‘資料調査日記’ カテゴリーのアーカイブ

愛媛の祭り16 北条のダンジリ

6月 10日 火曜日

※中予地方 松山市(旧北条市)

旧北条市国津比古命神社の秋祭り、通称「風早火事祭り」に登場します。中に鐘を吊していて、それを強く、カン・カン・カンと叩き、火事の警鐘と似ているため、そのように呼ばれます。

東予や南予地方では、ダンジリ、牛鬼といった山車が見られますが、中予地方では少ないのです。ところが、中予でも北条地方にはダンジリがあり、民俗的に今治市との共通性も見られ、中予と東予の中間地域と見ることができます。

北条ダンジリに似ているものは、今治市菊間町や今治市大浜の秋祭りに見られます。北条地域は松山市に合併しましたが、文化的にも地理的にも松山と今治の中間地点といえます。

愛媛の祭り15 太鼓台の原型「四ツ太鼓」

6月 5日 木曜日

※南予地方 伊方町

屋根は赤紐で布団を締めています。東予の太鼓台では刺繍(ししゅう)装飾を施し、豪華な布団締めに発達させています。台に乗る子供の背中に三角布団が見えますが、太鼓台では刺繍装飾の掛け布団として発達しています。

屋根に布団を乗せた山車(だし)である布団太鼓は、江戸時代に上方で発生したもので、18世紀後半から文化、文政期頃に、現在にように布団を積み重ねた形の太鼓台が、海上交通の発達と相まって西日本各地に伝播(でんぱ)しました。

新居浜市や四国中央市の太鼓台は非常に豪華なものですが、その素朴な形の太鼓台(布団太鼓)が、瀬戸内海の島々や南予地方各地に伝わっています。

愛媛の祭り14 東北の鹿踊(ししおどり)

6月 4日 水曜日

※南予地方関連 岩手県江刺市久田

この衣装の背には「南無阿弥陀仏」と記されており、東北では供養踊りの側面があります。南予では江戸初期に宇和津彦神社の祭に鹿踊りが登場した後、各神社祭に広がったため、供養の要素は見られません。

鹿踊は約400年前に東北地方から南予地方に伝わった民俗芸能です。東北地方の鹿踊は、お盆の時期に踊ったり、お墓や位牌の前で踊ったりと、先祖供養・死者供養の役割があります。これは南予地方の鹿踊には見られない特徴です。

東北地方の鹿踊は、死者供養のためか恐ろしい顔をしています。南予の鹿踊は祝福のために踊るので、優美でやさしい顔をしていますね。

愛媛の祭り13 清水の五ツ鹿踊(いつしかおどり)

5月 31日 土曜日

※南予地方 鬼北町清水(せいずい)

県無形民俗文化財に指定されている鹿踊りです。嘉永6(1853)年に製作された鹿頭が保存されており、音階やリズムも古い形を残す芸能であるといわれています。

南予地方の鹿踊は、今から400年前の江戸時代初期に、宇和島藩初代藩主伊達秀宗が宇和島に入部した折に、仙台から伝えられたと言われているもので、源流は東北地方にあり、宮城県・山形県周辺の鹿踊と共通する点が多く見られます。

鹿踊の布幕は、横のシマ模様になっています。一般的に白・黒・赤・青・黄の五色のシマ模様になっています。これは古代中国から伝わった「五行説」の考え方が取り入れられたものです。

愛媛の祭り12 宇和島市の八ツ鹿踊(やつしかおどり)

5月 28日 水曜日

※南予地方 宇和島市

宇和島の鹿踊は、江戸時代初期に宇和島藩主伊達家の関係で、東北仙台からもたらされた芸能です。慶安2(1649)年に宇和島の裡町から出されるようになり、現在に到っています。

鹿踊は一人立ちで鹿頭をかぶり、胸に太鼓を抱え、布幕で体を覆って踊るもので、南予地方周辺の祭りに登場します。一人立ちの鹿踊は、東北地方をはじめとする東日本に広く分布しているが、西日本では愛媛県南予地方周辺のみで見られます。

鹿踊の歌詞「回れ回れ水車~」は、室町時代に流行した歌ともいわれています。400年前に南予に伝わった芸能なので、それ以前の歌謡が取り込まれているのです。

愛媛の祭り11 南予の唐獅子(からじし)

