‘特別展おすすめ情報’ カテゴリーのアーカイブ

おひなさまが「おひるのたまご」に登場

3月 2日 水曜日

 2月26日、27日のおひなさまイベント終了しましたが、土曜、日曜には各種イベントを行っています。ぜひ博物館のおひなさまに会いにきてください。

 なお、先日は企画展「おひなさま」について取材を受けました。この分については、3月3日(木)、午前11時40分~12時のNHK「えひめ おひるのたまご」の中で放映されます。お楽しみに。

香川元太郎さん来館! (「時の迷路」展)

2月 18日 金曜日

 

(右が香川元太郎さん)

4月23日(土)から開催される特別展「時の迷路―香川元太郎のフシギな世界―」の現地打合せのため、2月15日(火)に香川元太郎さんが当館に来ていただきました。新作迷路絵本の執筆でかなりお忙しい中、時間を割いていただきました。ありがとうございました。

かくし絵・迷路絵本作者で歴史考証イラスト画家の香川元太郎さん。

歴史雑誌や学習参考書に歴史イラストを提供しながら、PHP研究所から出版している『時の迷路』、『伝説の迷路』等は、シリーズ7冊で140万部を越えるベストセラー絵本としても今、話題となっています。

実は、この香川元太郎さんは、生まれも育ちも愛媛県。松山東高校を卒業後、武蔵野美術大学に進み、その後、画家として、迷路絵本作家として全国各地で展示会・サイン会などのイベントで活躍中です。

今回の展示は、出身地である愛媛にて、香川元太郎さんの作品を中心とした迷路作品を紹介します。展示室全体が巨大迷路のような空間となっており、子どもたちが歴史に興味を持つきっかけづくりとなる展示内容です。

今回は、ポスター・チラシのデザイン案や、展示室のレイアウト、展示資料の選定、講演会の内容や進行方法など、直接、展示室やホールを確認しながらの打合せでした。

ちなみに、香川元太郎さんの講演会は、4月30日(土)、5月1日(日)に開催します。子どもも迷路を楽しむことができて、歴史を学ぶこともできる。そんな講演会になりそうです。詳しくは、ホームページで後日紹介したいと思います。

お楽しみに。

なお、香川元太郎さんのホームページ「迷路・かくし絵 絵本館」は、こちらです。香川さんの活動がくわしく紹介されています。

テーマ展「宇和島藩の姫君と奥女中」の史料借用

2月 17日 木曜日

 毎年恒例になりつつある企画展「おひなさま」も、いよいよ開幕が迫ってきました。西条藩松平家の雛飾りをはじめ、細かい史料も多いので、並べるのに時間がかかりますが、ようやく終わりが見えてきました。
 企画展の展示の目途がたった昨日、関連展示として文書展示室で同時開催するテーマ展「宇和島藩の姫君と奥女中」のため、宇和島藩伊達家の史料を所蔵する(財)宇和島伊達文化保存会に史料借用にうかがいました。

 宇和島藩に迎えられた姫君の婚礼調度は、とても精巧に蒔絵(まきえ)が施された貴重な美術品ばかり。史料のコンディションを確認しながら、輸送に耐えられるように丁寧に梱包していきます。秋田藩佐竹から嫁入りした佳姫が持参した雛屏風の箱を開けて屏風を取り出すと、箱に何かが残っているのを見つけました。

 確認したところ、カマボコ型の木製品に和紙を巻いたものでした。写真に撮ってみましたが、後ろにピントが来たため、ピンボケ写真になっていしまい、申し訳ありません。強引に読んでみると、少し違っているかもしれませんが、「御屏風箱/上下御つめ/拾之内」とあるような。どうもこの器具は、屏風を運搬するために箱に入れた際に、屏風が動かないように隙間に詰めたものと思われます。佳姫の嫁入り道具を伊達家に運んだ最初の時から詰められていたのではないでしょうか。当時の人の丁寧な仕事振りを感じた一瞬でした。

春のきざし

2月 4日 金曜日

寒い日が続いていますが、ここ二日ほど晴れの日が続いて、残っていた雪もかなりとけてきました。これから少しずつ春らしくなるのでしょうか。

今日から民俗展示室2の海、山、里の三軒の民家の中に、段飾りのおひなさまを並べ始めました。展示室の中では、春への模様がえが進んでいます。

企画展「おひなさま」は、2月22日(火)のオープンになります。来週から準備も本格化します。

迷路絵本作家の香川元太郎さん

1月 29日 土曜日

ただいま、準備中の展示会「時の迷路―香川元太郎のフシギな世界―」。愛媛県歴史文化博物館にて4月23日(土)からの開幕に向けて、作業を進めています。

迷路絵本作家で歴史考証イラスト画家の香川元太郎さん。『時の迷路』などPHP研究所から出版されている迷路絵本シリーズは、130万部を越えるベストセラーとなっていて、今、話題の方です。

