今回は昭和13年(1938)発行の四国遍路道中図(当館蔵)から、四国遍路における鉄道利用について、伊予(愛媛県)の事例を紹介します。
本図の凡例には「鉄道及停車場」「電鉄及軌道」「未成線」などの記号があり(写真①)、戦前の四国の鉄道網がわかります。愛媛県内では、鉄道省による省線(旧日本国有鉄道)と伊予鉄道の横河原線、森松線、郡中線などの路線が確認できます。
写真① 凡例(「四国遍路道中図」部分)
その中でも四国の鉄道で最長路線となる予讃線(当時の路線名称は「予讃本線」)は、高松駅(香川県高松市)から松山駅(愛媛県松山市)を経て、宇和島駅(同県宇和島市)に至ります。予讃線の歴史は明治以降に讃岐鉄道、山陽鉄道、愛媛鉄道などの各地域における民間会社による鉄道(私鉄)の開通、その後の買収、路線の編入、国有化などを経て、順次、路線が延伸されました。全線が開通したのは終戦間近の昭和20年(1945)6月20日で、最後の不通区間であった八幡浜駅(八幡浜市)~卯之町駅(西予市)の開業によって達成されました。
本図で予讃線(予讃本線)を確認してみましょう。本図発行の昭和13年頃は全線開通以前のため、高松駅から新居浜駅、今治駅、松山駅、長浜駅、大洲駅を経て平野駅(伊予平野駅、大洲市)までの区間が開通していることがわかります(写真②③)。
写真② 予讃線(高松駅~松山駅「四国遍路道中図」部分)
写真③ 予讃線(松山駅~平野駅「四国遍路道中図」部分)
本図に示す予讃線の愛媛県内の駅を東予→中予→南予の順に列記しました。参考のため( )内に現在の駅名、所在地、開業年、最寄りの主な四国霊場などをあげます。※印は予讃線関連の古い絵葉書(当館蔵)を紹介します。
・川之江駅(四国中央市、大正5年開業。第65番三角寺)
・イヨ三島駅(伊予三島駅、四国中央市、大正6年開業)
・イヨ土居駅(伊予土居駅、四国中央市、大正8年開業。番外霊場延命寺)
・タキ浜駅(多喜浜駅、新居浜市、大正10年開業)
・新居浜駅(新居浜市、大正10年開業)
・中萩駅(新居浜市、大正10年開業)
・西條駅(伊予西条駅、西条市、大正10年開業)
・石鎚駅(石鎚山駅、西条市、昭和4年開業。第64番前神寺)
・小松駅(伊予小松駅、西条市、大正12年開業。第60番横峰寺、61番香園寺・62番宝寿寺・63番吉祥寺)
・壬生川駅(西条市、大正12年開業)
・三芳駅(伊予三芳駅 西条市、大正12年開業)
・櫻井駅(伊予桜井駅 今治市、大正12年開業。第59番国分寺)
・富田駅(伊予富田駅、今治市、大正13年開業)
・今治駅(今治市、大正13年開業。第55番南光坊)
・波止浜駅(今治市、大正13年開業)
・大井駅(大西駅、今治市、大正13年開業。第54番延命寺)
・菊間駅(今治市、大正14年開業。番外霊場遍照院)
・北條駅(伊予北条駅、松山市、大正15年開業)
・三津駅(三津浜駅、松山市、昭和2年開業、第52番太山寺)
・松山駅(松山市、昭和2年開業) ※(写真④)
写真➃ 絵葉書「松山国鉄停車場」(当館蔵・灘口コレクション)
・北伊豫駅(北伊予駅、伊予郡松前町、昭和5年開業)
・南郡中駅(伊予市駅、伊予市、昭和5年開業)
・上灘駅(伊予上灘駅、伊予市、昭和7年開業)
・下灘駅(伊予市、昭和10年開業)
・長濱駅(伊予長浜駅 大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業)
・上老松駅(伊予出石駅、大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業。番外霊場出石寺)
・加屋駅(伊予白滝駅、大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業)※(写真⑤)
写真⑤ 絵葉書「伊予国喜多郡白瀧村 大越隧道東口愛媛鉄道大洲行列車 左ハ相生川岸」(当館蔵・灘口コレクション)
・八多喜駅(大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業)
・五郎駅(大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業。番外霊場十夜ヶ橋)
・大洲駅(伊予大洲駅、大洲市、愛媛鉄道が大正7年に開業)
・平野駅(伊予平野駅、大洲市、昭和11年開業)
こうしてみると、予讃線は東予地方から次第に中予地方へ、そして南予地方では愛媛鉄道を買収して路線に組み入れるなどして延伸していく過程がわかります。また、大正9年(1920)に愛媛鉄道の内子線の駅として開業して、昭和8年(1933) に国有化された内子駅も確認できます。また、平野駅~八幡浜駅(八幡浜市)、八幡浜駅~宇和島駅までの区間は未成線として記載されています(写真⑥)。
写真⑥ 予讃線(平野駅~宇和島駅「四国遍路道中図」部分)
これらからわかることは、本図は予讃線全線開通前の四国の鉄道網の様子が見て取れます。厳密にはすべての駅を記載していませんが、注目したいのは、こうした最新の鉄道情報が四国遍路道中図の内容に随時、反映されている点です。遍路に限らず交通インフラの整備は今も昔も四国にとって最大の重要な関心事であるといえますが、従来の伝統的な歩き遍路による巡拝のほかに、鉄道などの新交通手段を積極的に活用した遍路が増加する時代背景が読み取れます。
昭和9年(1934)の四国遍路のガイドフック・安達忠一『同行二人 四国遍路たより』によると、次に参拝する札所ごとに、予讃線を利用した順路と運賃が記載されています。
・番外出石寺(大洲駅~長浜駅、25銭)
・第52番太山寺(松山駅~三津浜駅、7銭)
・第53番圓明寺(松山駅~和気駅、13銭)
・番外遍照院(和気駅~菊間駅、35銭)
・第54番延命寺(菊間駅~大井駅、16銭)
・第55番南光坊(菊間駅~今治駅、33銭)
・第60番横峰寺(桜井駅~小松駅、27銭)
・番外延命寺(石鎚山駅~土居駅、47銭)
・第65番三角寺(土居駅~三島駅、18銭)
予讃線の場合、愛媛ではとくに中予・東予地方の札所へのアクセスに利用されています。
四国遍路において鉄道利用は、巡拝のルート変更、巡拝先や巡拝順序、宿泊先の変更、所要時間の削減などいろんな点で影響を与え、四国遍路の旅の様相が変わりました。時間的且つ体力的に余裕が生じた遍路は、起点となる駅周辺の名所旧跡などを見学コースに採り込んだ観光を主とした新四国遍路プランの登場、一日の本数が少ない鉄道の時刻に制約されて、本来参拝していた番外霊場などを割愛する現象も生じました。いずれにせよ、近代以降の鉄道の発展・普及によって、四国遍路の大衆化や観光化が一層促進されたと考えられます。
なお、松山地方の伊予鉄道、南予地方における宇和島鉄道と四国遍路については別途紹介したいと思います。