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中国四国名所旧跡図8 手枕の松

2007年7月21日

中国四国名所旧跡図8-1
 舞子の浜を描いた西丈はさらに山陽道を進み、次に別府(加古川市)の海辺の景色を描いている。瀬戸内海には左に淡路島、右に「江島」と記された家島が浮かぶ。手前の砂浜には人影が見えるが、潮干狩りの情景であろう。西丈が描いた海辺も、現在は臨海部が埋め立てられ神戸製鋼が進出して大きく変化しており、潮干狩りも失われた情景になってしまった。別府の海辺を名所とする記述をあまり見ないだけに、西丈が舞子の浜とそれほど違わない別府をなぜ描いたのか疑問が残るが、やはり瀬戸内海の海辺の情景は、旅を始めたばかりの西丈にとって、どこを見ても魅力的だったのかもしれない。

 海辺以上に広く知られる別府の名所というと、次に西丈が描いている住吉神社の手枕の松があげられる。手枕の松は、人が手枕をして寝ているような姿をしていることから、その名が付けられたといわれる。一抱えばかりの太さで、地面から1間ばかり上に出て、横には長さ10間ばかり広がり、枝葉は繁茂して年々青く緑が栄えていると、この松について『播磨鑑』は書き記している。また、横に伸びる幹にはそれを支えるつか柱をして、松の廻りは石の垣根を築いて隔てているともある。
中国四国名所旧跡図8-2
 西丈の絵を見ると、『播磨鑑』の情報そのままに手枕の松が描かれていることが分かる。舞子の浜では小さく描かれていた松もここでは堂々と主役となり、見事な枝ぶりを見せている。西丈もこの松の旺盛な生命力を描き切って十分に満足したらしく、絵の脇に「門二つ、地取六各、かき(垣)九百六十三本、西国一の松也」と記している。

 初代の手枕の松は、残念ながら大正時代に枯れて、現在は三代目にあたるそうである。それでも高さ約5m、枝ぶり約18mと堂々とした姿をしている。時がたつにしたがい、初代の松の勇姿に近づきつつある。