Archive for the ‘特別展おすすめ情報’ Category

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」⑦

2017年3月28日

ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。最後は「エピローグ 古墳から何がわかるの?-人骨から見た被葬者像-」。

古墳とは、特定個人のお墓に、多くの労働力を費やした時代(古墳時代)の産物です。国内では、出土人骨による親族関係の復元などの試みも行われています。県内では、人骨の出土事例が少なく、まだ親族関係の復元には至っていませんが、今後の資料の増加・分析により、当時の社会の様子を明らかにできる日も来ることでしょう。

特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」⑥

2017年3月25日

ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。今回は「トピック展示」から。

特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」⑤

2017年3月23日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。今回は「東予の古墳探訪」。



特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」④

2017年3月19日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。今回は「中予の古墳探訪」から。





特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」③

2017年3月17日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。今回は「南予の古墳探訪」。

特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」②

2017年3月16日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。今回は「プロローグ 古墳探訪の世界へ」から。

特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

「はに坊」が解説する「えひめの古墳探訪」①

2017年3月15日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、ナビゲーターの当館のマスコットキャラクター「はに坊」が本展の一部をご紹介します。まずは基礎知識から。

特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

特別展関連講座のご報告

2017年3月14日

特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪」は好評開催中ですが、関連講座の結果についてご報告します。

3月12(日)には体験学習講座「東予の古墳探訪」を行いました。参加者約30名。今回写真展示をしている今治市妙見山1号墳、同野々瀬古墳群を現地で見学いただくとともに、出土品を展示している同相の谷1号墳を見学していただきました。また、車窓からの見学になりますが、西条市天神古墳群の近くを通るルートで実施しました。参加者には5歳から80代の方までおられ、展示室では体験することができない古墳探訪の魅力を感じていただいたことと思います。

3月4日(土)には考古講座「えひめの埴輪を探る!」(講師:山内英樹氏)を開催しました。参加者約30名。これまでの研究成果をわかりやすく解説していただきました。受講者には小学生の姿もありました。

2月18日(土)には考古講座「特別展「はに坊と行く!えひめの古墳探訪のみどころ」」を開催しました。参加者約50名。今回の展示の趣旨・開催経緯・みどころを簡単に紹介しました。講座終了後には展示解説も実施しました。

講座にご参加いただいたみなさんにお礼申し上げます。
3月26日(日)13:30から展示解説も実施します。是非ご参加ください。特別展は4月9日(日)までです。皆様のご来館をお待ちしております。

特別展「自転車ヒストリー」展示紹介(2)~ロシア兵捕虜との自転車競争会in道後公園~

2016年10月9日

特別展「自転車ヒストリー」展示紹介の2回目。
今回は、明治38年(1905)8月に道後公園で開催された、ロシア兵捕虜と松山市民との自転車競争について紹介しましょう。

自転車競争会
道後公園におけるロシア兵捕虜の自転車競争会(松山市坂の上の雲ミュージアム写真提供)

愛媛県松山市に最初のロシア兵捕虜収容所が開設されたのは明治37年のことです。
当時の政府の方針と松山市民による歓待により、最大時には4千名を超えたロシア兵捕虜と松山市民との間では様々な交流が行われました。
収容されていた彼らの楽しみの一つが自転車で、「海南新聞」によれば、38年4月頃から捕虜の将校、特に海軍士官の間で自転車が流行し、道後公園で練習する姿を見ない日はなく、時には周囲の大馬場で日露両国人のレースをしていたといいます。

道後公園は、すでに日露戦争の少し前から、地元の人々が自転車レースを行う場所になっていました。
現在の道後公園グラウンドにあたる場所には、もともと八丁馬場という馬場があり、これを整備して、明治20年代から30年代前半には競馬や人力車競争が行われていましたが、明治34年(1901)頃からは、自転車レースが盛んになり、地元の愛好家らで組織した松山愛輪会などの団体が自転車を楽しんでいたということです。

こうした中、ロシア兵捕虜たちの自転車競争会の企画が持ち上がったのは7月のことです。
「海南新聞」によれば、将校は各方面よりの慰問や物品の寄贈も多く、また一定の制約下での自由散歩も許可されていましたが、下士・兵卒らはそのようなこともなかったので、道後湯之町の御手洗商店が「下士卒に同情を寄せ」、自転車競争会を開催し捕虜たちの慰めとしたいと出願し、許可されました(以下、本ブログの内容は全て同新聞マイクロフィルム収録の記事によります)。

日時は翌8月4日正午から、場所は道後公園東トラックで、将校のみならず下士・兵卒も含めた捕虜全体を招いて有志で自由に競走させ、優勝者には賞品を与えるというものでした。
この内容を耳にした捕虜たちは「勇み返って其日の来るを待遠しく思ひ」、毎週月水金の午後に道後公園で行われた捕虜の練習風景には見物人も多かったそうです。