実は、香川元太郎さんは、愛媛県松山市のご出身です。愛媛の歴史に関するイラストも数多く描かれています。

今回の展示は、歴史に興味を持つきっかけとして、遊んで学ぶことのできる迷路とかくし絵の世界を体感できるものです。

会期は、4月23日(土)~6月12日(日)を予定しています。準備しながら、また、このブログに情報を掲載していきたいと思います。

宇和島城を歩く-城山探訪-

11月 26日 金曜日

 11月21日、特別展「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」の関連講座として、宇和島市教育委員会の廣瀬岳志氏を講師に、「宇和島城を歩く-城山探訪-」が実施されました。

 まず、最初に宇和島市立伊達博物館で、「宇和島の礎を築いた藩主たち」展を見学。宇和島藩主伊達家の歴代藩主に関係した資料が多く展示されていましたが、宇和島城関係では元禄時代の宇和島御城下絵図をじっくりと見ることができました。

 お昼は郷土料理の鯛めし。宇和島の鯛めしは炊き込みではなく、鯛の刺身をそのまま御飯にのせて、タレと生卵、きざみねぎなどの薬味を混ぜたものをかけて食べるもの。このスタイルの鯛めしは、「宇和島鯛めし」として、農林水産省の「郷土料理百選」にも選ばれています。

 おいしい鯛めしを食べて、エネルギー補給していよいよ城山に登り始めます。急な石積みの階段を1歩1歩上がっていきます。山城の防御性の高さを身をもって感じます。

 途中の井戸丸跡で小休止。井戸丸は城内で一番小さい曲輪で、その名のとおり深さ11mの井戸があります。谷の中で少し窪んだ地形になっており、岩盤から伝わってくる水を集めています。この井戸は、有事に備えて厳重に管理されていたといわれています。

 この井戸丸には城内唯一の金石文があります。写真では少し分かりずらいかもしれませんが、文政4(1821)年に井戸が大破して、その翌年に修復工事を行ったことが刻まれています。井戸の歴史を物語る貴重な史料が、さりげなく足下に遺っていました。

 さらに、しばらく階段を上り進むと、ようやく二の丸まで到達しました。ここから本丸の石垣越しに天守を撮影すると、宇和島城が美しく写ります。雑誌などにもよく使われる撮影ポイントなんだそうです。

 本丸で、宇和島城天守について解説していただきます。現存する天守は、寛文6(1666)年頃の伊達家の時代に建った総塗籠式・層塔型。宇和島城は独立式の天守であること、鉄砲狭間がないことなどから、平和な時代の象徴としての天守といわれています。

 左右対称にこだわって建てられており、唐破風、千鳥破風が連続する派手な外観になっています。内部はもともとは畳敷き、現代まで障子が残っているのも珍しいところです。

 天守の3階から宇和島湾を撮影してみました。現在は埋め立てられて、たくさんの建物が見えますが、江戸時代の最初はそのほとんどが海でした。当時の宇和島城はおそらく海に浮かぶ要塞のように見えたことでしょう。

 本丸から二の丸へ下り、帰りは藤兵衛丸、長門丸、代右衛門丸のルートをとります。藤兵衛丸では、現在城山郷土館となっている旧山里倉庫を外から見学します。山里倉庫は、弘化2(1845)年に三の丸に建てられた武器庫。現在はいろいろと手が加わっていますが、中の部材はほぼ当初のものが使われているとのこと。武器庫は全国的に見ても古建築としては3例しか遺っておらず、建築としての価値もこれから評価されていきそうです。

 長門丸へ下ってから、今度は藤兵衛丸の石垣を見学します。この石垣は13メートルを少し切る位の高さで、藤堂高虎時代に築かれた古いものと考えられています。 こうした直線的に高く積む石垣は、築城の名手藤堂高虎が得意としたところで、高虎が築いた他の城にも見出せます。

ここから現在工事中のエリアに入れていただき、代右衛門丸の東側の石垣を見学します。石垣は幅が1mを超えるような自然石が多用された古式のもので、「見せる石垣」となっています。城内で最も古い石垣かもしれないそうで、藤堂時代から伊達時代にどのように城が変化していったのか、興味が湧いてきます。