5月 25日 日曜日

※南予地方 八幡浜市川名津

南予地方の獅子舞は、宇和海沿岸部に多く、唐獅子・荒獅子と呼ばれます。南予の祭りに登場する鹿踊り(ししおどり・しかおどり)と区別するために、獅子舞はこのように呼ばれます。

獅子舞は県下全域に見られますが、東中南予それぞれに特徴があります。南予型の特徴は、名称がカラジシ、もしくはアラジシと呼ばれ、獅子の中に青年二人が入って、華麗な衣装を身につけた少年の打つ太鼓によって舞われるものです。

南予地方では、獅子舞は、特に八幡浜市、西宇和郡に多く伝承され、八幡浜市では「唐獅子競演大会」も行われます。また愛南町の海岸部にも見られます。山間部には比較的少ないようです。

愛媛の祭り10 松山市の獅子舞(ししまい)

5月 22日 木曜日

※中予地方 松山市鷹子町

松山地方の秋祭の主役は神輿と獅子舞です。獅子舞では「今神楽」「とんとこ」「山さがし」など様々な演目があり、狩人や猿・狐が登場し、ストーリー性あふれるのが特徴です。

中予地方の獅子舞は、南予と同じく二人立ちですが、緩急激しく頭を振り、太鼓のリズムも南予に比べて早いのが特徴です。獅子舞を舞う若者は地域の中でヒーロー扱いされ、獅子頭を持って舞う役を任されるまでには約10年間、修業しないといけないといわれる地域もあります。

地域によって獅子頭の形も異なっています。この松山の獅子頭は一本角ですが、角のない獅子頭も多く、東予地方や南予地方では、顔の色は緑ではなく赤色が主流となっています。

愛媛の祭り9 西予市明浜町の牛鬼(うしおに)

5月 20日 火曜日

※南予地方 西予市明浜町狩江

担ぎ手は牛鬼の胴体の中に入ってかついでいますが、南予では体が外に出た形で担ぐ方法が一般的です。江戸時代の絵巻では、この狩浜のような担ぎ方になっており、古い形を留めた牛鬼といえます。

牛鬼の出る祭りは愛媛県南予地方のほぼ全域のほか、かつては上浮穴郡柳谷(やなだに)村や久万(くま)町にもありました。また、高知県宿毛(すくも)市など南予地方と隣接する高知県西部地域にも分布し、その数は約150か所にのぼります。

胴体の中に入るかつぎ方は、江戸時代の東予地方の西条祭りのダンジリでも同じでした。かつぐ人を見せるより、牛鬼やダンジリという作り物を観衆に見てもらうため、人は中に入ってかついでいたのです。

愛媛の祭り8 西予市城川町の牛鬼(うしおに)

5月 16日 金曜日

※南予地方 西予市城川町窪野

この牛鬼は秋祭りではなく、三滝神社春祭り(4月17日)に川後岩(かごいわ)地区から出されていたものです。角が内側に反っており、闘牛用の牛の角と形状が似ています。この点から、牛鬼の起源が闘牛と関係するという説もあります。

牛鬼の起源は不明ですが、今から200年前の江戸時代半ばの南予各地のお祭りに登場していることが確認できます。なお、言い伝えとして、加藤清正が朝鮮出兵の際に敵を威圧するために用いたのが始まりであるという話もあります。

江戸時代には「牛鬼」という妖怪が有名でした。田畑を荒らす妖怪で、滝や淵や海など水辺に住むといわれていました。県内でも南予地方の山間部に牛鬼の住む淵の伝説が数多く残っています。

愛媛の祭り7 愛南町御荘の牛鬼(うしおに)

5月 11日 日曜日

※南予地方 愛南町(旧御荘町)

南宇和郡の牛鬼頭の型は、明治時代に御荘の末武氏によって考案され、周囲に広がりました。宇和島型に比べて重量が重いので、牛鬼の首の長さが必然的に宇和島型より短くなっています。

牛鬼の頭は、牛とも鬼ともつかない形相をしていますが、その表情は一様ではなく、地域により異なっています。一般的には宇和島地方の牛鬼の形相が有名ですが、頭の形を大まかに分類すると、内子型・宇和島型・愛南型などに分けることができます。

南予地方でも、地域によって顔の表情は違っています。「牛」の要素と「鬼」の要素のどちらが強いかで、顔の表情も決まってくるようです。

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