
きせかえの展示コーナーをみながら。「「フジオ」とあるのが、石川勉強堂でつくっていたきせかえです。それにしてもよくこんなに残っていましたね。」「今回展示している分で18枚ほど展示しています。」「実は私のところでは印刷用の版は30年以上も使わずに保存していたのですが、一昨年倉庫改築の時に全部処分しました。実物もないんですよ。こういう催しがあると解ればとっておいたのですが…。きせかえは大概ははさみで切りぬいて使ってしまうから、もともとの状態ではなかなか残らないし。うちのがこんなに揃っているのを見たのははじめてですよ。」

「きせかえの表と裏があるでしょう。昭和30年代ぐらいのものまでは裏(後姿)まで付いていたんです。」

きせかえのうち、女の子の部屋の分を指さしながら。「これなんか懐かしいね。よく覚えています。ありとあらゆる設定できせかえつくって、最後にはネタがなくなって、お相撲の土俵までつくっちゃいました。」「えっ、きせかえで、お相撲の土俵ですか。何か、女の子には人気なさそうですが…。」

おさかなやさんのきせかえを指さし、「これもありました。いろいろなお店屋さんをつくりましたよ。ついているお金で買い物遊びしたりするやつで、よくつくられてました。」
ホームのきせかえを見ながら。「これは石川勉強堂でつくったものじゃないです。これも名古屋あたりでつくられていたものじゃないでしょうか。唇にのせる紅の色がずれちゃっているでしょう。うちでは特に顔の赤い唇がずれてしまうと、売り物になりませんでしたが…。このホームというネームの入った短冊を小鳥がくわえているサインなんか、きいちの最も出回っているサインにそっくりだね。やはり、きせかえでもきいち先生に似せたものもかなりつくられてたんじゃないかな。」
児島明子さんのミスユニバースのきせかえを指さして尋ねてみる。「これは昭和34年に児島明子さんがミスユニバースで優勝した時につくられたものと思いますが、こういった当時のニュースを取り入れてつくったものもあるんですか?」「きせかえもたくさんつくっていたから、最新の流行も取り入れてつくっていました。なかには美智子妃のきせかえというのもありました。きせかえの中で一番売れ行きのよかったのは、『お母さん』『お父さん』『和装、洋装のお嫁さん』でした。お嫁さんは女の子のあこがれの的でしたから、きせかえでもぬりえでもよく売れました。所帯道具も画き込みましたが、テレビや洗濯機の最新のものを載せ、玩具問屋に注文取りに行くと、へぇー、こんなに凄い家財道具!君のうちにもあるのかい?とひやかされました。」
きせかえの製作手法について。「あらかじめ作家が紙に描いた下絵をもとに、描き版屋がそれぞれの色ごとに、構図や描線を描きとっていきました。こうして出来た版下をもとに製版がされ、色ごとに重ねていくように印刷がされました。描き版のものは五色刷りでしたので、版のズレなんかがでたりして苦労しました。そっちにある相撲メンコで写真製版のものがあるでしょ。あれは四色刷りでしたが、写真製版がではじめた頃は、描き版のものよりも大分値段が高かったです。」
きせかえの値段について。「1枚が2円で売っていました。値段が安かったんで、なんとかならないかと思って。そっちの方にきせかえ2枚分が1枚になっているやつがあるでしょ。そんな倍の大きさのものもつくったりして、それを5円で売ったりもしました。」
石川勉強堂の石川富也さんからぬりえやきせかえについて、いろいろと教えていただきました。ぬりえときせかえは今も昔も少女の遊びの定番です。今回展示をご覧になっていた方にも、紙箱にお部屋が描かれたきせかえを貼って、その前でお父さん、お母さん、兄弟姉妹などの家族のきせかえを集めて、ままごと遊びした思い出をお聞きしました。長い年月、たくさんの女の子が楽しんだぬりえやきせかえの裏側に、石川さんのような版元の様々な努力があったことを改めて知りました。いろいろなことを教えていただいた石川さんに深く感謝申し上げます。
なお、ぬりえについては、『少女趣味』創刊號の「ぬりえの魅力 第一回」に、石川さんへの聞き取りが既に掲載されており、参考にさせていただきました。