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中国四国名所旧跡図3 一つだけの求女塚

2007年7月5日

 西丈は堺を出た後に、山陽道を西に進んだものと思われる。山陽道に入ってしばらく行った神戸付近で、角度を変えながらもほぼ同じ範囲を俯瞰して描いた絵を二枚遺している。下はそのうちの一枚。
中国四国名所旧跡図3-1
 左の西側から地名を見ていくと、小部村、大石村、求馬ツカ(求女塚:もとめづか)、八幡林、ミカゲ(御影)、ナロ(鳴尾)崎などの地名がある。そして、手前の海上には、天下の台所大坂へと物資をのせて運ぶたくさんの廻船が白帆をあげて進んでいく。

 もう一枚は、「摩屋(耶)山麓上の村六郎左衛門座敷より見図」と記されている。
中国四国名所旧跡図3-2
 摩耶山の麓、やや小高いところに位置する上野村の一軒から、俯瞰してスケッチしたものと思われる。手前に描かれている範囲は最初の絵とほぼ同じだが、はるか遠くには大和の二上山、金剛山から紀州加田浦まで見晴らすことができている。ビルなど遮るものがないからこそ見える風景である。

 二枚の絵の両方に取り上げられている名所としては「求馬ツカ(塚)」があげられるが、これは求女塚のことである。実際には神戸市東灘区から灘区にかけての約3.5キロの間に三つの大きな古墳が並び、真中が処女塚古墳、東西がそれぞれ東求女塚古墳、西求女塚古墳と呼ばれたが、西丈は限られた紙面のため略したのか、そのうちの一つしか描いていない。位置関係から真ん中の古墳を一人の女性、東西の古墳を娘に同時に求婚する二人の男性とみたてて、思い悩んだ女性が生田川に身を投げ、二人の男も後を追って死んだという処女塚伝説が生まれた。おそらくこのストーリーは、旅人西丈の頭にも入っていたものと思われる。 なお、三つの古墳のうち、西求女塚古墳は平成5年に「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が7面出土し、脚光を浴びた。