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今治市相の谷1号墳の出土遺物(6)中世土器

2007年7月22日

羽釜
羽釜

 今回の再整理の成果として、中世土器を新たに確認し資料化したことがあります。中世の土器は数十点が墳丘や竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)内から出土していることがわかりました。発掘調査時に作成された報告書にも出土状況の写真が掲載されていますが、どのような土器であるかはわかりませんでした。

土師質土器の出土状況
土師質土器の出土状況

 1985年に作成された報告文には、「(墳丘)第2段目の両側のくびれ部には幅25cmの溝があり、土師器の杯、鉢、三脚付鍋などを出土した。時期は平安時代後期~鎌倉時代のものである。この時期に祭祀が行われたものであろう」と記され、土師(はじ)質土器皿や杯(つき)、羽釜(はがま)が部分的に並んだ状態の図が掲載されています。また、出土状況の写真の中にも、羽釜の側に土師質土器杯が出土しているものがあり、墳丘上で土師質土器羽釜と土師質土器皿杯を用いた、何らかの祭祀を行っていたことが推測されます。
 今回の整理の結果、これらの土師質土器は今治平野で製作されたものではなく、松山平野でも特に、松山市湯築城跡出土資料と類似していることがわかりました。更に、湯築城跡出土土器に関する研究成果からこれらの土器は16世紀中頃の資料であることがわかり、中世伊予の守護河野氏と関連が想定できます。
 また、竪穴式石槨内から出土した陶磁器は16世紀代の青花碗の破片であることがわかり、主体部が撹乱(かくらん)された時期が16世紀以降であることもわかりました。
 相の谷1号墳は来島海峡を望む位置に立地しています。今回整理した中世土器から、この地が古墳築造後千数百年を経た戦国時代にも、何らかの形で利用されていた可能性が高くなりました。

(資料目録第16集『今治市相の谷1号墳』は当館友の会が増刷して販売しています。入手方法は友の会のページをご覧ください。)