‘特別展おすすめ情報’ カテゴリーのアーカイブ

開催中!「異界・妖怪大博覧会」3―生首の旗―

7月 20日 金曜日


※生首の旗指物(宇和島市立伊達博物館蔵)

これは高さ2メートルもある大きな旗です。この大きな生首の旗は何に使ったのでしょうか。生首は恐ろしいのですが、実はこれは家のシンボルといえるものなのです。

戦国時代から江戸時代にかけて、合戦の際には、自軍の勢いをしめしたり、大将の居場所を教えたりるために、大きな旗を使っていました。これを旗指物(はたさしもの)といいます。

この大きな旗も旗指物のひとつで、江戸時代に宇和島藩の家老をつとめた松根家に代々伝わったものです。この旗には次のような言い伝えがあります。

昔、松根家の先祖(出羽最上藩・今の山形県)が深夜に城下を歩いている(または、旅に出ていた時だという伝承もあります)と、ある家の回りを幽霊が飛び回っているのに出会います。その幽霊は、松根に向かって、「この家の主人に恨みがある。このような幽霊の姿になったうえ、この家に魔除けの札が張ってあり、家の中に入って仇討(あだう)ちを果たすことができない。この御札(おふだ)をはがしていただきたい。」というので、松根は御札をはがしてやりました。

御札がはがれた途端、幽霊はこの家に飛び込み、家の中で悲鳴が聞こえた後、幽霊は主人の生首を持って、松根の前に現れました。そして「自分はこれで成仏することができるが、この生首をあなたに差し上げ、葬っていただきたいが受けてもらえるか。」というので松根はこれを受け取ります。そして竹林に埋めて手厚く葬りました。

松根はこの生首を、合戦のときに、戦場の旗指物に描き、以後この物語と旗指物は「松根の生首」として有名になり、松根家は宇和島藩の家臣として出世し、家のシンボルとして代々伝わったのです。

なお、松根家の子孫で俳人として有名な松根東洋城(1878-1964)も、この生首の旗について「朧夜(おぼろよ)や 旌旗(せいき)生首 家の蔵」と詠んでいます。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」2―鍾馗―

7月 18日 水曜日


※河鍋暁斎画「鍾馗図」(今治市河野美術館蔵)

この図は、幕末から明治時代にかけて活躍した絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が明治19年に描いた鍾馗(しょうき)です。上から官人姿で口ひげを生やした鍾馗がにらみつけ、大鬼が小鬼を抱きかかえて退散しようとしています。

鍾馗は、妖怪・お化けというよりは中国における神とでもいうべきものです。疫病(えきびょう)を追い払い、邪を除くとも信じられ、鬼を追い払う様子の図がよく描かれています。

もともとは、中国の玄宗皇帝の夢に出てきて、病気をなおしたという故事があり、その話が日本にも伝わりました。その説話は次のとおりです。

中国の唐の時代、玄宗皇帝が熱病に患った時、大鬼が小鬼を捕らえる夢を見た。皇帝が大鬼に正体を聞くと、自分は「鍾馗」で、役人の試験(科挙)に落第して自殺したが、当時の皇帝が手厚く葬ってくれたので感謝していると言った。すると玄宗皇帝は夢から覚めると病気が治っていた。そして鍾馗には邪を祓う力があるとして世間に知れわたった。

日本でも、平安時代末期に描かれたとされる「地獄草紙」(益田家本乙巻)にも、鍾馗が、病気をひきおこす鬼を捕らえて、退治する様子が描かれています。詞書にも「目をくじり、躰をやぶりて、これをすつ」つまり、鬼の目玉をくりぬいて、体を引き裂いて棄てるというのです。また「地獄草紙」には、お正月に鍾馗の絵を家の玄関にはると魔除けとなるとも記されています。現在でも、5月端午の節句や、夏の暑気払いに鍾馗を描いたお札をはる習慣が各所で残っています。

