2007 年 5 月 のアーカイブ

展示予告「異界・妖怪大博覧会」5―百鬼夜行絵巻3―

5月 31日 木曜日

当館所蔵の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「妖怪」シリーズの第2回目。今回は、鬼だけでなく、道具の妖怪も登場です。(本資料は、7月10日~9月2日の企画展「異界・妖怪大博覧会」にて展示予定です。)


3 唐櫃を覗く赤鬼 
唐櫃の中に多くの妖怪が潜む。それを巨大な赤鬼が覗く。さて、この赤鬼、よく見ると角がない。虎の毛皮のパンツも履いていない。鬼にもいろんな姿があるようだ。


4 釜の妖怪 
釜をかぶって、手には笹の葉を持っている。毛皮を羽織っているようにもみえる。鳥山石燕著『百器徒然袋』の「鳴釜」は、これを基に描いたものだろう。


5 五徳の妖怪
台所道具の妖怪だ。五徳とは、火鉢の灰の中に置いて、鉄瓶や釜をのせる輪形の台。火吹き竹を前に吹いているが、炎は後方の頭上から出ているではないか。

ワークショップ 紋切りあそび

 5月27日(日)にワークショップ「紋切り遊び」を行いました。紋切り遊びとは、色紙を切って日本古来の文様を作ることです。作り方は簡単。折った色紙の上に型紙を貼って、線の通りに切ります。それを開くと紋のかたちが現われます。

 

 例えば、下の写真は、こうもりの文様で、右が型紙、左が出来上がった文様になります。

 

 こうもりの文様と聞くと、ちょっとびっくりされるかもしれませんが、蝙蝠(こうもり)という漢字の「蝠」という字が、中国では「幸福」の「福」と発音が同じことから、おめでたい文様とされており、それが日本にも伝わりました。何気ない文様にも実は意味があるんです。

 5月のワークショップでは、切った文様を使ってコースターを作りました。同じ文様でも色の組合わせや空間の配置を変えると、かわいくもかっこよくもなるから面白いものです。参加者の皆さんのセンスの見せ所とも言えます。
 6月と7月の「紋切り遊び」では、うちわに挑戦します。世界でたった一つのうちわを作ってみませんか?

村上節太郎写真16 松前のおたた 昭和7年

5月 30日 水曜日

村上節太郎写真3-385
 おたたとは頭上運搬する魚の行商をいうが、松前というとおたたを連想するほど、松前のおたたは広く知られていた。明治8年の調査によると、松前のおたたは320人で、その半数は松前から10キロ圏内が行商圏で、日帰りがほとんどだった。その後鉄道の延伸や乗合自動車の普及とともに、人口が多い松山道後を中心に森松線や横河原線の沿線、そして砥部や久万へと行商圏が広がり、泊まりがけの行商も行われるようになった。

 村上節太郎の写真を見ると、伊予絣の着物に前かけをつけて草鞋(わらじ)か地下足袋を履くおたたさんの服装がよく分かる。頭には手拭いの輪を置き、その上に「御用桶」の焼印が入ったゴロビツ、竹で編んだざる(したみ)をのせている。商品は生魚、いりこ、小魚を煮て味付けした儀助煮で、10貫(約37.5キロ)~15貫(約56キロ)ぐらいを頭にイタダキ歩いたという。 松前では行商を経験しないと一人前と認められなかったそうで、村上の写真には御用桶を頭に未知の土地に販路を開拓していったおたたさんのたくましさが感じられる。

 戦後になると、頭上運搬は年輩の女性だけで、若い女性は手に荷物を提げるようになり、やがて「カンカン」と呼ぶブリキの容器が使われるようになる。村上の写真からはそうした変化まで読み取ることができる。

※下の写真は、横河原駅に降りた松前のおたた。荷物は風呂敷でかつぐか、手に提げている。昭和26年。
村上節太郎写真6-451

宇和島市遊子水荷浦の段畑「重要文化的景観」に答申

5月 29日 火曜日

■ 重要文化的景観について

マスコミ報道などで既にご存知の方も多いと思いますが、先日、宇和島市遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑が、国の文化財審議会によって、重要文化的景観に選定されるよう答申されました。

段畑の保存と活用に取り組んでこられた「段畑を守ろう会」はじめ地域の皆様に、心からお喜び申し上げます。

「重要文化的景観」という語句を、まだ聞きなれない方も多いかもしれません。
これは、平成17年から始められた新しい文化財保護の手法で、その土地ならではの暮らしや仕事、風土によって形成された景観地で、日本国民のそれぞれの土地ならではの生活、生業を理解するために不可欠なものをさします。