この自転車競争会には、道後公園で自転車競争を楽しんでいた松山愛輪会が開催に協力し、大街道の黒田、西堀端の山田、同高橋の各自転車商会は競争に使用する自転車5台づつを無償で提供しました。
また、伊予鉄道は銀メダル及び賞金を提供したほか、午前8時から午後8時まで臨時列車を運行することを決定。このほか、ロシア兵捕虜を相手に商売していた各商店からも金品の提供があるなど、地元のさまざまな団体や商店・企業が開催に協力しました。

雨天のため当初の予定から1日順延されて、8月5日にいよいよ自転車競走会が開催されました。
道後公園の山の崖には小屋も掛けられ、来賓席には県会議長をはじめとする数々の政財界の要人やロシア兵将校らが居並びました。来賓席に面して一段高くつくられた審判席では、元衆議院議員で当時「海南新聞」社長をつとめた藤野政高以下の審判員やロシア語通訳が詰めて、号令などをかけます。
後ろには音楽場があり、北側には賞品授与所が設けられ、その左右には下士以下ロシア兵捕虜の観覧所が設けられていました。これら小屋掛けの軒下や並木桜の枝には、無数の万国旗が吊され、竹の柵で仕切られたトラック外周囲には一般見物人が詰めかけました。正確な参加者数の記録は見当たりませんが、海南新聞の記者は「此日の見物人は露人千名以上、日本人二千内外であらうと見たは余り間違のない見当だらう」と推定しています。

競技は午後1時より開始。まずはロシア兵捕虜同士のレースです。
3人づつ3周の競争を19回行い、この3周競争の1着の者を選手にして5周競走を5回、その第1着同士で7周競争を2回、この7周競争に勝った2人で最終決勝競争をさせて、ロシア兵捕虜の優勝者を決定しました。
間に行われた自転車の曲乗りのイベントでは「其技の軽妙なるには舌を捲かざるものなく」、その後に日露連合5周競争が行われました。
日本人の選手の内訳は不明ですが、本大会の開催に協力していた松山愛輪会の人たちが出場したことは想像に難くありません。
全ての競技が終わったのは午後6時頃で、天候にも恵まれて盛会だった、と「海南新聞」は伝えています。

同新聞によれば、彼らの技術は概して未熟で、競争中土手に乗り上げるものや落車するものが多く、とくに車から下りるときは10人中9人まで転倒したといい、見物人や競争者同士が衝突して乗り手の腕や足に擦り傷を負うものが多かったといいますが、このことは別の資料でもみてとることができます。
道後公園自転車競争会絵葉書
これはロシア人捕虜自転車競走会の絵葉書(個人蔵・当館寄託)です。右上は日本人として出場した富永選手、左下は競技の様子です。後に絵葉書にするほどのイベントであったことが分かり興味深いのですが、さらに面白いのは競技の様子。
自転車競争会の様子
もっと拡大してみましょう。
転んでいる様子
確かに転んでますね・・・

それはともかく、展示している2枚の写真からは、トラックの内外に、立錐の余地がないほどびっしりと観客が詰めかけている様子がみてとれ、日本人とロシア人の観客達の大声援が聞こえてくるようで、この時の熱狂ぶりが浮かび上がってきます。

本展では、明治38年の道後公園でのロシア兵捕虜との自転車競走会の様子を伝える貴重な2枚の写真のほか、明治時代末期に道後公園でも使われた競技用自転車「ラージ号」(自転車文化センター蔵)を、当時松山で販売された時の広告写真とともに展示しています。

特別展「自転車ヒストリー」及び「弱虫ペダル原画展」は11月27日(日)まで開催!
ふるってお越しください。

10月16日(日)、タンデム自転車で世界一周を果たした宇都宮一成さん(西予市宇和町出身)の講演!

2016年10月2日

特別展「自転車ヒストリー」関連企画として、タンデム自転車で世界一周を果たした宇都宮一成さん(西予市宇和町出身)の講演を開催します。
宇都宮一成さん・トモ子さんご夫妻
日時 平成28年10月16日(日)13:30-15:00
場所 愛媛県歴史文化博物館 研修室1・2
演題 「夢、そしてチャレンジ!タンデム自転車世界一周の経験から」

<講師について>
宇都宮一成・トモ子ご夫妻
1997年より10年間世界88カ国タンデム自転車の旅の帰国後、「NPO法人シクロツーリズムしまなみ」で自転車ツアーのアテンドやイベントを企画・運営される一方、日本各地の講演会で自転車旅行の素晴らしさを伝えています。
<主な記録>
1987年 多摩川大学教育学部入学。友人を通じトモ子(奥様)さんと出会う
1992年 タンデム自転車と運命の出会い。世界一周を決意
1997年 トモ子さんと共に「タンデム自転車 世界一周」に旅立つ
2007年 世界一周の旅を終えて帰国
2009年 「NPO法人シクロツーリズムしまなみ」勤務

宇都宮一成さんのタンデム自転車は、特別展「自転車ヒストリー」特設コーナー(2階エントランスホール)でも展示紹介しています。

講座のお申し込みは→こちら←から!当日参加も受付可能です。
ふるってご参加、お待ちしています!