舞子の浜は、播磨の明石海峡の海浜にある美しい松並木で知られる名勝で、風により傾いて生える磯馴松(いそなれまつ)の姿が、舞子(舞妓)の華麗に舞う姿に似ていたことからその名が付けられた。

舞子の浜を描いた絵としては、画面から飛び出るぐらいに松を全面に描いた初代歌川広重の『六十余州名所図絵』の一枚が有名であるが、西丈の絵は手前の海岸線に、広重よりも小さくであるが、踊るような松の姿が描かれている。画面中央には淡路島が据えられ、それをとりまきたくさんの廻船が航海している。舞子の浜から淡路島や明石海峡への眺めは、多くの江戸時代の人々を楽しませていたが、西丈はそのことを十分に意識して舞子の浜を描いているように思える。
舞子の浜の松は、戦前には樹齢を重ねた見事な枝ぶりのものもあったが、残念ながら松くい虫により全滅し、現在はほとんど戦後に植林されたものとなっている。さらに、西丈が描いたアングルには明石海峡大橋が架かり、その景観も大きく様変わりしている。この大きな変化を見て、西丈はどのような感想を洩らすのか、少し聞いてみたい気もしてくる。最期にいつもように、西丈が絵に添えた一首を紹介する。
「浪うてハしほの引てに風謡ふいつもの舞子の濱の松はら」
※下は二代歌川広重が『諸国名所百景』で描いた「播州舞子の浜」。初代広重のように松を大きく描いているが、西丈のように淡路や明石の眺めも描いていることから、両者を折衷した絵ともいえそうである。画面手前の人物が、背中の籠に入れているのは松葉であろうか。

