
村上節太郎は松前のおたただけでなく、浅海(松山市浅海原)のおたたについても写真に記録している。この浅海地区で頭上運搬による魚の行商が行われていたことは、民俗学者、瀬川清子の『販女(ひさぎめ) 女性と商業』にも全く言及がなく、それだけに村上の写真は貴重である。
村上は「瀬戸内海国立公園候補地域としての忽那諸島の地理的景観」(昭和27年)に、浅海のおたたについて書き記している。それによると、当時は毎朝40~50人の婦人が頭上に桶をのせて付近に行商に行っていたという。汽車を利用する者もあったが、大半の行動範囲は10キロ余りで、昼頃には帰ってきたらしい。
頭上運搬の桶から、手や肩に提げるブリキの「カンカン」へという運搬方法の変化は、松前と同様に浅海でも見ることができる。しかし、浅海の写真では、かなり年輩の婦人でも「カンカン」を提げているので、この変化は世代差もさることながら、魚の鮮度を保つために「カンカン」の方が適していたことによるものとも考えられる。
※下の写真は浅海のおたた。未だ頭上運搬も残るが、「カンカン」を手にする人の方が増えている。昭和27年。