それぞれの土地の特徴や気侯、歴史を反映したくらしが行われている地、という点がこれまでの史跡や名勝との相違点といえるでしょうか。

今までに重要文化的景観に選定されているのは、「近江八幡の水郷」(滋賀県近江八幡市)、「一関本寺の農村景観」(岩手県一関市)の計2件です。また「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域」(北海道平取町)も、今回同時に選定への答申がなされています。
「遊子水荷浦の段畑」は、中四国以西では初の選定となります。」

■ 遊子水荷浦の段畑とは

遊子水荷浦の段畑の場合、段畑が宇和海の風土と調和し、地域住民の生活と深く関わりながら維持されてきた点などが評価されました。


2月の段畑
水荷浦は冬でも霜が降らないので、日本一早く露地ものの馬鈴薯が収穫できます


3月の段畑
収穫を間近に控え、青々と繁る馬鈴薯の葉


4月の段畑
だんだん祭りの日。
収穫を終えた畑も多くなりました。

地域の人々にとっては、日々見慣れた、非常に身近な景観であるため、普段その価値にはなかなか気付きにくいものです。
穏やかな宇和海と美しいリアス式海岸、そして段畑は、私たちにも非常に馴染み深く、愛媛を代表する風景の一つです。しかし、それは自然発生的に出来上がったものではなく、また一朝一夕になされたものでもなく、宇和海に生きてきた人々の長い間の暮らしの積み重ねといえるのではないでしょうか。

当館では、今回の選定を記念し、今年12月~2月頃にテーマ展の開催を予定しています。
このブログでも、今後、展示の準備状況や興味深い資料など、随時ご紹介していきたいと思います。


段畑の石垣
石垣積みや修復は手作業で行います。
石垣の間に生えた草をこまめに抜くのも、大事な仕事だそうです。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」4―百鬼夜行絵巻2―

5月 27日 日曜日

当館所蔵の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「妖怪」を数回にわたって紹介します。(本資料は、7月10日~9月2日の企画展「異界・妖怪大博覧会」にて展示予定。)


1 御幣を持つ赤鬼
罪を祓う大幣(おおぬさ)という神具を持って走る赤鬼。鬼が神具を持って妖怪を追いかけている様子。本来、追われるべき鬼が逆さまの役割を担う。


2 冠をかぶる青鬼
矛を担いで疾走する青鬼。鬼なのに公家の冠をかぶっている。妖怪世界の治安を守る警護役とされる。この鬼は「追われるべき鬼」ではないようだ。

「発掘 南予の遺跡」 後1ヶ月で閉幕。お見逃しなく!!

5月 26日 土曜日

 現在、考古展示室では、博物館がある県南西部の南予地域の身近な歴史を紹介する「発掘 南予の遺跡~身近な歴史を見て・ふれる?~」を開催しています。
 南予地域では、この10数年の間に高速道路建設や史跡整備に伴い多くの遺跡の発掘調査が行われています。今回の展示では、(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターが発掘調査を実施した遺跡を中心に、旧石器時代から近代にいたる17遺跡の調査成果をわかりやすく紹介しています。
 主な展示項目は次の通りです。

・四国最古の石器群-伊予市双海町東峰遺跡第4地点-
・大洲盆地を見下ろす山城-大洲市元城跡-
・時代のものさしになる弥生土器が出土-西予市宇和町上井遺跡-
・縄文時代の石器製作跡-宇和島市津島町犬除遺跡2次調査-
・戦国南予の戦乱-宇和島市正徳ヶ森城跡・岩倉城跡・角ヶ谷城跡・長松寺城跡―

 これらの調査成果は、南予地域の歴史を検討する上で新しい資料ばかりです。展示室内には、発掘で出土した土器をさわるコーナーもあります。この機会に地域の身近な歴史資料を見て・ふれてみませんか?
 なお、この展示は7月1日までの予定です。お見逃しなく!!

村上節太郎写真15 頭上運搬する女性2 昭和20年代

5月 25日 金曜日

村上節太郎写真7-509
 女性の頭上運搬を真正面から取り上げた研究書としては、民俗学者、瀬川清子の『販女(ひさぎめ)』(三国書房、昭和18年)があげられる。瀬川はその本の序文に、当時販女の姿が急速に消え去ろうとしているとし、販女を通して婦人が家のため、社会の文化のために果たしてきた、大きな役割を認識したいと研究のねらいを書き記している。
 瀬川が愛媛県の中で頭上運搬の事例としてあげているのは、越智郡宮窪村、越智郡魚島村、今治の大浜、松前町のオタタサンの四つ。このうち魚島村について瀬川は次のように記している。

