かつて愛媛県松山地方では「七ヶ所参り」「七ヶ寺詣り」と呼ばれた巡礼が行われていました。
松山市に本社を置く伊予鉄道が大正10年(1921)~昭和2年(1927)頃に発行したと見られる案内パンフレット「七ヶ寺詣り御案内」があります(個人蔵、写真①)。その冒頭には「(前略)うららかな春光を浴びて札所々々が敬虔な心持で巡礼することは清い春の行事であります、この点からして松山近郊の七の四国霊場を巡拜することはその道程や風景の変化から言って又一日の行楽としても格好なものであります」と記されています。

パンフレットによると、松山近郊の7つの四国霊場とは、四国八十八箇所霊場第46番浄瑠璃寺から第52番太山寺までの7つの札所を指し、それらを巡る七ヶ寺詣りは春の行事としています。そして、7ヶ寺の由緒を簡潔に記し、「七ヶ寺巡拝路図」にお奨めの巡拝ルートを示しています。それは基本的に徒歩を移動手段としながらも、一部の区間で伊予鉄道を利用することで、7ヶ寺を効率よく1日で巡拝できる魅力的な内容となっています。
伊予鉄道が推奨する七ヶ寺詣りのルートについて、昭和13年(1938)の四国遍路道中図(渡部高太郎版、当館蔵)で確認しましょう(写真②)。

まず、鉄道を利用して松山の海の玄関口である三津に行き、打ち始めとして①第52番瀧雲山太山寺(本尊十一面観音、松山市太山寺町)を参詣。その後、高浜から森松へ鉄道で移動し、そこから南行して荏原村(松山市恵原町)の衛門三郎の遺跡を訪ね、②第46番醫王山浄瑠璃寺(本尊薬師如来、松山市浄瑠璃町)を参詣。そこから北上して、③第47番熊野山八坂寺(本尊阿弥陀如来、同町)を参詣。荏原村まで後戻りして札始大師堂(松山市小村町)を訪ね、重信川を渡り、杖ヶ淵(松山市高井町)の霊水に立ち寄り、④第48番 清瀧山西林寺(本尊十一面観音、同町)、⑤第49番西林山浄土寺(本尊釈迦如来、松山市鷹子町)、⑥第50番東山繁多寺(本尊薬師如来、松山市畑寺町)を参詣して、石手川の遍路橋を渡り、最後に⑦第51番熊野山石手寺(本尊薬師如来、松山市石手)を参詣して打ち止め(結願)としています。
道中図には西林寺道(八坂寺から西林寺への遍路道)に衛門三郎古蹟として八塚と文珠院徳盛寺、小村大師、杖ヶ淵などの弘法大師空海ゆかりの霊場が記載されていますが、重信川や石手川は描かれていません(本ブログ17「川を渡る」参照)。
参考のため、昭和11年(1936)の『四国霊場大観』収録の昭和初期の7ヶ寺の本堂を撮影した古写真を紹介します(写真③)。




そして、パンフレットの結びには「石手寺を打止めとすると時間があれば岩堰遊園地に遊ぶもよく又番外札所義安寺に詣でて公園の桜を見てそれから道後温泉に一日の疲を休める事が出来て最も都合のいい道順であります」とあります。
このように、伊予鉄道を利用した七ヶ寺詣りは春の行楽シーズンにあわせて、伊予鉄道沿線の松山の四国霊場と一大観光地の道後温泉の入浴、道後公園の花見、岩堰散策など道後周辺の観光(写真④)を採り入れた1日遍路といえます。伊予鉄道は四国霊場の巡拝団体バスツアーによる先駆けとして戦後の四国遍路の普及に大きく貢献してきましたが、自社の鉄道を活用した松山地方の七ヶ所参りの普及にも一役買っていたことがわかります。

ところで、松山地方の七ヶ所参りはいつ頃から行われたのでしょうか?
太山寺には四国霊場に現存する最古の札挟み(2枚の小板を紐で綴じて、その中に紙製納め札を挟んで収納する巡礼用具)が伝来しています。それは承応年間(1652~1654年)のもので、表側に「梵字(不動明王) 奉納七ヶ所辺路同行五人 承応□年二月吉日」、裏側に「梵字(弥勒菩薩) 南無大師遍照金剛」の墨書があります。その内容から、弘法大師信仰のもと、同行者5人で7ヶ所を辺路(巡拝)した際に用いた札挟みと考えられます。江戸時代前期に地域の特定の札所を選定して参詣する小規模巡礼が行われたことがわかります。また、天保7年(1836)に伊予国宇和郡双岩村布喜川(愛媛県八幡浜市布喜川)の遍路が四国巡礼を行った際に使用した札挟みがあります(当館蔵、写真⑤)。表裏に墨書で「奉納四国八拾八ヶ所辺路同行弐人」「奉納七ヶ所辺路同行弐人」と記され、江戸時代後期に南予地方の遍路による七ヶ所参りが行われていたことを示す資料として注目されます(『四国遍路と巡礼』愛媛県歴史文化博物館、2015年)。

松山地方の七ヶ所参りについては、第53番圓明寺を加える事例や第44番大寶寺と第45番岩屋寺を加えて「十ヶ所参り」とするなど、参詣する札所の数や組み合わせは地域によって様々であり、四国遍路のお礼参りや本四国の代参とする目的で行われることもありました(今村賢司「近世前期における伊予国松山地方の四国遍路の様相―真念『四国邊路道指南』以前の遍路道標と札挟みを素材として」『愛媛県歴史文化博物館研究紀要第20号』2015年参照)。
松山地方の七ヶ所参りの他にも、江戸時代以降、四国遍路における小規模巡礼は阿波の十里十ヶ所参り、讃岐の七里十ヶ所参りなど各地で行われており、こうした小規模巡礼は多様な四国遍路の実態を示し、巡礼の構造や四国遍路の普及の過程を考える上で注目されます。





































