前回に引き続き、近代以降に愛媛・松山の海の玄関口として発展した高浜港と瀬戸内海航路について紹介します。
明治20年代に開港された高浜港は、瀬戸内海沿岸の航路の重要な寄港地として発展しました。特に四国遍路では、近隣の島しょ部や広島・山口方面、北九州、阪神方面からの遍路の上陸港としても利用されました。
実際に高浜港を発着する瀬戸内海航路がどのくらいあったのか、見てみましょう。
日本交通公社が昭和25年(1950)に発行した『旅』の付録「瀬戸内海」(写真①、個人蔵)には、高浜港を寄港する以下の定期航路路線があったことがわかります。

〇瀬戸内海汽船航路
・宇品―三津浜(芸予線)。1日2便。約4時間半。寄港地(宇品、吉浦、鍋、音戸、高浜、三津浜)
・呉―三津浜(呉三津線)。隔日1便。約7時間40分。寄港地(呉、鍋、音戸、津和地、元怒和、二神、吉木、宇和間、神浦、小浜、大浦、高浜、三津浜)
・津和地―三津浜(西中島線)。1日1便。約4時間。寄港地(津和地、元怒和、二神、上怒和、饒、吉木、宇和間、神浦、高浜、三津浜)
・大浦―三津浜(東中島線)。1日1便。約2時間半。寄港地(粟井、大浦、小浜、高浜、三津浜)
〇石崎汽船
・三津浜―高浜―尾道線。隔日1便。約6時間。寄港地(尾道、宮浦、木之江、御手洗、高浜、三津浜)
〇太陽運輸航路
・柳井―三津浜線。隔日1便。約6時間20分。寄港地(柳井、安下庄、外入、沖家尾、油宇、高浜、三津浜)
〇関西汽船
・大坂―別府線。1日1便。寄港地(大阪、神戸、高松、今治、高浜、大分、別府)
〇日本郵船航路
・阪神―高浜線。隔日1便。約16時間。寄港地(大阪、神戸、今治、高浜)
〇東京船舶航路
・阪神―今治―高浜線。隔日1便。約16時間。寄港地(大阪、神戸、今治、高浜)
中予地方では高浜港や三津浜港の他に北条港(阿賀―北条)、東予地方では今治港、波止浜港、三島港、新居浜港、西条港なども、四国に上陸する瀬戸内海航路の玄関口として利用されています。島々を結ぶ架橋が進展していない当時は、瀬戸内海の津々浦々に海上交通網がはりめぐらされていました。
次に、瀬戸内海航路の人気コースの一つであった広島―松山間の船旅に関する資料を紹介します。
現在、当館で開催中の特別展「瀬戸内海国立公園指定90周年記念 瀬戸内海ツーリズム」では、中島華鳳が大正3年(1914)に作成した「伊予国松山日記 厳島宝物日記 写生帳」(当館蔵)を紹介しています。作者の中島華鳳(1866~没年不詳)は円山派の画家で、富岡鉄斎に書を学び、特に花鳥・山水画を得意としました。その写生帳には日本三景の一つとして知られる厳島(安芸の宮島)、呉軍港、音戸の瀬戸など、瀬戸内海上から見た景色や、高浜港近くの景勝地四十島などが描かれています。
華鳳が描いた「呉軍港」の風景画(写真②)は見開き3ページにわたって描かれたパノラマ図で、「呉軍港/十一月廿日朝□/此日曇天/但シ浪静/南ヨリ北ヲ望ム」と記されています。構図は呉港の入口に位置する小さな島である大麗女島(おおうるめじま)もしくは小麗女島(こうるめじま)の沖合(南)から呉湾(北)と、呉湾から吉浦、広島方面(西北)を臨んでいます。呉の中心部には「此所/呉市/ナルベシ/遠望」と記されています。呉湾には煙を上げる軍艦と見られる船舶などが描かれ、軍港の様子が伝わってきます。

呉は明治22年(1889)に第二海軍区鎮守府が設置され、同36年(1903)年に呉海軍工廠が設立され、東洋一の軍港として発達しました。大麗女島には大正11年(1922)に海軍の地下燃料庫が建設され、太平洋戦争末期には兵器を製造する大麗女島工場がありました。小麗女島は大麗女島の隣に位置します。
また、華鳳が描いた「音戸の瀬戸」(写真③)も見開き3ページにわたって描かれています。画中に「音戸ト云ふ所ヲ通テ/来松山/中央ニ/一本燈籠/有石作ル」「音戸ト云所/平清盛墳/猟師屋多し」「山上ニ畑有/畠見ヘタリ」とコメントがあります。両岸の間が狭い海峡の中央部には石燈籠が設置され、石垣で築かれた平清盛塚、海岸沿いに密集する漁師の家や漁船などが描かれ、大正期の音戸の瀬戸の様子がよくわかります。

音戸の瀬戸は古くからの交通の要所で、永万元年(1165)に平清盛が日宋貿易の航路として、沈む夕日を扇で招いて1日で開削したという日招き伝説や、清盛が人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈め、難工事を完成した功績を称え、供養のために建立された清盛塚が残っています。昭和36年(1961)にループ状の音戸大橋、平成25年(2013)年に第二音戸大橋が架けられ、風光明媚な景勝地として瀬戸内の人気スポットです。
大正期に華鳳が実際に利用した航路の詳細は不明ですが、おそらく広島(宇品港)を出港し、吉浦港を経由し、呉湾の小麗女島付近から、呉軍港や呉市街を遠望し、音戸の瀬戸を通り、高浜港から四国に上陸したものと推察されます。
現在、広島―呉―松山を結ぶ旅客航路が瀬戸内海汽船と石崎汽船によって運行されています。先日実際にフェリーの船上から、華鳳が描いた呉軍港と音戸の瀬戸を眺めてみました(写真④⑤⑥)。音戸の瀬戸の景観は昔の面影を残しながらも大きく変貌していることがわかります。



当館で開催中の特別展「瀬戸内海国立公園指定90周年記念 瀬戸内海ツーリズム」(4月7日迄)では、江戸時代から近代にかけての瀬戸内海に関する絵図類、紀行文、航路図、名所案内パンフレット、絵画など多数の貴重な資料を展示紹介しています。この機会にご覧ください。お見逃しなく。



















