2007 年 6 月 のアーカイブ

展示予告「異界・妖怪大博覧会」16―山姥と金太郎―

6月 30日 土曜日

これは、伊予市にある伊予稲荷神社所蔵の山姥金時(やまんばきんとき)の絵です。金時とは昔話でも有名な「金太郎」のこと。実は、丹波国大江山(今の京都府)にすんでいた鬼「酒呑童子(しゅてんどうじ)」を退治した四天王の一人坂田公時(さかたのきんとき)の幼名なのです。

金太郎の母親は、足柄山(今の神奈川県)の山姥(やまんば)とされます。元は八重桐(やえぎり)という名前で、京都の坂田蔵人(くろうど)の妻でしたが、蔵人が自害してしまい、八重桐は、故郷の足柄山の山姥となり、金太郎を産んだといいます。

江戸時代の軍記物『前大平記』によると、山姥が山上で眠っていると、夢で竜が雷鳴とともに訪れ、目覚めると身ごもっていた。それが金太郎であったといいます。

成長した金太郎は、足柄山で熊と相撲をとったりするなど、母に孝行する元気な子供に育ち、そののち、足柄峠を通った武将の源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう)と出会い、家来となって京都にのぼって頼光四天王の一人となります。そして大江山(京都府)に住む酒呑童子を退治したのです。

金太郎に関する伝説は、江戸時代に浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)の題材としても取り上げられ、広く庶民に親しまれました。

なお、本画は江戸時代後期の画家で岸派の祖とされる岸駒(がんく)の作で、伊予市の有形文化財に指定されています。 

今治市相の谷1号墳の出土遺物(3)ダ龍鏡と国産の鏡

6月 29日 金曜日

ダ龍鏡 拡大
ダ龍鏡(拡大)

 相の谷1号墳の竪穴式石槨から出土したもう一面の銅鏡はダ龍鏡と呼ばれる倭鏡(国産の鏡)です。ダ龍とは、ワニをモチーフとした獣とされています。この鏡は中国で製作された画紋帯神獣鏡という鏡をモデルに製作されたと考えられていますが、どのような過程でこの紋様が鏡に表現されたかはわかりません。

 この資料(径11.6cm)は、石槨のほぼ中央で、背面(紋様のある面)を上にした状態で、完形で出土しています。しかし、調査時には二次的移動を想定しており、副葬された位置を保っていないと考えられます。

 今回の再整理では、クリーニングの結果、鏡のモチーフである四体の獣の形が明確となりました。それぞれには羽状の表現が認められ、嘴(くちばし)と思われる表現が三体で確認できることから、これら四体の獣は「鳥」を表現したものと考えました。そのため、ダ龍が表現されていないことから「獣紋鏡」という名称が適当であると考えています。
 紋様の特徴は、外側から捩紋(ねじもん)帯、半円方形帯、鳥像をそれぞれ配することです。類例としては、外区(外側の紋様のある部分)に捩紋帯を有する資料が10数例、内区主紋(中央の紋様の部分)に鳥像を有する資料が10数例確認できますが、外区・内区の紋様構成が完全に一致する資料は確認できません。類例を検討した結果、この「鳥」の原形は、大型のダ龍鏡の外区に表現された鳥の紋様帯ではないかという結論に行き着きました。また、この鏡はダ龍鏡をモデルに製作された捩紋(ねじもん)鏡という別の種類の鏡へ変化する要素が含まれていることがわかりました。

ダ龍鏡 X線写真
X線写真

 このように考え、この鏡の製作年代は、最古のダ龍鏡とされる滋賀県雪野山古墳出土鏡を上限とし、雪野山古墳の築造年代から前期前半(4世紀前葉)以降として位置づけました。しかし、鏡が製作された年代と古墳に副葬された年代には時間差を想定することが可能なため、この鏡の製作年代がそのまま、古墳の造られた年代とはいえません。この鏡の製作年代は古墳に副葬された上限の年代を推定させるものです。古墳が造られた年代を判断するには、一点の資料からではなく、他の副葬遺物や古墳に設置された埴輪など様々な要素が必要となります。

 さて、前回紹介した画象鏡も「鳥」がモチーフにされていました。この古墳の被葬者はこの紋様をどのように理解していたのでしょうか?当時の死生観を表したものなのでしょうか?

