
昭和36年に村上節太郎が、松山南町の自宅で撮影した写真です。応接セットでブドウを食べながらテレビを見る子ども。子どもにとって至福の一時ともいえます。当時のテレビは、写真のように四本脚が特徴で、見ないときには専用の布をかぶせたりしました。
昭和31年10月2日付の『愛媛新聞』には、当時の家電製品を紹介する記事が掲載されていますが、テレビは73,000円で、冷蔵庫の89,000円に次いで高額になっています。昭和33年の大卒平均初任給が13,000円程度ですから、テレビはこの時代、高嶺(たかね)の花だったことが分かります。
また、『伸びゆく松山』(松山市政要覧1962年版)には、村上家でテレビの写真が撮影された昭和36年のデータとして、松山の世帯数61,851人に対してテレビ14,763台、普及率23.9パーセントと掲載されています。村上家にテレビが来たのはかなり早い方だったことが分かります。

こちらの写真は、昭和38年に伊予三島駅構内で撮影されたもの。伊予三島特産の紙製品に交じり、一番手前には、新品のテレビが梱包されて置かれています。東京オリンピックを翌年に控え、テレビの販売台数が伸びた時期と一致します。




















