸時代後期、寛政12年(1800)の『四国遍礼(へんろ)名所図会』に「松の大樹 方丈の庭にあり」と本文に記載されているのが不老松と推察されます。昭和9年(1934)の安達忠一『同行二人 四国遍路たより』には「境内に大師御手植不老松と言う周囲三十間、高さ二間の菅笠を二つ伏せたような恰好の良い松があり」と記され、昭和63年(1988)の平幡良雄『四国八十八カ所(下)伊予・讃岐編』には「樹の高さ四㍍、枝葉は東西へ十七m、南北十八m、円形のカサ形をした美しい老松である」と紹介されています。不老松は平成14年(2002)春、松くい虫(「マツノマダラカミキリ」の通称)の被害によって枯死(こし)しましたが、その幹を用いて、弘法大師像が刻まれて「笠松大師」として生まれ変わっています(写真②)。

また、第51番石手寺(愛媛県松山市)には「門前の松」と呼ばれた独特な樹形をした名松がありました。
『四国遍礼名所図会』収録の石手寺図版に描かれた門前の松がそれにあたるものと推察されます。昭和25年(1950)の橋本徹馬『四国遍路記』に「此寺は境内の入口に蟠踞(ばんきょ。「根を張る」の意味)せる松の巨木及び、同所にある源頼義の供養塔が、既に参拝者をして尋常の寺にあらざる事を思はしめる」とあり、石手寺の名所として絵葉書にも紹介されています(写真③)。

昭和37年(1962)の北川淳一郎『熊野山石手寺』(石手寺発行)には、「種類は黒松で、根廻り四米、地上三米で二大樹幹に分岐するとともに、極めて面白く迂回錯綜している。東西に延びる二大枝は周囲各々一米半もある。樹高は低くて十米を出でない。枝張りは、西方に五米、北西に十米、北東方に九米。全体の容姿が誠に美事だ。樹齢は専門家にきくと、先年枯れた今治国分寺の天皇松は年輪を数えると九百年、これの半分と見て、高々五百年から六百年ぐらいのものだろうと云う」と紹介しています。門前の松は昭和30年(1955)11月4日に愛媛県の天然記念物に指定されましたが、松くい虫の被害によって枯死し、昭和55年(1980)3月21日に指定解除されました。
今治国分寺の「天皇松」とは、第59番国分寺(愛媛県今治市)に生育していた聖武天皇ゆかりの松のことです(写真④)。天平勝宝3年(751)、聖武天皇の病気平癒のために新薬師寺(奈良市)で衆生の救済と延命を祈願した大法会が行われた際、国分寺でも法会が行われ、その際に植えられた松と伝えられています。昭和24年(1949)9月17日に愛媛県の天然記念物に指定されましたが、台風による倒木被害によって、昭和30年(1955)11月4日に指定解除されました。

その他、四国霊場の有名な松として、第40番観自在寺(愛媛県愛南町)の「平城天皇御手植えの松」(昭和19年の台風で倒木。本ブログ47「第40番観自在寺と平城天皇」参照)、番外霊場の延命寺(愛媛県四国中央市)の弘法大師手植えと伝える「誓い松」(昭和43年枯死。写真⑤)などがあげられます。

これらの事例を見ると、一般に松の寿命は杉や檜などに比べると短く、台風や害虫等の被害を受け易いため、現在の四国霊場では松の老木・古木が少ない傾向にあります。
ところで、弘法大師ゆかりの松で最も有名なのは高野山(和歌山県高野町)にある「三鈷(さんこ)の松」です(写真⑥)。次のような弘法大師伝説が残されています。

大同元年(806)、弘法大師が唐から帰国する時、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、出航する港から東の空に向けて、密教法具の「三鈷杵(さんこしょ)」を投げたところ、金色の光を放ちながら、紫雲の中に消えていきました(写真⑦)。帰国後、高野山の松の木に唐より投げた三鈷杵がかかっているのを発見し、大師は密教を広めるにふさわしい場所であると決心し、高野山に真言密教の道場を開山しました。

「霊場高野山一千百年御遠忌記念葉書」のタトウ(収納袋)には高野山開創の象徴とされる「飛行三鈷」がデザインされています(写真⑧)。ちなみに普通の松の葉は2葉か5葉ですが、三鈷の松は三鈷杵のように3葉であり、参拝者は縁起物として落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされています。

以上、四国霊場と松について見てきました。八十八ヶ所霊場の札所の縁起類に記載する創建年より、境内に生育する老木の樹齢の方が古いと推察される事例も確認されます。松をはじめとする四国各地の神聖な古木の存在は、霊場の誕生や札所の成立背景を探る上でとても注目されます。