Archive for 7月, 2007

開幕!「異界・妖怪大博覧会」

2007年7月10日

本日、夏の企画展「異界・妖怪大博覧会―『おばけ』と『あの世』の世界―」が開幕しました。

午前中には、西予市野村町の幼稚園児や宇和町内の小学生も来館し、「鬼」・「おばけ」や「地獄」・「幽霊」に関する絵画などを恐る恐る見学していました。泣きじゃくる子供もいるかと心配していましたが、泣く子はいませんでした。子供達も次第に慣れて、展示物をじっくり見ていました。午後には、博物館友の会の会員が数多く集まり、学芸員が展示解説を行いましたが、今日一日で老若男女、さまざまな年代の来館者の反応を聞くことができました。

展示期間は、9月2日(日)までとなっています。この夏、れきはくで「おばけ」と「あの世」の世界をのぞいてみて下さい。多くの皆様のお越しをお待ちしています。

※今回の展示開催の準備にあたり、資料調査や資料借用にてお世話になった数多くの機関・個人の方々には厚く御礼申し上げます。おかげさまで、無事開幕することができました。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」21―ろくろ首―

2007年7月8日

これは「夜窓鬼談(やそうきだん)」(個人蔵・当館保管)という資料に描かれた「ろくろ首」です。「夜窓鬼談」は、明治22(1889)年に石川鴻斎が著した漢文体の怪談集で、哭鬼・貧乏神・天狗・髑髏(どくろ)・安倍晴明の話など全部で81話が収められています。挿絵は明治時代に活躍した画家・久保田米僊・小林永濯らが描いており、明治期を代表する怪談集といえます。

なお、「ろくろ首」は、江戸時代以降に出版された資料に頻繁に見え始めます。外見は普通の人間と同じですが、夜中に首がろくろを回すように異常に長く伸びて、家の中にある行灯の油を好んで舐めたり、人間の精気を吸い取ったりします。

体が伸びるといえば、見越入道(のびあがり)も有名です。こちらは、女性ではなく、男性の姿で描かれますが、おばけとしての知名度、そして恐ろしさの度合いは、「ろくろ首」の方が高いように思われます。

ただ、愛媛県内に伝えられた怪異・妖怪伝承を調べてみても、見越入道(のびあがり)に類する話は多いのですが、「ろくろ首」の伝承は確認できません。「ろくろ首」は、地域に根ざした伝承で語られたものというより、江戸時代の出版物や落語など、大衆への語りの中で広まっていった「おばけ」ということができます。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと2日。7月10日(火)から9月2日(日)までです。これまで、「展示予告」として展示資料の紹介をしてきましたが、開幕後も、展示物の紹介を続けていきたいと思います。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」20―河童のミイラ図―

2007年7月7日

7月10日(火)からの「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであとわずかとなりました。現在、展示室での資料を列品作業中です。

さて、今回は「河童」に関する資料の紹介です。

これは江戸時代後期の写の河童のミイラ図です(香川大学図書館所蔵・神原文庫)。上の図は「川郎乾」とあり、「乾」つまり河童(川郎)がミイラ化したもので、「松平越後守殿所持」(越後高田藩主と思われます。今の新潟県)と記されています。下の図は河童の手が描かれていて、「細川越中守殿所持」(肥後熊本藩主・今の熊本県)と記されています。

これは、江戸時代に本草学の知識が普及していくことによって、不可思議な妖怪(化物)についても、一種の生きものとして記録・記述されていたことを示す資料です。単に恐ろしいものとして描かれたというよりは、一種の博物学的知識の高まりで書写されたものといえます。

なお、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、様々な河童図や河童伝承に関する道具などを展示します。

中国四国名所旧跡図4 布引の滝

2007年7月6日

 文化6年2月29日に、京都の商人升屋徳兵衛一行は、四国遍路と西国巡礼を合わせた旅に出発している。3月2日、一行は西宮と住吉の名所旧跡をめぐった後、摩耶山に登っている。摩耶山には約2キロ程の山道が続き、険しい石段があるとその道中日記には書き記されている。一行は摩耶山の麓の茶屋で一泊し、翌3月3日には布引の滝、生田天満宮に行った後、兵庫、須磨の名所を見物してまわっている。このコースは当時の旅人にとって一般的なものと思われるが、西丈も升屋と同じように摩耶山に登った後に、布引の滝を訪れその姿を絵にして遺している。
中国四国名所旧跡図4
 『摂津名所図会』に「岩面を流落る事白布を曝(さらす)に似たり」と記される通り、布引の滝は、約250mほどの間に連続する滝の様子があたかも布をたらしたかのように見えたため、そのように呼ばれるようになった。上流から順番に、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓ケ滝(つつみがだき)、雌滝(めんたき)からなる。このうち、西丈が描いたのは最上流部にある雄滝であろう。険しい岩肌を何段にもわたり激しく流れ落ちる水。滝の下には水垢離する人間の姿があるが、その小ささが滝のスケールの大きさを際だたせているように思える。西丈は雄大な滝の姿を前に、絵にそっと一首書き添えている。
 「瀧乃瀬に繰出すいとのほそけれと織る布引のはたの廣さよ」