おばけ紙芝居のはじまり、はじまり。

7月 15日 日曜日

14日は、「異界・妖怪大博覧会」の関連イベントとして、おばけ紙芝居を上演しました。この日演じた紙芝居は「あめかいゆうれい」や「かっぱの手紙」、「たのきゅう」など11種類です。
台風の近づくあいにくのお天気でしたが、窓の外の風の音も雰囲気を盛り上げます。
ボランティアさんの熱演に、こどもたちも真剣に見入って、楽しんでくれた様子でした。

「あめかいゆうれい」は企画展でも「子育て幽霊」の掛軸が展示されていますし、「かっぱのてがみ」に関しては、かっぱの絵や狛犬を展示室で見ることができます。
おばけの紙芝居に合せて、展示もぜひ見ていただきたいところです。

今回の「おばけ紙芝居」のために準備した紙芝居はなんと31種類!
おばけの紙芝居はまだまだあります。
おばけ紙芝居は、7月15日(日)16日(月)、そして8月25日(土)26日(日)のいずれも 14:00から15:30の間に体験学習室で行います。
ご気軽にご参加ください。お待ちしています

開催中!「異界・妖怪大博覧会」1―河童―

7月 14日 土曜日


※河童・川太郎図(国立歴史民俗博物館蔵)

企画展「異界・妖怪大博覧会」開幕から6日目です。毎日、展示を観覧された方々からご質問やご意見をいただきますが、特に多いのが河童に関することです。展示では「河童・川太郎図」(国立歴史民俗博物館蔵)や「河童考」(香川大学図書館蔵・神原文庫)などを紹介していますが、地域によって河童の姿や名称がどのように違っているのかというご質問をいただきました。

この点については、石川純一郎氏『河童の世界』(時事通信社)に詳しく紹介されています。その大要ですが、関東地方ではカワワラワ・カワッパ・カッパといい、漢字の「河童」から来た呼称が多く、これは人身つまり人間の子供を想定しているといいます。また、九州地方でも、ガワッパ、ガラッパ、ガッパなどと呼び、関東地方に類しています。そして、東北地方ではメドチ、ミズチと呼び、これは水蛇から来た呼び方です。北陸地方ではガメ、ドチといい、スッポンから来ていて、中国・四国地方ではエンコ・エンコーと呼び、これは猿侯つまり猿から来た呼び方となっています。また、津軽ではスイコ、越後地方ではシイジン、熊本でセコなど「水神」から来た呼び方もあります。

河童の名称や姿(イメージ)の変遷については『怪異の民俗学3 河童』(河出書房新社)所収の「河童解説」(小松和彦氏執筆)にもまとめられています。多くの妖怪絵巻や怪異小説が作られた中世後期には「河童」は全く登場せず、「河童」が文献に頻繁に登場するのは近世になってからだといいます。もともと名称や姿(イメージ)は地方によって異なっていた河童を、江戸時代に本草学者が実在する動物らしいと考え、記述・記録し、「河童」のイメージが完成したといいます。

さて、愛媛では河童をエンコと呼びます。『愛媛県史』民俗編上に愛媛の河童伝承については端的に紹介されていますが、カワウソの生息地にエンコ伝承が多いとされ、関前村(現今治市)ではエンコとカワウソを同体異名ととらえたりしています。宇和海沿岸でも河童(エンコ)の正体はカワウソではないかともいわれます。(なお、これと同様の説は、今から550年前の辞書「下学集」にも「カワウソが老いて河童になる」と書かれています。)エンコの正体を猿とする伝承は愛媛では数多くありませんが、三間町(現宇和島市)でエンコは手の長い猿の一種と伝えられています。

「河童」はもともと関東地方の方言で、これが江戸時代に本草学者らの手によって一般呼称化したものであり、地域と時代によって河童の呼称・姿(イメージ)は異なり、多様であるといえます。