(引用文)
 同(越智)郡魚島村は男漁女耕で船乗りはいない。土地が狭く、山が急で、その山がことごとく畑であるからどうしてもカベル必要がある。弓削島から嫁にきた者は、はじめよわったが、いつかはみなカベルようになった。女学校を出た娘でもやはりいつかカベル。そうせぬと他の女たちから非難されるからである。以前は12,3歳になるとカベラせ、大人は四斗俵ぐらいはカベル。氏神祭には娘仲間が水をカベッて山の神社にゆき、神輿を洗う。カベルには丸いワを頭にあげてカベル。女のワカナカに草をからすと、20貫は普通であるが、30貫カヅクのを常とした。

 頭に荷物をのせた上に、肥桶を振り分けにして運んでいる女性など、村上節太郎は魚島の頭上運搬の様子を写真に記録しているが、瀬川の文章を読むと村上の写真の背景にあるものが見事に浮かび上がってくる。

ボランティアさんと資料整理をしました。

5月 24日 木曜日

5月23日(水)にボランティアさんと民俗資料の整理を行いました。博物館の仕事の中でも資料の整理・保存は、地味ですがとても大事な基礎部分になります。

今回整理をした資料は、皿ばかりや分銅(ふんどう)、升などの計量道具と、玄翁(げんのう)やかんな、のみなどの大工道具です。二人一組になり、資料の寸法を測る人、記録する人に分かれて、作業を進めます。

その後、資料に登録票という小さな紙札をつけていきます。この登録票は、資料につける名札のようなもので、登録番号や資料名、使用地などを書き込んでいます。
民俗資料は、形や大きさもバラバラ。寸法はどこを測ったらよいのか。登録票はどこにつけたらよいかなど、皆さんとあーでもない、こーでもないとお話しながらも手際よく整理はつづきます。

整理された資料は、分類ごとに分けられた民俗収蔵庫の棚へ収めます。収集した資料を整理・保管しておくことが、調査や展示、一般公開へとつながります。

今回の資料整理では2時間弱で100点近くもの資料を整理することができました。ボランティアさんのおかげです。ありがとうございました。
 

平城貝塚と展示室のリニューアル

5月 23日 水曜日

愛南町御荘平城(ひらじょう)に所在する平城貝塚(県指定史跡)は、明治24(1891)年に高知県の地域史研究者・寺石正路氏によって発見された、県内でも早くから知られた縄文時代後期(約3500年前)の貝塚です。その後、昭和初年にかけては愛媛県内の研究者や中央の考古学者が平城貝塚を訪れ、発掘を行っています。本格的な調査は、昭和29(1954)年以降、平成8(1996)年まで5回に亘り、行われています。

出土遺物の多くは現地の平城公民館にて展示されていましたが、平城交流センターの新築に伴い、新たに展示室が設けられました。今回は、愛南町教育委員会の依頼で、この展示室の展示資料や展示方法についてアドバイスをするため、新しい展示室を訪ねました。

新設された平城交流センター

従来は公民館の廊下に設置されていた展示ケースにひっそりと展示されていた資料ですが、この展示室では、貴重な資料がゆっくり見学できます。当面は、これまで展示されていた資料を展示されるようですが、今年の夏頃には、よりわかり易い展示に変更することを予定されているようです。

展示準備中の展示室

この貝塚は、縄文時代後期の磨消(すりけし)縄文という手法で製作された平城式土器の標識遺跡として著名です。この土器は対岸の東九州の小池原(こいけばる)式土器と類似しており、豊後水道を介した人々の交流がうかがえます。また、貝製の笛や貝製の腕輪、獣骨で作られた漁具、当時の人々が食べた貝殻など、約3500年前にこの地域に暮らした人々が目の前に広がる海と深く関わっていたことがわかる資料がたくさんあります。
展示室は5月末にオープンする予定とのことですが、今後は、当館が保管する写真資料などをパネル展示することで、考古学の専門家でない一般の見学者も貴重な資料を理解できる展示室にしたいという担当者の意向をうかがいました。微力ですが、貴重な地域の宝を地域の方に理解していただけるよう協力したいと考えています。

村上節太郎写真14 頭上運搬する女性1 昭和20年代

5月 22日 火曜日

村上節太郎写真7-507
 村上節太郎が撮影した写真のなかには、たくさんの働く女性の姿がある。なかでも興味深いのは、かつて行われていた女性の頭上運搬を撮影していることである。頭上運搬が有名なのは、魚の行商を行う松前のおたたであるが、芸予諸島でも広く行われていた。

 写真は魚島の女性をとらえた一枚。魚島では頭上運搬することをカベルと言ったが、急な山に畑が開かれていたため、下肥を入れた肥桶も、収穫した作物もすべてカベッテ運んでいた。驚くことに、魚島の女性は、20貫(約75キロ)ぐらいはカベルことができたという。この頭上運搬の習俗は昭和40年頃を境に行われなくなるが、何げない女性の労働を記録した村上の写真はそれだけに貴重である。
 
※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月27日掲載分)

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