‘特別展おすすめ情報’ カテゴリーのアーカイブ

佳姫の婚礼5-佳姫の生活費の減額交渉-

3月 25日 金曜日

 安政3(1856)年8月3日になると、宇和島藩から「年中奥向衣服定」が届いています。これは奥方・老女・側小姓・小姓・表使・次の人々の衣装について記されたもので、藩によって奥向きの衣装に規定があったことが分かります。さらに8月5日には、秋田藩から宇和島藩留守居に必要な御道具について問い合わせがされ、御隠居様(宗紀)、遠江守様(宗城)、大膳大夫様(宗徳)、大奥方様(観姫)、奥方様(猶姫)、御客前について秋田藩の方からリストが提示され、必要の有無が宇和島藩との間で協議されています。

 また、この時に厳しい倹約を行っている最中なので、秋田藩から渡す毎年1300両の御賄方御手元金を1000両に減額するように宇和島藩側から申し入れがされ、秋田藩側も了解しています。宇和島藩側が1300両を1000両という少ない金額にして欲しいというのは、少し不思議な感じがします。もらえるものなら少しでももらった方がいいのではないかと普通思ってしまいます。ただし、この1300両は佳姫に使途が限定されるお金になります。例えば、宇和島藩が奥向きの費用を倹約のために減らしていたとしたら、佳姫だけ多額の費用をもって宇和島藩に入るということは、奥向きの秩序として問題があったのではないかと思います。おそらく宇和島藩の奥向きの秩序を考えて減らす話しがあり、財政に厳しい秋田藩も喜んでそれに応じたというところでしょうか。

佳姫の婚礼4-婚礼費用の捻出-

3月 24日 木曜日

 安政3(1856)年7月9日から16日にかけては、佳姫(よしひめ)の婚礼と宇和島藩への引越御用を勤める担当者が決められています。そして、7月20日、秋田藩家老、中安内蔵が御縁談御用人の石井宮作と御縁談御膳番金大之進に対して、今回の婚礼に当たっての秋田藩の基本方針を指示しています。この部分を口語訳してみると、次のように記されています。

 御姫様がお嫁入り際に、お持ち込みになる御道具、御召服をはじめとする諸費用は十分に手厚く準備すべきところ、海防や蝦夷地警備の費用がかさんだ上、当春には江戸の上屋敷が類焼してしまったが、これもまた猶予できない。これまでに例がない大変な出費ばかりが重なったことで難渋が迫ってきており、国家(藩)の維持にも関わるような容易ならざる事態である。
 これにより、持参金3000両に別紙の悉皆金5000両を合わせて8000両の費用で済ませることになったので、時節柄を考え一同心を合わせ、倹約をもって佳姫様の御引越御用を行うことが大事である。
 幕府の御達の次第もあり、諸家様とも倹約に取り組んでいる折り、しかも向方様(宇和島藩)から格段に質素の御家風をいってこられている以上、この時節なので質素を心がけるように清心院にも袖岡にも相談した。ご持参の御道具は質素に対して不都合なため、以前に仰せのあったものをお持ち込みすることにした。

 このように秋田藩では財政的にかなり窮乏していたようで、外圧の影響でで蝦夷地の警備を引き受けるようになったこと、春に浅草の下谷(したや)七軒町にあった上屋敷が火事で焼けてそれを再建しなければならないことが、財政をさらに圧迫するようになったことが記されています。そのため、秋田藩では佳姫の婚礼の費用として、持参金3000両に悉皆金5000両の8000両で済ますという方針が打ち出されています。1両5万円として現在のお金になおすと、持参金が1億5千万、婚礼の支度のための費用が2億5千万円になります。

 一般的には幕末は藩の財政窮乏から、大名家においても婚礼の費用を削減するようになったといわれています。その中で2億5千万円の支度金というわけですから、江戸の初期や中期に如何に大名家が結婚にお金をかけていたかということが偲ばれます。口語訳した後には、さらに5000両の支度金の使途が記されていて、婚礼道具、佳姫が着る服・夜具、御付の男女手当、引越儀礼費用、婚礼御用を勤めた人々への手当・祝儀を5000両で賄う計画だったことがわかります。いずれもお金がかかりそうなことばかりなので、婚礼御用担当は、お金の遣り繰りにさぞかし苦慮したことと思われます。

