テーマ展「宇和海と段畑のくらし-海と「そら」の恵み-」の資料紹介。
今回は養蚕の道具を紹介します。

明治10年代末頃からのマイワシの不漁により、宇和海沿岸部では次第に農業の比重が重くなり、養蚕が盛んになりました。大正元年には「養蚕を行うものはほとんどいな」(『遊子村誌』)かったのですが、第一次世界大戦による空前の好景気で、瞬(またた)く間に農漁村に広まりました。農家にとっては、現金収入を得る貴重な仕事でした。
遊子も養蚕景気に支えられて耕地の半分が桑畑となりました。桑は良い畑が必要なので、この頃から段畑の石垣化が始まったといわれます。
蚕(かいこ)はデリケートな生き物で、新鮮な桑を好むため、一日に何度も桑の葉を摘みました。風通しのよい部屋で飼う為、家の二階を蚕室としました。温湿度にも気を遣い、寒い時は部屋を暖めました。桑を摘み、蚕に桑をやり、蚕盆の掃除をする・・・。養蚕は重労働でしたが、人々は蚕を「お蚕さん」と呼び、大切に育てました。


桑籠
宇和島市立宇和海中学校 蔵
墨書きから、下波柿之浦の人のものとわかります。

桑切り鎌・桑切包丁・桑切台
愛南町内海郷土資料館 蔵
蚕に与える桑の葉は、桑切り鎌で刈り、包丁と俎板(まないた)で刻みます。蚕が幼い時は細かく切り、大きくなると、大量の桑の葉を、粗く切ります。

蚕盆・蚕網
西予市明浜歴史民俗資料館 蔵
蚕を飼う盆と、桑をやったり、盆の掃除をするときに使う蚕網。蚕が幼い時は目の細かい網、大きくなったら目の粗い網を使いました。

簇(まぶし)織り機
西予市明浜歴史民俗資料館 蔵
蚕が繭を作る簇を織る機械。上部に藁を広げてはさみ、ハンドルを交互に交差して藁を折り曲げる。この型は、明治末期に発明され、普及しました。
しかし、昭和4年の世界恐慌のあおりを受け、生糸は大暴落し、養蚕農家は大きな打撃を受けることになります。