Archive for the ‘特別展おすすめ情報’ Category

写真でみる昭和の暮らし3 テレビの登場

2008年5月21日

テレビを見る子ども(昭和36年)

 昭和36年に村上節太郎が、松山南町の自宅で撮影した写真です。応接セットでブドウを食べながらテレビを見る子ども。子どもにとって至福の一時ともいえます。当時のテレビは、写真のように四本脚が特徴で、見ないときには専用の布をかぶせたりしました。

 昭和31年10月2日付の『愛媛新聞』には、当時の家電製品を紹介する記事が掲載されていますが、テレビは73,000円で、冷蔵庫の89,000円に次いで高額になっています。昭和33年の大卒平均初任給が13,000円程度ですから、テレビはこの時代、高嶺(たかね)の花だったことが分かります。

 また、『伸びゆく松山』(松山市政要覧1962年版)には、村上家でテレビの写真が撮影された昭和36年のデータとして、松山の世帯数61,851人に対してテレビ14,763台、普及率23.9パーセントと掲載されています。村上家にテレビが来たのはかなり早い方だったことが分かります。

伊予三島駅の荷物(昭和38年)

 こちらの写真は、昭和38年に伊予三島駅構内で撮影されたもの。伊予三島特産の紙製品に交じり、一番手前には、新品のテレビが梱包されて置かれています。東京オリンピックを翌年に控え、テレビの販売台数が伸びた時期と一致します。

写真でみる昭和の暮らし2 台所の変化

2008年5月18日

 村上節太郎は内子町平岡にあった実家と松山市南町にあった自宅、両方の台所を撮影しています。まず、昭和36年撮影の実家の台所から。

古い台所(昭和36年)

 調理をする女性の背後には、食物の煮炊きに使うカマドが見えます。セメントの流しに土間の古いタイプの台所です。脚付きのまな板の上では、茄子が調理されています。

タイルの台所(昭和36年)

 一方で、昭和36年に撮影された自宅の台所は、清潔感のあるタイル貼りの流しになっています。そして、写真をよく見ると、水道の蛇口の脇に「ワンダフル」と書かれた洗剤が置いてあることに気づきます。これはおそらく、花王が家庭用洗剤として昭和33年に新発売した「ワンダフルK」ではないかと思います。食器の油よごれを落とし、生野菜についている回虫や農薬を洗い流す家庭用洗剤がこの頃に登場、たちまち普及していきました。

ダイニングテーブル(昭和44年)

 もう1枚は昭和44年に撮影されたもの。実家のちゃぶ台に対して、自宅ではダイニングテーブルで食事をしていたことが分かります。またこの頃、村上家の台所にはガス湯沸かし器が導入されています。台所の写真を時系列に並べることで、快適なキッチンへという暮らしの変化が見えてきます。

写真でみる昭和の暮らし1 ちゃぶ台の昭和

2008年5月14日

ちゃぶ台は昭和の一家団らんを象徴するモノといえます。茶の間の中心にはいつもちゃぶ台がありました。村上節太郎が昭和38年に内子町平岡の実家で撮影した写真にも、ちゃぶ台が写っています。

ちゃぶ台で食事(昭和38年) 

 写真では、少し大ぶりなちゃぶ台を親族一同で囲んでいます。ちゃぶ台の上にはご飯や味噌汁などが並んでいます。普段となんら変わらない食事ですが、大勢で食べると一段とおいしく感じられたものです。
 ところで、企画展「写真でみる昭和の暮らし」では、ちゃぶ台の置かれた茶の間の様子をそっくりそのまま展示室内に再現してみました。

再現された茶の間

 夏の暑い日、家族でだらだら汗を流しながら、カレーライスを食べてる情景をイメージしてみました。カレールウが登場する以前は、肉と野菜を煮たところに、カレー粉とメリケンコを入れて、最後は醤油などで味を調える、素朴なカレーライスがつくられました。
 昭和30年代になると、婦人雑誌の付録にも洋食をテーマにした料理冊子が増えてきます。ちゃぶ台も和食から洋食まで様々な料理で彩られるようになりました。