佳姫の婚礼3-結婚をめぐる藩の交渉-

3月 19日 土曜日

 安政3(1856)年6月18日にこの御縁組が正式に決定すると、秋田藩側の御縁組御用懸が決まります。これ以降、宇和島藩と秋田藩との間で、縁組をめぐる交渉がつづきます。結婚の準備から結婚式まで、瑣末なことも含めて間違いがないように、交渉に交渉を重ねます。結婚はたくさんの儀礼の積み重ねであり、それをすべて記録していくと、分厚い冊子で数冊にも及ぶこともあります。

 例えば、宇和島藩方からの問い合わせに対して、7月5日に秋田藩から返答した資料をみると、まず最初に宇和島藩側から持参金の問い合わせに対して、持参金については相談の上で書面で答えると秋田藩側は例のごとく付札で返答を記しています。次に「御付人御断之事」とありますが、佳姫(よしひめ)に奥女中以外に人を付けないで欲しいという宇和島藩側の要望が記されています。それに対して秋田藩側は付札で、頭役の者一人、書役を一人3,4カ月間置かせて欲しいということ、また医者を一人付けたいと記しています。そして、三つ目に、宇和島藩側は御輿入れの日を11月で想定しているの対して、秋田藩側は12月中旬を主張しています。このように婚礼に向けてお互いの考えが書面で交わされて、それらのすべてが記録として残されていくわけです。

佳姫の婚礼2-姫君の結婚のお値段-

3月 17日 木曜日

 秋田藩佐竹家の古文書は現在秋田県公文書館が所蔵しており、その中に佳姫(よしひめ)の婚礼の準備に関わる記録が残っています。この記録については、(財)宇和島伊達文化保存会に伝わる宇和島藩側の記録とともに、藤川裕子氏が『佳姫婚礼記録』(2007年)として活字化されており、佳姫が結婚するまでの過程を詳細に知ることができます。この貴重な成果を参考にしながら、宇和島藩9代藩主伊達宗徳(むねえ)と佳姫との婚礼について紹介します。

 安政3(1856)年の5月23日、宗徳と佐竹家姫君との結婚が内定します。それに続いて、6月に秋田藩の御出入の幕府坊主谷村三育を通じて、宇和島藩から秋田藩へ佐竹家の姫君についての照会があります。ちなみに、この谷村三育は、宇和島藩の記録にも登場しますが、大名家の婚姻に当たりそれぞれの藩に懇意にしている幕府の坊主がおり、この坊主を通じて婚姻の話しが進んでいくことが分かります。谷村三育を通じた照会の内容は、宇和島藩の問いに対して、その答えを秋田藩が書いた付箋を貼って、そのまま宇和島藩に返されています。その最初の部分を引いてみると、次のようなことが記されています。

   一御姫様御名 ならび カナ付    付札 佳(ヨシ)
   一同 御年は御いくつに被為成候哉    同  二十三歳
   一同 御続合…(省略)…            同  右京大夫実姉

 右京大夫実姉とありますが、これは当時の秋田藩主佐竹義睦(よしちか)のことで、その姉に当たるということを記しています。

 そして、その後に大事なお金についての相談になりますが、それについては次のようにあります。

   御化粧料、御召服御賄方御手元金
   一金三千両 初年斗
   一同千三百両宛 翌年より年々

 ここにあるように、秋田藩は最初に3000両、その翌年からは毎年1300両ずつ佳姫の化粧料を宇和島藩に支払うということが記されています。細かいデータは提示しませんが、1両は一般的には現在の10万円と考えられているようです。そうすると、最初の3千両は3億円に相当します。ただし、佳姫が結婚した幕末は、金の価値が暴落しており、安政3年頃だと10万の半分の5万円ぐらいになっていたともいわれています。それでも3千両は1億5千万くらいになり、その翌年から毎年支払う金額1300両も6500万円くらいに相当することになり、お姫様の結婚は、実家側の財政負担が随分あったことがわかります。

佳姫の婚礼1-政治行為としての婚姻-

3月 16日 水曜日

 現在、企画展「おひなさま」開催中ですが、常設展示の文書展示室ではテーマ展「宇和島藩の姫君と奥女中」を同時開催しています。

 このテーマ展では、宇和島藩7代藩主伊達宗紀(むねただ)の正室観姫(みよひめ)、9代藩主宗徳の正室佳姫(よしひめ)、また明治になって宗陳のもとに嫁いだ孝子(たかこ)と3人の女性について紹介しています。そのうち、佳姫の婚礼については、以前に他館の講座で話したことがあり、探してみると報告時の原稿も残っていたので、ここにその一部を掲載します。

