この錦絵は明治時代の絵師・豊原国周(くにちか)が描いた役者絵「善悪三十二鏡 大森彦七」(県歴史文化博物館蔵)である。大森彦七は南北朝時代の武将で、砥部(現伊予郡砥部町)の領主とされる。楠木正成を切腹させた人物として有名であり、『太平記』にも怪異話の中心人物として記されている。
『太平記』によると彦七は楠木正成の霊に悩まされるが、その怪異伝説は江戸時代に歌舞伎でも舞台化され、このような錦絵が描かれるほど広く知られていた。
彦七が金蓮寺(伊予郡松前町)に猿楽を見に行く途中、鬼女に出くわしたが、その鬼女の正体が楠木正成だったという内容で、鬼女が出たという砥部町八倉には地蔵堂が建っており、その怪異の際に使用したとされる経典も砥部町の光明寺(旧広田村)に伝わり、現在、県歴史文化博物館に保管されている。