最後は、ようやく搦手(からめて)側の上り立ち門まで下りてきました。上り立ち門は簡素な薬医門。しかし、現存する薬医門としては最大級で、製材の分析から創建年代が藤堂高虎の慶長期まで遡る可能性が近年指摘されています。もしそうだとすると、最古級の薬医門ということにもなります。
  約2時間余りの城山ウォーキング。講師の廣瀬先生には、普段歩いていると見落としそうなお城の魅力をたくさん教えていただきました。宇和島市教育委員会では平成6年から宇和島城の保存整備事業が行っており、その中で発見されたことはHPで情報発信されていて、とても勉強になります。こちらもどうぞ御覧ください。

能島城と潮流体験

11月 19日 金曜日

 11月7日、特別展「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」の関連講座として、村上水軍博物館の学芸員田中謙先生を講師に、「能島城と潮流体験」を実施しました。

  能島は普段上陸が難しい無人島ということもあり、参加者一同期待に胸が膨らみます。今治市街を経て来島海峡大橋まで来ると、もはや村上水軍の世界。来島・小島・中渡島・武志島など、かつての海城(うみじろ)跡を眼下に大島へ入ります。

  宮窪地区へ入っても、すぐには能島に向かわず、カレイ山展望台へ。最近はカレイ山のカレーが静かなブーム(?)のこの山、実は能島城の絶景ポイント。ここで田中講師とも合流し、能島周辺の島々・瀬戸の概観を眺め、遠くは広島県まで見渡しました・・・、と言いたいところでしたが、あいにく霧が立ち込め、能島周辺がやっとぼんやり見える程度で少し残念でした。でも講師曰く「こんな幻想的な能島城もなかなか見れませんよ。」・・・そのとおりです。

 

 下山した後、村上水軍博物館へ移動。講師の解説とともに、最新の発掘成果を織り交ぜた展示を見学。村上水軍の歴史、能島からの出土品、村上家の伝来品など、貴重な史料を分かりやすい解説で勉強しました。

  そしていよいよ海へと乗り出します。まずは能島の周囲と船折瀬戸の潮流を体験。当日はちょうど大潮の日で、潮は一段と激しく流れていました。「船折」の名もさながらに、船が流されてしまうのではないかと思うくらいの速さで轟音を立てながら、月並みですが「まるで川のように」流れる潮、大小の島・岩礁や海底の複雑な地形によって海水がまるで湧き出すかのように盛り上がる湧潮、潮と潮がぶつかり合いながら生み出される渦潮、渓流のように岩礁を乗り越え流れる潮流。あまりにも印象の違う海の姿に参加者全員、船酔いすることも忘れて潮流に見入っていました。

  

 こんな海に囲まれた能島が、まさに海に守られた城であることを実感するとともに、こんな海を航行するにはよそ者だけでは命に関わるため熟知した村上水軍たちの助けがどんなに大切なものかも実感することができました。

  

 最後に、お待ちかねの能島城へ上陸。現在桟橋が設置されている平地部は、実は戦国時代から埋め立てによる平地が作られていた場所で、生活道具なども出土しています。そこから発掘作業中の三之丸へ上り説明を聞き、そして「船だまり」といわれる北側の浜にも下りました。岩礁部に、満潮海水面に合せるように作られた武者走り、よく見るといくつもの柱穴(ピット)が開いています。「船だまり」の名のとおり、岩礁に柱を立てて船を係留していたのではないかと考えられているようです。

  

 そして、二之丸・本丸へ。本丸には、見張り台のような「井楼」(せいろう)が建っていたと考えられています。やはり発掘中の東南出丸でも説明を聞き、船へと戻りました。

  

 現在進行中の発掘現場で説明を受け、能島の様子を目にし、周囲の景観も眺め、能島城を堪能できたひとときでした。「防御遺構が少なく、生活臭さがたっぷりある能島城は、「城」としての性格を再検討する必要があるのかもしれない」という講師の一言も、大変印象に残りました。

 参加者全員、村上水軍の世界を体感した一日でした。

大洲城を歩く-城下町探訪-

10月 28日 木曜日

 10月24日、特別展「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」の関連講座として、大洲市教育委員会の白石尚寛先生を講師に、「大洲城を歩く-城下町探訪-」が実施されました。当日はあいにくの雨でしたが、30人以上の方にご参加いただきました。

 大洲城の二の丸の敷地内である市民会館を出発して、内堀に沿って歩いていきます。現在、内堀は埋め立てられていますが、しばらく歩くと1カ所だけ内堀の地形をそのままとどめている場所が内堀菖蒲園として整備されています。