 その前にまず、宇和島藩伊達家がどのような家から正室を迎えているのかということを大まかに紹介します。伊達家では初代秀宗(ひでむね)に始まり、9代宗徳まで9人の藩主がいますが、正室としては10人のお姫様が迎えられています。最初のうちは4代村年の正室の富子と6代村壽(むらなが)の正室順子のように、仙台藩伊達家が2回でてくることが注目されます。初代藩主伊達秀宗は仙台藩主伊達政宗の子どもですから、江戸前期ぐらいまではまだ本家に当たる仙台藩の力が宇和島藩に強く作用しており、宇和島藩も仙台藩に依存するところが大きく、仙台藩から正室を迎えていることが見て取れます。

 寛延2(1749)年になると、仙台藩と宇和島藩の間で、「本家末家論争」が起こり、それが宇和島藩が仙台藩から自立していく契機になります。幕末になると、多くの分家大名が本家の動きで追随せざるをなくなっているのに対して、宇和島藩の場合、仙台藩とは同族としての付き合いは残しつつも、仙台藩から正室を迎える動きは止みます。

 そして、仙台藩の代わりに注目される動きが近世後期から幕末にかけて現れます。5代村候(むらとき)、7代宗紀、8代宗城(むねなり)の正室が佐賀藩から迎えられるのです。このうち、7代藩主宗紀、8代藩主宗城の時代は、宇和島藩が中央政局で、幕閣や諸大名と盛んな交流や意見交換を行い、有志大名として重要な役割を果たした時代といわれています。特に幕末の四賢侯として名前があがる伊達宗城は、水戸藩の徳川斉昭(なりあき)、越前福井藩の松平慶永(よしなが)とのつながりが深く、頻繁に手紙を交換しています。また、この時期国持大名の江戸の外交官ともいえる江戸留守居たちが、留守居組合の場で幕府への対応を協議し、集団的な意思形成を行い、幕府に働きかけるなど、幕府に対して十分に対抗できるだけの政治勢力が形成されていきます。そうして幕府の政治に対する国持大名の政治勢力は薩摩藩・長州藩・佐賀藩・土佐藩などの西南雄藩が中心になりますが、宇和島藩も婚姻関係で佐賀藩と結びつくことで、分家大名でありながらもその政治勢力の一画を担うようになっていきます。

 また、佐賀藩は海外情報が集まる長崎警備をしており、世界情勢に関わる情報、西洋の知識、軍事科学に関する情報をもっていますので、宇和島藩には幕末にかけてのこうした重要な西洋の情報、軍事科学の情報などが佐賀藩を通じて手に入れています。このように、大名家の場合、結婚は極めて政治的な行為だったことがうかがえます。そして、9代藩主宗徳の正室として迎えられた孝(たか)は、長州藩主毛利斉元の娘ということで、国持大名との連携強化の路線にそっていますし、孝の死後に正室として迎えられた今回取り上げる佳姫も、秋田20万石の国持大名佐竹家から嫁入りという、国持大名との婚姻という基本的なラインは変わっていません。少し先回りしていうと、明治維新に際して東北諸藩のほとんどが奥羽越列藩同盟に加わるのに対して、この秋田藩だけが明治新政府側につくことになります。

参考文献
倉持隆「宇和島藩主と仙台藩-寛延二年本家・末家論争を中心に-」(『地方史研究』289号、2001年)

おひなさまが「おひるのたまご」に登場

3月 2日 水曜日

 2月26日、27日のおひなさまイベント終了しましたが、土曜、日曜には各種イベントを行っています。ぜひ博物館のおひなさまに会いにきてください。

 なお、先日は企画展「おひなさま」について取材を受けました。この分については、3月3日(木)、午前11時40分~12時のNHK「えひめ おひるのたまご」の中で放映されます。お楽しみに。

香川元太郎さん来館! (「時の迷路」展)

2月 18日 金曜日

 

(右が香川元太郎さん)

4月23日(土)から開催される特別展「時の迷路―香川元太郎のフシギな世界―」の現地打合せのため、2月15日(火)に香川元太郎さんが当館に来ていただきました。新作迷路絵本の執筆でかなりお忙しい中、時間を割いていただきました。ありがとうございました。

