
長くつづく海岸線。海岸線にはたくさんの家屋がびっしりとはりついている。そして、その沖合には帆を休める廻船の姿が見える。
西丈はその絵に「津の国兵庫築嶋」と記しているが、これは兵庫津のことである。兵庫津は古くは「大輪田の泊(とまり)」といわれ、海中に突き出た和田岬により南西の風波がさえぎられ、また六甲山系により北西の風がさえぎられる天然の良港であった。平清盛の時代には人口島である経ケ島(きょうがしま)を築く大修築工事が行われ、その島陰に港がつくられ日宋貿易の基地として栄えた。室町時代には勘合貿易、江戸時代には瀬戸内海航路、西廻り航路などの重要な港でありつづけ、朝鮮通信使やオランダ商館長の江戸参府時の寄港地でもあった。
そのような兵庫津の歴史を理解した上で西丈の絵を見ると、海岸にあまり人手が加わっていないのどかな港町を思わせ、当時の兵庫津の姿とは懸け離れているようにも思える。しかしラフな描き方ながらも、兵庫津のにぎわいだけは見るものにしっかりと伝わってくる。
画面左に大きく突き出た和田岬には建物が一軒描かれているが、これは西丈が「番所」と記すとおり、兵庫津への船の往来を監視する船見番所である。兵庫津の入口に位置する重要な拠点で、ここには外国船から港を守るために、元治元年(1864)に勝海舟の設計により円形の石造りの砲台が築かれ、今もその姿をとどめている。