特別展「自転車ヒストリー」展示紹介の2回目。
今回は、明治38年(1905)8月に道後公園で開催された、ロシア兵捕虜と松山市民との自転車競争について紹介しましょう。

道後公園におけるロシア兵捕虜の自転車競争会(松山市坂の上の雲ミュージアム写真提供)
愛媛県松山市に最初のロシア兵捕虜収容所が開設されたのは明治37年のことです。
当時の政府の方針と松山市民による歓待により、最大時には4千名を超えたロシア兵捕虜と松山市民との間では様々な交流が行われました。
収容されていた彼らの楽しみの一つが自転車で、「海南新聞」によれば、38年4月頃から捕虜の将校、特に海軍士官の間で自転車が流行し、道後公園で練習する姿を見ない日はなく、時には周囲の大馬場で日露両国人のレースをしていたといいます。
道後公園は、すでに日露戦争の少し前から、地元の人々が自転車レースを行う場所になっていました。
現在の道後公園グラウンドにあたる場所には、もともと八丁馬場という馬場があり、これを整備して、明治20年代から30年代前半には競馬や人力車競争が行われていましたが、明治34年(1901)頃からは、自転車レースが盛んになり、地元の愛好家らで組織した松山愛輪会などの団体が自転車を楽しんでいたということです。
こうした中、ロシア兵捕虜たちの自転車競争会の企画が持ち上がったのは7月のことです。
「海南新聞」によれば、将校は各方面よりの慰問や物品の寄贈も多く、また一定の制約下での自由散歩も許可されていましたが、下士・兵卒らはそのようなこともなかったので、道後湯之町の御手洗商店が「下士卒に同情を寄せ」、自転車競争会を開催し捕虜たちの慰めとしたいと出願し、許可されました(以下、本ブログの内容は全て同新聞マイクロフィルム収録の記事によります)。
日時は翌8月4日正午から、場所は道後公園東トラックで、将校のみならず下士・兵卒も含めた捕虜全体を招いて有志で自由に競走させ、優勝者には賞品を与えるというものでした。
この内容を耳にした捕虜たちは「勇み返って其日の来るを待遠しく思ひ」、毎週月水金の午後に道後公園で行われた捕虜の練習風景には見物人も多かったそうです。
この自転車競争会には、道後公園で自転車競争を楽しんでいた松山愛輪会が開催に協力し、大街道の黒田、西堀端の山田、同高橋の各自転車商会は競争に使用する自転車5台づつを無償で提供しました。
また、伊予鉄道は銀メダル及び賞金を提供したほか、午前8時から午後8時まで臨時列車を運行することを決定。このほか、ロシア兵捕虜を相手に商売していた各商店からも金品の提供があるなど、地元のさまざまな団体や商店・企業が開催に協力しました。
雨天のため当初の予定から1日順延されて、8月5日にいよいよ自転車競走会が開催されました。
道後公園の山の崖には小屋も掛けられ、来賓席には県会議長をはじめとする数々の政財界の要人やロシア兵将校らが居並びました。来賓席に面して一段高くつくられた審判席では、元衆議院議員で当時「海南新聞」社長をつとめた藤野政高以下の審判員やロシア語通訳が詰めて、号令などをかけます。
後ろには音楽場があり、北側には賞品授与所が設けられ、その左右には下士以下ロシア兵捕虜の観覧所が設けられていました。これら小屋掛けの軒下や並木桜の枝には、無数の万国旗が吊され、竹の柵で仕切られたトラック外周囲には一般見物人が詰めかけました。正確な参加者数の記録は見当たりませんが、海南新聞の記者は「此日の見物人は露人千名以上、日本人二千内外であらうと見たは余り間違のない見当だらう」と推定しています。
競技は午後1時より開始。まずはロシア兵捕虜同士のレースです。
3人づつ3周の競争を19回行い、この3周競争の1着の者を選手にして5周競走を5回、その第1着同士で7周競争を2回、この7周競争に勝った2人で最終決勝競争をさせて、ロシア兵捕虜の優勝者を決定しました。
間に行われた自転車の曲乗りのイベントでは「其技の軽妙なるには舌を捲かざるものなく」、その後に日露連合5周競争が行われました。
日本人の選手の内訳は不明ですが、本大会の開催に協力していた松山愛輪会の人たちが出場したことは想像に難くありません。
全ての競技が終わったのは午後6時頃で、天候にも恵まれて盛会だった、と「海南新聞」は伝えています。
同新聞によれば、彼らの技術は概して未熟で、競争中土手に乗り上げるものや落車するものが多く、とくに車から下りるときは10人中9人まで転倒したといい、見物人や競争者同士が衝突して乗り手の腕や足に擦り傷を負うものが多かったといいますが、このことは別の資料でもみてとることができます。

これはロシア人捕虜自転車競走会の絵葉書(個人蔵・当館寄託)です。右上は日本人として出場した富永選手、左下は競技の様子です。後に絵葉書にするほどのイベントであったことが分かり興味深いのですが、さらに面白いのは競技の様子。

もっと拡大してみましょう。

確かに転んでますね・・・
それはともかく、展示している2枚の写真からは、トラックの内外に、立錐の余地がないほどびっしりと観客が詰めかけている様子がみてとれ、日本人とロシア人の観客達の大声援が聞こえてくるようで、この時の熱狂ぶりが浮かび上がってきます。
本展では、明治38年の道後公園でのロシア兵捕虜との自転車競走会の様子を伝える貴重な2枚の写真のほか、明治時代末期に道後公園でも使われた競技用自転車「ラージ号」(自転車文化センター蔵)を、当時松山で販売された時の広告写真とともに展示しています。
特別展「自転車ヒストリー」及び「弱虫ペダル原画展」は11月27日(日)まで開催!
ふるってお越しください。