西条藩松平家の雛飾りの列品

2008年2月17日

 西条藩松平家の雛飾りの列品に取り掛かりました。この雛飾りは、西条藩9代藩主松平頼学(よりさと)のもとに、京都の公家一条家から輿入れした通子(ゆきこ)が持参したものです。通子が頼学のもとに嫁いだのは、文政7(1824)年、19歳の時でした。

 雛道具は大名家のものにふさわしく専用につくられた木箱に収納されています。さらに、木箱の中では黄色の布に包まれており、雛道具がいかに大事に扱われてきたのかが伝わってきます。そして、私たちも小さな御道具の一つ一つを丁寧に箱から取り出していきます。

西条藩の列品作業1

 取り出した御道具を、雛壇の上にバランスよく並べていきます。今年で展示するのもちょうど10回目。どの御道具をどこに置くのかという配置に悩まなくなり、随分短い時間で今年も並べ終わりました。

西条藩の列品作業2

 西条藩松平家の雛飾りが完成した姿は、ぜひ展示室でご覧ください。

テーマ展「おひなさま」、列品中です

2008年2月15日

テーマ展「おひなさま」の開幕がいよいよ迫っています。展示ケースや展示台の設置も終わり、いよいよ資料を並べはじめました。展示されるのは、おひなさまばかりではありません。雛道具もミニチュアであることから、ミニチュアつながりで極小の小物細工なども展示します。列品している人間の手の大きさを見ると、その小ささが実感していただけると思います。

列品作業

 ちょうどいい大きさの展示ケースがなく、昨年はすし詰めになっていた御所人形も、既存の展示ケースを改良することで、ゆったりとした間隔で展示できるようになりました。

御所人形

 列品作業も佳境に入りました。一番時間もかかる西条藩松平家の雛飾りの列品にそろそろ取り掛かります。

御殿飾り(曲水の宴)

2008年2月14日

 右側の土台に当たる部分を復元製作して、御殿は組みあがりましたが、この御殿にはさらにこれとセットになる10分割された厚みがあまりない台と、たくさんの人形が付属していました。10分割の台をああでもない、こうでもないと思案しつつ組み合わせて、その上に人形を配置すると、この御殿飾りの全体像がようやく見えてきました。

御殿飾り(曲水の宴)

 御殿は当館が所蔵しているものなかで、最も大きなものになります。そして、白木造りの御所を模した御殿の前には、川の流れとともに桜や草花を配した庭園風の空間が広がります。その川のほとりに、色紙をもった人形を並べると、どうやら宮廷行事の一つ「曲水の宴」の様子を表現したものだと気づきました。「曲水の宴」は、流れる水に浮かべた盃が自分の前を通り過ぎるまでに和歌を詠み、速さと出来映えを競う遊びで、三月三日の上巳(じょうし)の節句に行われたので、まさにおひなさまの季節にぴったりな情景といえます。

曲水の宴の人形1

曲水の宴の人形2

 その後聞き取り調査をしたところ、この御殿飾り(曲水の宴)は、もともとは八幡浜市の旧家に伝わったもので、明治23(1890)年頃のものであることも分かりました。初公開となる春の季節にふさわしい御殿飾りのセットをぜひご覧ください。

御殿がよみがりました

2008年2月13日

 毎年恒例のテーマ展「おひなさま」。新しくおひなさまの寄贈があった年はいいのですが、なかなかそういうわけにもいかず、昨年の展示と違う部分をどう出すのかが担当者としては頭が痛いところです。

 今年の「おひなさま」展を準備する際に、歴史民俗資料館から移管されたおひなさまの活用が課題にあがりました。移管資料にはおひなさまが含まれていましたが、混在していたため再整理する必要がありました。その作業を行っていくなかで、大きな御殿飾りを発見しました。その御殿飾りのパーツを集めてみると、右側の土台が失われているものの十分組み立てられることが分かりました。