 公園から西に少し歩くと、外堀があった場所に行き当たります。三之丸の北西に当たるこの場所にはかつて二重櫓の北西隅櫓があり、現在でも石垣がしっかりと残っています。
 三之丸のエリアから外れ、次に外堀沿いに南下していきます。外堀の場所も現在は埋め立てられ、完全に宅地化しています。 三之丸は上層の藩士が住む武家屋敷であるのに対して、その外側のエリアは、それより低い階層の藩士が住む武家屋敷が続いていました。明治に入り武家屋敷にも地租が設定されると、屋敷として維持することが困難になり、桑畑へと変化していきます。

 実際に昭和10年代の地図を見ても、左側に鉄砲通りと記されたこのエリアには畑の記号が入っており、桑畑になっていたことが推測できます。

  このエリアを抜けて、再び三の丸エリアに入り、大洲高校方面に向けてさらに南下します。そして、お殿様公園として整備された国登録有形文化財の旧加藤家住宅を見学しました。旧加藤家住宅は、旧大洲藩主の加藤家が大正14年に建築した木造2階建ての和風建築。2階の3面が当時「ガラス障子」と呼ばれたガラス窓て、旧大名家の住宅にふさわしい開放的なつくりになっています。昭和52年公開の映画『男はつらいよ-寅次郎と殿様-』にも、殿様の屋敷として登場したそうです。
 今回は歴史学習の講座ということで、普段立ち入ることができない住宅内部も見学を許可していただきました。やはり見どころは2階の3方向にまわるガラス障子。よく見ると、作られた当時のものと思われるガラスも所々に残っていて、外を覗くと風景が少しゆがんで見えます。

 北側のガラス障子からは、大洲城の天守を正面に見ることができます。眺望という点でまさに贅沢な住宅といえます。

 南側の窓からはすぐ近くに三の丸の南隅櫓が見えます。南隅櫓は享保7(1722)年に焼失しているので、現存するのは明和3(1766)年に再建されたもの。厳しい藩財政の問題から再建するまでに40年以上かかり、さらに木材についても重要な部分だけに杉を使い、それ以外は栂(つが)にするなど、経費をおさえる工夫がされているそうです。

 お殿様公園を出て、しばらく歩き外堀を挟んで三の丸の南隅櫓が見える場所まで移動。このポイントは明治末~大正時代と思われる絵葉書になっているので、絵葉書と現在の景色を対比してみました。

 南隅櫓付近は松並木があったそうですが、絵葉書には確かに数本松の姿が見えます。外堀は埋め立てられて大洲高校のグラウンドとなっていますが、現在でも堀の形がしっかり残っていることが分かります。

 この後さらに町人が住んでいた城下町部分も巡見するつもりでしたが、残念ながら降り続く雨のため、ここで中止せざるを得ませんでした。なお、大洲城の見どころを詳しく解説いただいた白石先生には、特別展図録に「大洲城下町における町割の変遷について-中町一丁目を中心に-」を執筆いただいています。大洲の城下町についてはぜひ論考を御覧ください。

松山城を歩く-砂土手探訪-

10月 20日 水曜日

 10月17日(日)は、特別展「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」の関連講座として、愛媛県生涯学習センターの柚山俊夫先生を講師に、「松山城を歩く-砂土手探訪-」が実施されました。

  まず最初に、県立図書館の視聴覚室をお借りして、松山城の東にあり、これまであまり注目されてこなかった砂土手と念斎堀について先生の講義を受けます。砂土手と念斎堀は加藤嘉明が築いた軍事目的の施設で、大坂の陣(1615年)が終わると、その工事は中断します。この未完の砂土手、念斎堀について、江戸時代の松山城下絵図や明治の土地台帳、米軍が撮影した航空写真を駆使して、詳しく解説いただきました。また、明治の土地台帳に出現する「大手口」という小字地名、絵図に描かれた砂土手の形状などを論拠に、「加藤時代の松山城大手口は北部砂土手にあったのではないか」という仮設も提起されました。
 その後、昼食をはさんで、ロープウェイ乗り場を起点にいよいよ砂土手と念斎堀の痕跡を求めて歩き始めます。

 最初に東雲公園を歩きます。ここはかつての念斎堀だった場所で、昭和30年に埋め立てられて公園となっています。したがって、公園の土地は低く、その南側の宅地化している部分が砂土手で、少し高くなっていることが画像からも分かります。

