紋柄威五枚胴具足/銀箔押帽子形兜(個人蔵・当館保管)
伊予灘を臨む滝山城(大洲市長浜町)の城主久保氏の子孫で、新谷(にいや)藩領喜多郡今坊(こんぼう)村庄屋のもとに伝わった甲冑である。数年前に発見されたものであるが、当初は汚損や破損が著しい状態であった。それを、今回の展示に合わせ、県内在住の日本甲冑武具研究保存会評議員の方のご指導・ご協力を得るなどしながら調査を進めた結果、以下のような貴重な資料であることが判明し、また清掃や修理を施すことで上記写真のように往時の姿をうかがうことができる程の形によみがえらせることができた。そしてこのたび初めて一般に公開するにいたった。
鎧は、浅葱糸毛引威を主として、前は紅糸威、後は白糸威で吉祥紋で知られる州浜(すはま)紋をあしらった紋柄威(もんがらおどし)である。一見すると二枚胴のようでもあるが、実は内側に付けられた蝶番(ちょうつがい)の位置から、前・後・左・右2枚の胴を合わせた五枚胴であることが判明する。また、前後立挙一段目に三つ巴紋入りの小さな鋲が打たれているのも特徴的である。兜は銀箔を施し、僧侶のかぶる頭巾の一種である帽子(もうす)をかたどった帽子形兜である。この甲冑は、近世初頭にかけて発達していく当世具足の様式を備えている一方で、中世末に見られた様式も併せ持っており、まさに移行期の甲冑の様式の変化を見る上でも興味深い資料の一つである。本企画展の図録にはより詳しく解説した資料紹介の論考を掲載する。
この甲冑は、文化年間に作成された鎧櫃に納められていた。鎧櫃に施された墨書によると、戦国末期の当主久保行春の所用とする。また、「大洲旧記」の今坊村の部分にも、庄屋家に鎧と旗が伝存する旨が記されている。鎧は、「城主の時より伝来、紋すはま、甲は別の品といふ」とあり、まさしく州浜紋をあしらったこの鎧のことであろう。そしてそれは滝山城主の立場にあった戦国期から、代々伝来したものと伝えられていたことも分かる。また、この鎧と組み合わされたものではない兜が伝存していたともあるが、おそらくはこの帽子形兜のことであろう。
ちなみに、久保氏に関係する武具類は他にも数点伝わっており、それらも戦国期に遡る貴重な地域資料であり、今回合わせて初公開するが、その記事も後日掲載の予定。