


まもなく77回目の終戦の日を迎えます。今回は戦時下の県立松山中学校(現松山東高校)の生徒が記載した日記を紹介します。
日記を記したのは橋爪陽一(1927~2014)さん。橋爪さんは伊予市中山町に生まれ、昭和15(1940)年に松山中学へ入学しました。戦局の悪化に伴い同19年8月から新居浜市の住友機械工場で勤労動員に従事しました。勤労動員では機械作業で怪我をしたり、集団生活で赤痢に苦しめられたりしたようです。そのなかでも寸暇を惜しんで勉強し、松山高等学校に合格しました。翌年、松山高等学校(現愛媛大学)に入学したものの勤労動員は継続され、授業が開始されたのは10月からでした。
昭和20年7月26日、松山は空襲を受けますが、数日後その惨状をスケッチで残しています。実家で終戦を迎えた橋爪さんは「驚嘆、失望、落胆、甚だしき立腹」と記載しています。大きなショックだったのでしょう。戦後は進駐軍に嫌悪感を抱きながらも、日本人が「世界の公民」となるため、日本のことを知ってもらうことが必要だとも述べており、心境の変化がうかがえます。
多感な10代の時期を戦時下に生きた橋爪さん。その日記は77年の時を経て、私たちに平和の尊さを訴えています。本資料は歴史展示室4(近・現代)の戦争コーナーで展示しています。