異界・妖怪大博覧会関連イベントその1

7月 11日 水曜日

7月10日に始まりました「異界・妖怪大博覧会」展に関連して、
楽しいイベントがたくさん予定されています。その一部を紹介します。

(1)おばけ図書室はじめました。

おばけや妖怪、鬼や天狗の絵本を集めて、「おばけ図書室」をはじめました。
おばけはいませんが、おばけの絵本を気軽に読んでいただくスペースを
体験学習室前に作りました。「ゆきおんな」や「てんぐのはうちわ」、
「じごくのそうべえ」など、おかしなおばけやちょっぴり怖い妖怪の絵本が
たくさんあります。期間中いつでもご利用いただけます。

(2)「異界・妖怪大博覧会ぬりえ」やってます。

「百鬼夜行絵巻」(当館蔵)に描かれた妖怪から、いくつかの妖怪が
ぬりえになりました。鬼や天狗、道具の妖怪のぬりえです。
妖怪や鬼の色って何色でしょうか?
企画展示室で見ることのできる鬼や妖怪と比べてみるのも面白いですね。
体験学習室内にで期間中いつでもご利用いただけます。参加費は無料です。

(3)おばけ紙芝居の上演

体験学習室において、鬼やおばけの出てくる民話やお話の紙芝居を上演します。

日時:7/14(土)15(日)16(月)8/25(土)26(日) 14:00から15:30まで

この週末は「れきはく」でおばけ三昧を楽しんでみてはいかがでしょうか。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」21―ろくろ首―

7月 8日 日曜日

これは「夜窓鬼談(やそうきだん)」(個人蔵・当館保管)という資料に描かれた「ろくろ首」です。「夜窓鬼談」は、明治22(1889)年に石川鴻斎が著した漢文体の怪談集で、哭鬼・貧乏神・天狗・髑髏(どくろ)・安倍晴明の話など全部で81話が収められています。挿絵は明治時代に活躍した画家・久保田米僊・小林永濯らが描いており、明治期を代表する怪談集といえます。

なお、「ろくろ首」は、江戸時代以降に出版された資料に頻繁に見え始めます。外見は普通の人間と同じですが、夜中に首がろくろを回すように異常に長く伸びて、家の中にある行灯の油を好んで舐めたり、人間の精気を吸い取ったりします。

体が伸びるといえば、見越入道(のびあがり)も有名です。こちらは、女性ではなく、男性の姿で描かれますが、おばけとしての知名度、そして恐ろしさの度合いは、「ろくろ首」の方が高いように思われます。

ただ、愛媛県内に伝えられた怪異・妖怪伝承を調べてみても、見越入道(のびあがり)に類する話は多いのですが、「ろくろ首」の伝承は確認できません。「ろくろ首」は、地域に根ざした伝承で語られたものというより、江戸時代の出版物や落語など、大衆への語りの中で広まっていった「おばけ」ということができます。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと2日。7月10日(火)から9月2日(日)までです。これまで、「展示予告」として展示資料の紹介をしてきましたが、開幕後も、展示物の紹介を続けていきたいと思います。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」20―河童のミイラ図―

7月 7日 土曜日

7月10日(火)からの「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであとわずかとなりました。現在、展示室での資料を列品作業中です。

さて、今回は「河童」に関する資料の紹介です。

これは江戸時代後期の写の河童のミイラ図です(香川大学図書館所蔵・神原文庫)。上の図は「川郎乾」とあり、「乾」つまり河童(川郎)がミイラ化したもので、「松平越後守殿所持」(越後高田藩主と思われます。今の新潟県)と記されています。下の図は河童の手が描かれていて、「細川越中守殿所持」(肥後熊本藩主・今の熊本県)と記されています。

これは、江戸時代に本草学の知識が普及していくことによって、不可思議な妖怪(化物)についても、一種の生きものとして記録・記述されていたことを示す資料です。単に恐ろしいものとして描かれたというよりは、一種の博物学的知識の高まりで書写されたものといえます。