(資料目録第16集『今治市相の谷1号墳』は当館友の会が増刷して販売しています。入手方法は友の会のページをご覧ください。)

展示予告「異界・妖怪大博覧会」15―涅槃図―

6月 28日 木曜日


これは、涅槃図(ねはんず)という絵です。涅槃(ねはん)とは、釈迦(しゃか)が弟子たちに最後の説法をして、亡くなることをいいます。絵では沙羅双樹(さらそうじゅ)という木々の下で釈迦(しゃか)が亡くなる場面が描かれています。

釈迦(しゃか)は、頭を北側に、顔を西側に寝ています。そのまわりには、菩薩(ぼさつ)や仏弟子にくわえ、鬼や動物なども集まって、うなだれて、悲しんでいます。

図の下部に描かれている動物は、実にさまざまです。十二支の動物はもちろん、象(ぞう)や鶴(つる)、ムカデなどまでいます。


その動物たちの名前を紹介しておきます。どこに描かれているか、観察してみてください。(動物の種類は「大般涅槃経」に記されていますが、江戸時代以降の涅槃図には、その経典に見られない動物も描かれています。)

ねずみ  牛(うし)  虎(とら)  うさぎ  竜(たつ、りゅう)  へび  

馬(うま)  羊(ひつじ)  猿(さる)  にわとり  犬(いぬ)  いのしし

象(ぞう)  獅子(しし、ライオンのこと)  鹿(しか)  豹(ひょう)  

鶴(つる)  孔雀(くじゃく)  おしどり  がちょう  雉(きじ)  

鸚鵡(おうむ)  鷹(たか)  亀(かめ)  とんぼ  蝶(ちょう)  

蟹(かに)  かたつむり  むかで (他にも多くの動物が描かれています。)

なお、この涅槃図は、寛文5(1665)年2月に海蔵寺(宇和島市吉田町)の普覚住職が多くの人々の寄附を集めて納めたものです。高さ約4m、幅2.4mの巨大な掛軸で、現在でも毎年2月15日の涅槃会(釈迦入滅の日)に飾られています。海蔵寺は明暦元(1655)年に再興され、吉田藩主伊達家も篤く信仰した寺院でもあります。

※7月10日開幕の企画展「異界・妖怪大博覧会」では、この涅槃図の他に、大洲藩3代藩主加藤泰恒(かとうやすつね)筆の涅槃図(内子町指定文化財)も展示します。

今治市相の谷1号墳の出土遺物(2)禽獣画象鏡と保存処理

6月 27日 水曜日

処理前の画象鏡
処理前の画象鏡

 前期古墳に顕著な副葬遺物に銅鏡があります。銅鏡は被葬者の生前の地位や身分を示す威信財として副葬されたと考えられます。相の谷1号墳では、後円部の竪穴式石槨から2面の銅鏡が出土しています。
 今回紹介する禽獣画象鏡(面径12.6cm)は、鳥像と獣像をモチーフにした中国製の銅鏡の一種です。破片で出土し、約41片に分割していました。出土した状況については、調査に参加された正岡睦夫氏は「西壁の中央部よりやや南寄りに位置し、破片となって検出された。原位置を移動し、後に破砕されたものである。」とされています。どの段階で破片になったかは不明ですが、割れ方からは石槨内の撹乱時又は、土圧による破砕の可能性が強いと考えられます。
 今回の保存処理作業では、クリーニングの結果、新たに二文字の銘文を判読することが可能になり、更に獣像の表現が明確になりました。また、割れていた破片を接合し、欠損している部分は樹脂で復元しました。

処理後の画象鏡
処理後の画象鏡

 銘文については従来「作竟真大」が判読されていましたが、クリーニングの結果、「氏」と「山」が新たに判読することができました。その結果、「(龍?)氏作竟真大(巧上有)山(人)」という銘文を復元することが可能です。鏡の銘文は七言句をつなげるものが多く、類例から「(龍?)氏作竟真大巧上有山人不知老」の一部を省略したものと考えられます。 
 獣像の表現では、鳥像の羽根、嘴、頭部、脚部と獣像の脚部の表現がより明確となりました。獣像は脚部と胴部の表現から虎の可能性が高いと考えられます。
 この鏡の類例としては、福井県風巻神山4号墳出土鏡、福岡県野方塚原遺跡出土鏡、奈良県黒石山古墳出土鏡があり、日本出土鏡の中でも類例が少ない中国鏡です。近年の中国鏡の研究成果を援用すると、本鏡は2世紀後半から3世紀初頭に製作されたもので、製作地は華北東部に求めることができる資料です。
(資料目録第16集『今治市相の谷1号墳』は当館友の会が増刷して販売しています。入手方法は友の会のページをご覧ください。)

今治市相の谷1号墳の出土遺物(1)40年前の発掘調査

6月 26日 火曜日

 今治市湊町に所在する相の谷1号墳は、全長約80mの県内最大規模の前方後円墳です。この度、博物館では資料目録第16集として、『今治市相の谷1号墳出土遺物』を作成しました。この目録は、約40年前に発掘調査されたこの古墳の出土遺物を再調査し、報告したものです。数回に亘って、この目録に収録した資料と新しくわかった成果を紹介したいと思います。