 さらに勝山通りを越えて、東側の砂土手、堀の痕跡を探して歩きます。さらに松山東高校の西側付近まで行くと、明治の絵図にも登場する「砂溜北堀」と「砂溜南堀」と思われる水路を確認することができました。明治の絵図によると、ここから少し南に行くと、念西(斎)本堀が描かれています。
 かつて松山藩主の別荘であった石手花畑があった此花町の青少年センターまで歩き、ここから引き返します。ちなみに、石手花畑の池は、花畑廃止後は水練稽古場となっており、司馬遼太郎の『坂の上の雲』には、秋山真之が帰省中にこのお囲池で遊んだり、陸軍の兵隊とケンカしたりする場面が記されています。

 帰りにも、北持田町の松山地方気象台の前あたりで、砂土手と平地との高低差を確認しました。現在は砂土手部分はコンクリートで固められていますが、重い鎧を着けた武者が、土塁であった砂土手を乗り越えるのは困難だったことなど、補足説明を受けました。
 松山城というと、天守や整備が進む二の丸や堀之内に目が向きがちですが、市街地に残る城郭遺構に目を向けた今回の講座は、受講者にとっても目新しいものだったようです。なお、現地の城を歩く関連講座は、大洲城、能島城、宇和島城とさらに続きます。その中で私たちが知らない新しい城の姿が見えてくるかもしれません。
 最後に、今回柚山先生がお話しになった内容は、特別展示図録に「加藤嘉明時代の松山城砂土手と「大手口」」のタイトルの論考として掲載されています。

特別展図録に収録されている絵図

10月 13日 水曜日

 特別展図録「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」には、今回たくさんの絵図の図版が収録されています。伊予の4つの近世城郭について、どのような絵図が収録されているのか参考のために一覧を作成しました。

宇和島城(8点)
 幕府隠密宇和島城見取図〔寛永4年〕(伊予史談会蔵)
 宇和島城下絵図〔承応3年頃〕(伊予史談会蔵)
 宇和島城下絵図屏風〔元禄6~8年頃〕(宇和島市立伊達博物館蔵) 
 宇和島城郭之図〔元禄12年〕(愛媛県立図書館蔵)
 宇和島城下屋敷割絵図〔元禄16年〕(伊予史談会蔵)
 宇和島城下絵図〔安永5年〕(愛媛県立図書館蔵)
 桜田監物屋敷図〔文政9年〕(宇和島伊達文化保存会蔵)
 宇和島御城下地図〔安政2年〕(当館蔵)

今治城(4点)
 幕府隠密今治城見取図〔寛永4年〕(伊予史談会蔵)
 伊予今治城之図〔貞享2年〕(今治城蔵)
 今治城絵図〔安永8年〕(今治城蔵)
 今治城郭之図〔明治4年〕(愛媛県立図書館蔵)

大洲城(7点)
 幕府隠密大津城見取図〔寛永4年〕(伊予史談会蔵)
 大洲城絵図〔元禄5年〕(大洲市立博物館蔵)
 御城中御屋形並地割図〔元禄5年〕(個人蔵・大洲市立博物館保管)
 大洲城下絵図〔寛政11年〕(大洲市立博物館蔵)
 大洲城石垣普請図〔文化8年〕(個人蔵・大洲市立博物館保管)
 大洲城及附近侍屋敷地図〔文化10年〕(個人蔵・大洲市立博物館保管)
 予州大洲町内全図〔万延元年〕(個人蔵)

松山城(12点)
 公儀隠密松山城見取図〔寛永4年〕(伊予史談会蔵)
 与州松山本丸図〔江戸初期〕(甲賀市水口図書館蔵)
 蒲生家伊予松山在城之節郭中屋敷割之図〔寛永4~9年〕(当館蔵)
 松山城下細図〔寛永12年〕(伊予史談会蔵)
 水野秘蔵松山城下図〔寛文~天和年間〕(伊予史談会蔵)
 松山御城下絵図〔文政11年〕(伊予史談会蔵)
 亀郭城秘図〔文久4年〕(伊予史談会蔵)
 二之御丸全図〔文化14年〕(愛媛県立図書館蔵)
 御三丸図〔天明3年以前〕(伊予史談会蔵)
 松山城下古新町地図〔延宝5年〕(愛媛県立図書館蔵)
 石手御花畑之絵図面(伊予史談会蔵)
 松山市地図〔明治19年頃〕(伊予史談会蔵)

 今回の図録には近世城郭だけでも31点の絵図を掲載し、各城郭について近世初頭から幕末、明治時代にいたるまで、時代的な変遷も分かるように編集しています。ミュージアムショップで販売中ですので、ぜひ御覧ください。
 なお、郵送によるお取り寄せもできます。詳しくは下記のページでご確認ください。
 http://www.i-rekihaku.jp/friend/sale.html