2007 年 6 月 6 日 のアーカイブ

鬼北町延川 天満宮とその棟札

6月 6日 水曜日

 鬼北町の三島校区といえば、小松の善光寺薬師堂が国の重要文化財指定を受けており有名ですが、今回はそこから広見川を渡って南へ約500メートル、延川の小高い丘の上の白王神社に合祀されている天満宮のお話です。

 ここには、永禄13(1570)年に天満宮を再興した際の棟札の実物が今に伝わっています。縦約108センチ×上部幅約16センチのもので、大檀那は河原淵教忠、本願主は小川定吉・西川政輔・小松新次郎たちです。河原淵教忠は、松野町の河後森城を本拠としたことでよく知られています。また、小川らはその教忠の家臣とみられます。文面からは、永禄11年に喜多・宇和郡堺の高島に、一条氏に従う土佐衆・三間衆らが在番していた時、教忠が再興を発願したところ、その願力により敵対勢力(河野・毛利勢力)を撃退することができたことが読み取れます。つまり、一条氏と河野・毛利氏が激突した高島合戦・鳥坂合戦に関わる重要な記載が残されている貴重な史料です。また、数少ない河原淵氏関係の史料としても貴重です。(*秋季企画展「戦国南予風雲録」で展示する予定です。)

 現在、天満宮は白王神社に合祀されていますが、元は単独で社を有する神社でした。現在白王神社の宮司を兼帯する三島神社の宮司さんからの聞き取りによると、場所は白王神社から西へ丘を下りた辺りということです。圃場整備がされた現状では、往時の地形をうかがうことはできませんが、谷間を南から広見川に向けて流れ下る川も今とは流路が違っており、その川沿いに天満宮は鎮座していたそうで、ある時大洪水が発生した際に社殿が倒壊したそうです。(*写真中央の田圃あたりにあったらしい)

 その後、天満宮は高台の白王神社に合祀され、棟札も移されることになりました。
 現在社殿がないことを教忠が知ったら、世の無常を感じるのでしょうか。

 白王神社は延川村の氏神様として今も地域の人々により信仰されています。神社正面の参道には藤棚も設けられ、花の季節には訪れた人の心を和ますことでしょう。鳥居脇からは愛嬌たっぷりの狛犬も出迎えてくれますよ。