調査当時の相の谷1号墳
調査当時の相の谷1号墳(西北方より)/正岡睦夫氏提供

古墳の発見と発掘調査
 1965年9月、東予新産業都市地域の埋蔵文化財包蔵地の調査を担当していた故松岡文一氏(当時愛媛大学工学部教授・県文化財専門委員)が宅地造成中に発見されました。その時に、県下最大の規模をもつ前方後円墳であること、破壊寸前にあることが報告されました。その結果、工事は一時中止され、緊急学術調査として発掘調査が実施されることになりました。

第1次調査(1966年3月5日~25日)
 調査前の状況としては、測量の結果、全長82m、前方部幅40m、後円部径50.28mの前方後円墳で、墳丘は二段築成で、全体にわたり葺石がめぐり、その間に多くの埴輪片が残存していることがわかりました。この時の調査では、後円部を中心に墳丘と主体部が調査されています。
 「発掘日誌」によると、墳丘に5箇所のトレンチを設定し、それぞれを掘削し、葺石、根石を検出するとともに、墳丘西側で括れ部の検出が行われています。また、後円部では主体部の確認及び内部の掘り下げが行われています。
 内部主体である竪穴式石槨は、全長7.1mの長大なものであることが確認されています。しかし、天井の蓋石はなく、側壁も6~7割は崩されて板石を失い、その高さは正確には分らない状況でした。
 副葬品はほとんどのものが副葬された位置から移動した状態で確認され、次の資料が出土しました。
 禽獣画象鏡1面・鉄剣・鉄刀・刀子・鉄斧・やりがんな・その他の鉄器片
 また、墳丘では、円筒埴輪・朝顔形埴輪の他、中世の土器が出土しました。

第2次調査(1967年3月5日~4月)
 第1次調査の補足調査として、後円部の内部主体の調査と前方部及びくびれ部で葺石・根石の検出が行われました。前方部の調査は西側の墳丘を全面発掘して、葺石や平坦部の敷石、埴輪などを中心に行われました。
 内部主体の調査では掘り下げが行われ、ダ龍鏡・鉄剣・刀子・円錐形銅製品が検出されています。
 前方部の調査では、北西側の前方部に連接するくびれ部で葺石層が存続していることが確認されました。その結果、前方後円墳の周囲には二段築成の葺石列が存在することが確認されました。
 この2度に亘る発掘調査後には調査は行われておらず、墳丘には未調査の部分があり、発見・調査後、約40年を経た現在においても、検討課題があります。

(資料目録第16集『今治市相の谷1号墳』は当館友の会が増刷して販売しています。入手方法は友の会のページをご覧ください。)

展示予告「異界・妖怪大博覧会」14―白沢図―

6月 24日 日曜日


※白沢避怪図(香川大学附属図書館蔵・神原文庫)

白沢(はくたく)は、顔には3つの目、両わき腹にも3つの目があり、合計9つの目を持っています。また、角も全部で6本ある中国の聖獣です。白沢を描いた図を持って旅をすると安全で、枕に忍ばせると悪夢を見ないとも言われ、妖怪というより霊獣といえます。

徳のある政治者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていました。中国の神話の帝王である黄帝(こうてい)も白沢に出会い、白沢は1万種類もの鬼神や怪異について語り教えたといいます。

日本では、江戸時代にコレラなど流行病の時などに白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけました。愛媛でも、西予市城川町の龍澤寺の山門(江戸時代建立)の格子天井絵にも白沢が描かれているなど、白沢に関する資料が残っています。


※『旅行用心集』(当館所蔵)に記された「白沢」
文化7(1810)年に、八隅蘆庵(やすみろあん)が旅に出る際の心得をまとめたもの。白沢図を持てば災難を免れると紹介されている。


※藩札(愛媛銀行蔵・当館保管)に描かれた「白沢」
江戸時代、宇和島藩内で流通した藩札(紙幣)の下側に、怪異を防ぐという「白沢」が描かれている。

「世界とつながる別子銅山」展について

6月 23日 土曜日

 昨日、当館が所蔵する「別子鉱山図巻」を新居浜市広瀬歴史記念館に貸し出しました。広瀬歴史記念館では、7月1日(日)~7月31日(火)に特別企画展「世界とつながる別子銅山」展が開催されますが、その一角に「別子鉱山図巻」は展示されます。

 お聞きすると、この展覧会は新居浜市の市制70周年を記念して開かれるそうで、会期中の7月5日(木)には、広瀬歴史記念館名誉館長末岡照啓氏による「近代化遺産の歴史的意義」の記念講演会やフォーラムが、新居浜市民文化センターで行われます。