中国四国名所旧跡図3 一つだけの求女塚

2007年7月5日

 西丈は堺を出た後に、山陽道を西に進んだものと思われる。山陽道に入ってしばらく行った神戸付近で、角度を変えながらもほぼ同じ範囲を俯瞰して描いた絵を二枚遺している。下はそのうちの一枚。
中国四国名所旧跡図3-1
 左の西側から地名を見ていくと、小部村、大石村、求馬ツカ(求女塚:もとめづか)、八幡林、ミカゲ(御影)、ナロ(鳴尾)崎などの地名がある。そして、手前の海上には、天下の台所大坂へと物資をのせて運ぶたくさんの廻船が白帆をあげて進んでいく。

 もう一枚は、「摩屋(耶)山麓上の村六郎左衛門座敷より見図」と記されている。
中国四国名所旧跡図3-2
 摩耶山の麓、やや小高いところに位置する上野村の一軒から、俯瞰してスケッチしたものと思われる。手前に描かれている範囲は最初の絵とほぼ同じだが、はるか遠くには大和の二上山、金剛山から紀州加田浦まで見晴らすことができている。ビルなど遮るものがないからこそ見える風景である。

 二枚の絵の両方に取り上げられている名所としては「求馬ツカ(塚)」があげられるが、これは求女塚のことである。実際には神戸市東灘区から灘区にかけての約3.5キロの間に三つの大きな古墳が並び、真中が処女塚古墳、東西がそれぞれ東求女塚古墳、西求女塚古墳と呼ばれたが、西丈は限られた紙面のため略したのか、そのうちの一つしか描いていない。位置関係から真ん中の古墳を一人の女性、東西の古墳を娘に同時に求婚する二人の男性とみたてて、思い悩んだ女性が生田川に身を投げ、二人の男も後を追って死んだという処女塚伝説が生まれた。おそらくこのストーリーは、旅人西丈の頭にも入っていたものと思われる。 なお、三つの古墳のうち、西求女塚古墳は平成5年に「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が7面出土し、脚光を浴びた。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」19―怪談藻塩草―

2007年7月4日

これは、「怪談藻塩草(かいだんもしおぐさ)」という冊子で、今治市河野美術館所蔵の資料です。江戸時代後期の著名な怪談集で、もともと寛政13(1801)年に速水春暁斎(はやみしゅんぎょうさい)が著したものです。本資料は弘化3(1846)年の刊行であり、版を重ねるほど普及していました。

この「怪談藻塩草」の巻一の冒頭、つまり最初に紹介されている話は、実は愛媛に関係するものです。「矢部が霊、神に崇る話」という題で、宇和島藩の矢部(山家)清兵衛(やんべせいべえ)が不慮の死を遂げて、祟りをなし、和霊神社に祀られる話が紹介されています。

宇和島市にある和霊神社は、江戸時代、漁業神や商売の神など、非常にご利益のある神社として知られていました。現在でも西日本各地に山家清兵衛を祀った和霊社があります。和霊社のご利益を広範囲に知らしめた一因には、この「怪談藻塩草」のような江戸時代後期の出版物の普及が考えられます。

なお、この「怪談藻塩草」のほかにも、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、上田秋成の「雨月物語」をはじめ、江戸時代の怪談集についても展示・紹介します。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」18―古狸退治の図―

2007年7月3日

これは、香川大学図書館蔵(神原文庫)の「楠多門丸古狸退治之図」という錦絵です。作者は幕末から明治時代に活躍した浮世絵師月岡芳年で、万延元(1860)年にこの絵を描いています。

中央に描かれているのは楠多門丸正行(まさつら)という人物。彼は、楠木正成の長男です。その右側には「竹童丸」が描かれ、彼が手に持っている手燭(てしょく)に照らされたところには妖怪がはっきりと見えます。その周りの闇にも様々な妖怪がうごめいています。左側に大きく描かれたのは古狸の化け物です。

狸といえば、愛媛だけでなく、四国には非常に多くの狸伝説があります。企画展「異界・妖怪大博覧会」では、松山地方の狸伝説に関する写真パネルを展示・紹介します。

今回の展示では狸に関する実物資料は少ないのですが、ビデオ映像で喜左衛門狸(旧東予市)や、狸と狐の関係(四国に狐が住まなくなって、狸の天下となったというお話)を上映します。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと1週間。お楽しみに。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」17―天狗と弘法大師―

2007年7月1日

この図は、当博物館所蔵の「高野大師行状図画」巻二の「天狗降伏事(てんぐこうぶくのこと)」の場面で、中央に弘法大師、手前に天狗たちが描かれています。

企画展「異界・妖怪大博覧会」では、天狗に関する資料についても数点ですが、展示する予定です。

さて、天狗と弘法大師にはどのような関係があるのでしょうか。この「天狗降伏事」を読んでみると、次のようなことが記されています。

室戸(高知県)の岬のそばに、金剛頂寺(こんごうちょうじ)というお寺がある。ここには、いつも天狗がやって来て僧侶を悩まし、仏教の修行の邪魔をしていた。弘法大師は、ここで天狗にさまざまな問答をされて、「私がこの寺にいる時には、ここに来てはいけない。」と言い、弘法大師が自分の「かたしろ」(人形)を作って、大きなクスノキの洞に置いた。天狗たちは、この弘法大師の指示に従って、その後、来なくなった。なお、そのクスノキは、栄えて、葉も枝も永く茂ったという。

一般に天狗とは、山伏の姿で、山岳で修行をしている者のイメージが先行しがちですが、ここに描かれている天狗は、鳥のような姿です。しかも、修行をするのではなく、逆に仏道修行の邪魔をする存在として登場します。天狗にも様々な姿、様々な性格があることがわかります。