かくし絵・迷路絵本作者で歴史考証イラスト画家の香川元太郎さん。

歴史雑誌や学習参考書に歴史イラストを提供しながら、PHP研究所から出版している『時の迷路』、『伝説の迷路』等は、シリーズ7冊で140万部を越えるベストセラー絵本としても今、話題となっています。

実は、この香川元太郎さんは、生まれも育ちも愛媛県。松山東高校を卒業後、武蔵野美術大学に進み、その後、画家として、迷路絵本作家として全国各地で展示会・サイン会などのイベントで活躍中です。

今回の展示は、出身地である愛媛にて、香川元太郎さんの作品を中心とした迷路作品を紹介します。展示室全体が巨大迷路のような空間となっており、子どもたちが歴史に興味を持つきっかけづくりとなる展示内容です。

今回は、ポスター・チラシのデザイン案や、展示室のレイアウト、展示資料の選定、講演会の内容や進行方法など、直接、展示室やホールを確認しながらの打合せでした。

ちなみに、香川元太郎さんの講演会は、4月30日(土)、5月1日(日)に開催します。子どもも迷路を楽しむことができて、歴史を学ぶこともできる。そんな講演会になりそうです。詳しくは、ホームページで後日紹介したいと思います。

お楽しみに。

なお、香川元太郎さんのホームページ「迷路・かくし絵 絵本館」は、こちらです。香川さんの活動がくわしく紹介されています。

テーマ展「宇和島藩の姫君と奥女中」の史料借用

2月 17日 木曜日

 毎年恒例になりつつある企画展「おひなさま」も、いよいよ開幕が迫ってきました。西条藩松平家の雛飾りをはじめ、細かい史料も多いので、並べるのに時間がかかりますが、ようやく終わりが見えてきました。
 企画展の展示の目途がたった昨日、関連展示として文書展示室で同時開催するテーマ展「宇和島藩の姫君と奥女中」のため、宇和島藩伊達家の史料を所蔵する(財)宇和島伊達文化保存会に史料借用にうかがいました。

 宇和島藩に迎えられた姫君の婚礼調度は、とても精巧に蒔絵(まきえ)が施された貴重な美術品ばかり。史料のコンディションを確認しながら、輸送に耐えられるように丁寧に梱包していきます。秋田藩佐竹から嫁入りした佳姫が持参した雛屏風の箱を開けて屏風を取り出すと、箱に何かが残っているのを見つけました。

 確認したところ、カマボコ型の木製品に和紙を巻いたものでした。写真に撮ってみましたが、後ろにピントが来たため、ピンボケ写真になっていしまい、申し訳ありません。強引に読んでみると、少し違っているかもしれませんが、「御屏風箱/上下御つめ/拾之内」とあるような。どうもこの器具は、屏風を運搬するために箱に入れた際に、屏風が動かないように隙間に詰めたものと思われます。佳姫の嫁入り道具を伊達家に運んだ最初の時から詰められていたのではないでしょうか。当時の人の丁寧な仕事振りを感じた一瞬でした。

春のきざし

2月 4日 金曜日

寒い日が続いていますが、ここ二日ほど晴れの日が続いて、残っていた雪もかなりとけてきました。これから少しずつ春らしくなるのでしょうか。

今日から民俗展示室2の海、山、里の三軒の民家の中に、段飾りのおひなさまを並べ始めました。展示室の中では、春への模様がえが進んでいます。

企画展「おひなさま」は、2月22日(火)のオープンになります。来週から準備も本格化します。

迷路絵本作家の香川元太郎さん

1月 29日 土曜日

ただいま、準備中の展示会「時の迷路―香川元太郎のフシギな世界―」。愛媛県歴史文化博物館にて4月23日(土)からの開幕に向けて、作業を進めています。

迷路絵本作家で歴史考証イラスト画家の香川元太郎さん。『時の迷路』などPHP研究所から出版されている迷路絵本シリーズは、130万部を越えるベストセラーとなっていて、今、話題の方です。

実は、香川元太郎さんは、愛媛県松山市のご出身です。愛媛の歴史に関するイラストも数多く描かれています。

今回の展示は、歴史に興味を持つきっかけとして、遊んで学ぶことのできる迷路とかくし絵の世界を体感できるものです。

会期は、4月23日(土)~6月12日(日)を予定しています。準備しながら、また、このブログに情報を掲載していきたいと思います。