 チラシを拝見すると、元禄4年別子銅山開坑以降の江戸時代の資料もありますが、特に明治以降の銅山の近代化に関わる資料が充実しているように思われます。当館の「別子鉱山図巻」は、別子銅山における銅採掘と精錬の過程が19の場面に描かれた絵巻で、馬を動力とした巻揚機(まきあげき)やトロッコによる鉱石の運搬など、まさに近代化する銅山の姿を見ることができます。7メートル以上ある絵巻なので、当館では全体を広げて展示したことは一回しかありませんが、今回の展示ではスペースがあるそうで、かなり広げて展示されるそうです。国の重要文化財の旧広瀬邸とセットで、お近くの方はぜひ御覧ください。観覧料は520円、中学生以下無料。
詳しいお問い合わせ:
新居浜市広瀬歴史記念館
電話0897-40-6333

※下の写真は、「別子鉱山図巻」のうち鉱石買入れの場面。砕女枡(かなめます)に入れた鉱石を竿秤(さおばかり)で計量しています。まわりの鉱夫は昔ながらの服装ですが、洋服姿の職員が買い入れを行っているところに、明治という時代を感じさせます。職員の手には明治18年と記された「鑛石買入帖」が見え、この絵巻の作成年次が分かります。
別子鉱山図巻(鉱石買い入れ)

中国四国名所旧跡図2 泉州堺濱図

6月 22日 金曜日

中国四国名所旧跡図2
 画帖を開くと最初に「泉州堺濱図」が登場する。田原本を出発した西丈は、竹内街道か長尾街道か、どちらかを辿って堺に出たものと思われる。西丈は「堺濱」と記しているが、これは堺港があった大浜地区を指すものと考えられる。

 画面右側には、二つの波止と右側の波止の付け根に燈台が見える。堺市立図書館のデジタル郷土資料展の解説によると、堺港の燈台は、元禄2年に初めて市中の商人の寄金で建築されて以降、明治10年の洋式燈台まで7期にわたり、位置を変えながら建て替え続けたとあるが、この燈台がその第何期にあたるのかは不明である。

 画面左側にはたくさんの船が着けられ、浜辺で盛んに魚の売買が行われている。赤い魚が見えるのは、当時堺名物であった桜鯛であろうか。大浜海岸では江戸時代このような魚市が立ったようで、それは住吉大社の夏越祓神事に際して、神輿がそのお旅所である堺の宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)に渡御(とぎょ)するのに合わせて、魚市が立ちようになったことに由来する。この魚市は、現在でも堺の夏の風物詩として行われる観光イベント「堺大魚夜市」になり、姿を遺している。

 そして、画面の上側には遠くはるかに須磨、明石の陸地と、その手前の瀬戸内海には白い帆を上げたたくさんの廻船が見える。西丈を須磨、明石を望んで、その地名を織り込んだ和歌を一首詠んでいる。
 「須磨明石おがめハげにも一の谷そふしやさかひ(堺)の浦乃きかせハ」

 石垣で築かれていたと思われる燈台の土台を白く描くなど、部分的な誤りはあるものの、西丈は単純な構図の中に江戸後期の堺の特徴を描き出している。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」13―百鬼夜行絵巻9―

6月 21日 木曜日

当館所蔵の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「妖怪」シリーズの第8回目。

7月10日開幕の企画展「異界・妖怪大博覧会」にあわせて、この「百鬼夜行絵巻」を素材とした特製妖怪シールを現在作成中です。このシールは、展示会期中に行われるイベントの一つ、クイズラリー「めざせ妖怪博士!」(中学生以下対象)の参加者への記念品として配布する予定です。

クイズラリー「めざせ妖怪博士!」は、8月4日(土)、5日(日)、11日(土)、12日(日)のいずれも13:00~16:00に行います。(申し込みは不要です。)


19 お歯黒女性の妖怪
女性がお歯黒(既婚者だということを示す証)をする様子。よく見れば、口元は耳まで裂けているし、足は人間の足ではない。妖怪も結婚するということか?


20 鰐口の妖怪
鰐口(わにぐち)は、お寺の正面の軒につるされた円形で扁平の仏具。参詣者がこれをたたいて鳴らす。「鰐口」だけに、体も実際の鰐のようだ。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」12―百鬼夜行絵巻8―

6月 17日 日曜日

当館所蔵の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「妖怪」シリーズの第7回目。

この「百鬼夜行絵巻」は、縦37センチ、幅(全長)11メートルの寸法です。7月10日からの企画展「異界・妖怪大博覧会」では、何とかガラスケースで11メートル幅のスペースを確保して、全場面を展示します。(なお、今回、紹介する妖怪は、絵巻の終盤部分に描かれているものです。)


17 馬具の妖怪
顔の形は、馬具の一種である鐙(あぶみ)。乗馬の際に足を踏み掛けるための道具である。馬の背に固定する鞍(くら)も見える。よく見ると足は馬の足だ。


18 謎の赤い妖怪 
異様な形の赤い妖怪。前足だけしかない。小さい尻尾のようなものも見える。赤い布を全身に覆っているのか、それとも本来の姿なのか不明。

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