明石寺道は、第42番札所佛木寺(宇和島市三間町)から歯長峠を経由して第43番札所明石寺(西予市宇和町)に至る約10.6㎞の道のりです。急な山道が続き、古道の景観をとどめ、このうち宇和島市側の約0.58㎞が令和6年2月21日付けの官報告示によりに国史跡「伊予遍路道」に追加されました。
今回は「四国遍路道中図」と案内記の記述をもとに、佛木寺から明石寺までの巡拝方法について紹介します。
まずは、昭和13年(1938)の「四国遍路道中図」(渡部高太郎版)で明石寺道を確認してみましょう(写真①)。

佛木寺から明石寺までは下宇和を経由して「三リ廿丁」と記されています。途中の難所「歯長峠」は本図には表記されていませんが、近隣の宇和島から吉田、立間を経由して卯之町に至る別ルート上には「法華津峠」と記されています(写真②)。

昭和9年(1934)の安達忠一による四国遍路ガイドブック『同行二人 四国遍路たより』には、徒歩による歯長峠経由の明石寺道の様子が詳しく紹介されています。
「次(明石寺)へ二里二十四町。交通機関を利用する人は一端宇和島迄帰らねばなりません。前方長く松の頂きを揃えた峯が見えますが、それに続いて左の端の高い山が高森山で、右手の丸い岩山は昔城のあったところ、その峯に続いたところがこれから越えていく標高五一〇米歯長峠であります。寺から峠までは二十六町。仁王門を出て右へ七町行き左へ橋を渡って池の端まで一町、峠まで十八町の登りです。(中略)峠には大師御自作の見送り大師を安置する送迎庵があります。こゝから四十三番まで一里三十四町。十六町下って左へ九町にて右へ宇和川の土橋を渡ると下川で、道引く大師堂があります。四十三番まで一里九町。左手を見ますと歯長峠、高森山、法華津峠と三つの順を揃えています。皆田、稲生を経て三十町にて卯之町の入口岩瀬川を渡り、一町行って立石を右へ小径に入り、十町行くと右手に四十三番奥の院があります。白王権現が御祀りしてあり、その盤石は龍女が此処まで運んだ時夜が明けましたので、その儘置き去ったという明石寺の名の出たところであります。一町行って左へ石段を上って三町行くと四十三番であります」と記されています。
実際に徒歩で明石寺道の歯長峠に向かう場合、佛木寺仁王門前からは北側に高森山と歯長峠を見渡すことができます(写真➂)。峠の上り口に「(手印)へんろみち」と刻まれた明治36年(1903)の遍路道標石(写真④)があり、歯長峠山頂(写真⑤)には送迎庵、下り道には地元の皆田村の和平冶らが願主となって寛政7年(1795)に建てた、「(大師像)明石寺 是ヨリ二里」と刻まれた遍路道標石(写真⑥)などがあり、江戸時代からの遍路道の面影が残っています。




一方、近代に入ると、宇和島鉄道(後の省線宇和島線)の開通、道路の整備と自動車の普及などによって、佛木寺参拝後に歯長峠を通らずに明石寺を巡拝するコースが利用されました。その場合、鉄道や自動車などを利用して、再び宇和島に戻り、法華津峠越えで卯之町を経由して明石寺を参拝するルートとなります。なお、宇和島鉄道(省線宇和島線)の利用については、当ブログ(昭和時代の「四国遍路道中図」から見た遍路事情⑦―鉄道・宇和島鉄道―https://www.i-rekihaku.jp/gakublo/kanzou/8552)をご参照ください。
特に自動車を活用した四国霊場巡拝は急速に進みました。前述の『同行二人 四国遍路たより』には各札所にアクセスするための乗合自動車の路線と運賃が記載されています。明石寺の場合、歯長峠を下った地点に位置する下川集落から卯之町までが三十銭、宇和島~卯之町間が一円四十銭であったことがわかります。
昭和5年(1930)の島浪男『札所と名所 四国遍路』には、「宇和島から吉田を経、法華津峠を越して車は卯之町の入口でとまる。法華津峠は標高四三六米、眼下に見る法華津の漁村や法華津湾が美しい(中略)私は、四国の旅で面白いのは何だと聞かれたら、躊躇なくその一つとして、自動車で峠を越す時の快味を挙げよう。自動車は―それは勿論乗合のガタ自動車ではあるが―忽ちにして峠のてつぺんから下界へ向けて、殆んど舞ひ下るやうに私達の身体を運んでくれるのだ」と紹介しています。島は乗合自動車を利用して、法華津峠経由で明石寺に向かっているが、その途中の宇和海の絶景を称え、四国の旅の醍醐味は自動車で峠越えすることにあると説いています。
また、弘法大師御入定1100年記念にあたる昭和9年(1934)に自動車による四国巡拝を行った時の写真集『四国霊蹟写真大観』には、自家用車で佛木寺を巡拝した写真が収められています(写真⑦)。

戦後、道路開発や自動車の普及にともない、札所の参拝道や駐車場などが整備され、マイカー遍路や巡拝バスによる団体遍路が飛躍的に増加します。
「四国遍路道中図」と案内記から、昭和時代(戦前)の明石寺への巡拝方法を紹介しました。伝統的な徒歩遍路に加えて、自動車遍路が増えていく様子がわかり、今日の四国遍路におけるモータリゼーションの先駆けを見ることができます。

















