なお、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、様々な河童図や河童伝承に関する道具などを展示します。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」19―怪談藻塩草―

7月 4日 水曜日

これは、「怪談藻塩草(かいだんもしおぐさ)」という冊子で、今治市河野美術館所蔵の資料です。江戸時代後期の著名な怪談集で、もともと寛政13(1801)年に速水春暁斎(はやみしゅんぎょうさい)が著したものです。本資料は弘化3(1846)年の刊行であり、版を重ねるほど普及していました。

この「怪談藻塩草」の巻一の冒頭、つまり最初に紹介されている話は、実は愛媛に関係するものです。「矢部が霊、神に崇る話」という題で、宇和島藩の矢部(山家)清兵衛(やんべせいべえ)が不慮の死を遂げて、祟りをなし、和霊神社に祀られる話が紹介されています。

宇和島市にある和霊神社は、江戸時代、漁業神や商売の神など、非常にご利益のある神社として知られていました。現在でも西日本各地に山家清兵衛を祀った和霊社があります。和霊社のご利益を広範囲に知らしめた一因には、この「怪談藻塩草」のような江戸時代後期の出版物の普及が考えられます。

なお、この「怪談藻塩草」のほかにも、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、上田秋成の「雨月物語」をはじめ、江戸時代の怪談集についても展示・紹介します。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」18―古狸退治の図―

7月 3日 火曜日

これは、香川大学図書館蔵(神原文庫)の「楠多門丸古狸退治之図」という錦絵です。作者は幕末から明治時代に活躍した浮世絵師月岡芳年で、万延元(1860)年にこの絵を描いています。

中央に描かれているのは楠多門丸正行(まさつら)という人物。彼は、楠木正成の長男です。その右側には「竹童丸」が描かれ、彼が手に持っている手燭(てしょく)に照らされたところには妖怪がはっきりと見えます。その周りの闇にも様々な妖怪がうごめいています。左側に大きく描かれたのは古狸の化け物です。

狸といえば、愛媛だけでなく、四国には非常に多くの狸伝説があります。企画展「異界・妖怪大博覧会」では、松山地方の狸伝説に関する写真パネルを展示・紹介します。

今回の展示では狸に関する実物資料は少ないのですが、ビデオ映像で喜左衛門狸(旧東予市)や、狸と狐の関係(四国に狐が住まなくなって、狸の天下となったというお話)を上映します。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと1週間。お楽しみに。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」17―天狗と弘法大師―

7月 1日 日曜日

この図は、当博物館所蔵の「高野大師行状図画」巻二の「天狗降伏事(てんぐこうぶくのこと)」の場面で、中央に弘法大師、手前に天狗たちが描かれています。

企画展「異界・妖怪大博覧会」では、天狗に関する資料についても数点ですが、展示する予定です。

さて、天狗と弘法大師にはどのような関係があるのでしょうか。この「天狗降伏事」を読んでみると、次のようなことが記されています。

室戸(高知県)の岬のそばに、金剛頂寺(こんごうちょうじ)というお寺がある。ここには、いつも天狗がやって来て僧侶を悩まし、仏教の修行の邪魔をしていた。弘法大師は、ここで天狗にさまざまな問答をされて、「私がこの寺にいる時には、ここに来てはいけない。」と言い、弘法大師が自分の「かたしろ」(人形)を作って、大きなクスノキの洞に置いた。天狗たちは、この弘法大師の指示に従って、その後、来なくなった。なお、そのクスノキは、栄えて、葉も枝も永く茂ったという。

一般に天狗とは、山伏の姿で、山岳で修行をしている者のイメージが先行しがちですが、ここに描かれている天狗は、鳥のような姿です。しかも、修行をするのではなく、逆に仏道修行の邪魔をする存在として登場します。天狗にも様々な姿、様々な性格があることがわかります。