 そこで、右側の土台部分は復元製作することにしました。土台を箱形につくりその上に組み立てるパーツの位置を確認しながら、慎重に穴あけ作業を行っていきます。そして、ついに御殿飾りがよみがりました。この御殿飾りの詳細は次回に紹介します。

御殿の台の穴あけ作業

雛壇が立ちました

2008年2月10日

 寒い日がつづきますが、毎年恒例のテーマ展「おひなさま」の準備が始まると、心の中にそっと春の火がとぼるような気がします。そこで、少し気が早いのですが、先日、民俗展示室の山の家に雛檀を組む作業を行いました。大きな雛壇なので、三人がかりで作業を進めます。

組み立て作業

 この雛壇は、もともとは明治30年代に製作されたものですが、傷みが激しいので骨格部分は復元製作しました。それでも、金の背景板や御簾などは当時そのままのものを使っています。御簾や欄干、階段などを取り付けると、段飾りでありながらも御殿風というユニークな雛壇が完成します。組みあがった雛壇に人形を並べるのは、もう間もなく。今年もいよいよ「おひなさま」の季節がやってきます。

完成した雛壇

テーマ展資料紹介(6)段畑の道具 

2008年1月27日

テーマ展「宇和海と段畑のくらし」の資料紹介。
今回は段畑で使われた道具に関する資料を紹介します。

山の頂上まで耕された段畑では、耕作だけでなく、道具、肥料、収穫物などの運搬も人力で行われていました。
大変な重労働の際に使われた道具類です。


菅畚(すげふご)
宇和島市城山郷土館 蔵
運搬具。方言で岩菅(いわすげ)又はいわすぎともいいます。菅は、昔は漁師達が夏にこれを取って前掛(腰蓑)を編み、又は小縄をなって、畚や簀(すのこ)を編み、縦縄としました。藁(わら)と異なって濡れても乾きやすく、強いといわれます。


ショイコ
宇和島市立宇和海中学校 蔵
運搬具。『宇和地帯の民俗』(昭和36年)には、「背負子式の運搬具は全く普及していない」とありますが、昭和20年代の宇和海沿岸部の写真には、ショイコを背負う人々が写っているものが見受けられます。(下の写真は個人撮影のものです)


タナカゴと箆(へら)
宇和島市城山郷土館 蔵
段畑の除草道具。紐(ひも)を腰に括(くく)り、籠は腰の斜め後ろにし、ごく小さい雑草の根を箆でほぐして取り、籠に入れます。主に、麦を作っていたころに用いました。

農道やモノレールが出来た今でも、除草は手作業で行われます。また、収穫した馬鈴薯を畑からモノレールまで運ぶときも、畚(ふご)(ホゴロと呼ぶ地域もあります)が使われています。

テーマ展資料紹介(5)切干作りの様子  ~こんなに沢山サツマイモ!~

2008年1月25日

テーマ展「宇和海と段畑のくらし-海と「そら」の恵み-」の資料紹介です。
前回ご紹介したのは、切干作りの道具「千貫切り」。
今回は、切干作りの様子を写真でご紹介します。(写真は、いずれも個人撮影のものです)

千貫切りを使う
この写真は、千貫切りを使っているところです。サツマイモの量にびっくりしますね。
このように中腰で行い、ハンドルを持つ手には芋の重さがかかるので、力のいる仕事であったといいます。
子供の頃、この切干し作りの手伝いをした人も多かったようです。


こちらは、切干を干しているところです。
イリコを干すイリコ棚が最適でした。天日で4,5日乾燥させます。芋の種類にもよりますが、概ね乾燥前の3割の重量になったといいます。

イリコ棚にびっしりと並んだ大量の切干・・・。これらの写真を見ると、まず芋の量に驚いてしまいます。しかし、その大量の切干作りにあたっては、後には千貫切りには動力付きも登場するものの、ほとんど手作業で行われていました。どれだけ大変な作業だったことか・・・、想像するだけでも気が遠くなりそうです。

切干の棚と段畑