2007 年 9 月 15 日 のアーカイブ

テーマ展「古墳に納められた品々」開催中!!

9月 15日 土曜日

川上神社古墳出土杏葉
川上神社古墳出土鐘形杏葉(かねがたぎょうよう)[川上神社蔵]

 本日より考古展示室にて「古墳に納められた品々~副葬品から見た愛媛の古墳文化~」を開催しております。この展示は、当館の保管資料を中心にした古墳副葬遺物を基に愛媛の古墳文化を紹介するものです。特に数回このページで紹介しました今治市相の谷1号墳出土遺物にスポットを当て、当館の資料保存及び整理の成果を公開しています。
 また、県指定文化財(考古資料)である新居浜市金子山古墳出土遺物(昭和63年4月指定)及び東温市川上神社古墳出土遺物(平成19年2月指定)を借用・展示し、県民の宝である県指定文化財を広く公開するものです。

 展示構成は次の通りです。
1.古墳とは?副葬品とは?
2.相の谷1号墳と前期の古墳
3.樹之本古墳と中期の古墳
4.経ヶ岡古墳と後期の古墳
5.塩塚古墳と終末期の古墳
6.川上神社古墳と出土遺物
・トピック展示 飾られた土器-装飾須恵器/古墳には何人埋葬されたの?/陶質土器-海を渡ったやきもの

 他に県内の古墳から出土した馬具を基に復原した「飾り馬」模型を展示し、古墳の副葬品についての理解を深めていただけます。

 この展示の目玉資料の一つは、東温市川上神社古墳出土遺物(県指定文化財)です。金メッキを施した馬具のセットは、奈良県藤ノ木古墳出土資料に類似し、中央政権と関連が深い被葬者像が想定されます。県文化財に指定後、馬具をまとまって展示公開するのは今回が初めての機会です。

 関連事業として展示解説と考古講座を実施予定です。
■展示解説
10月14日(日)・12月16日(日)・2月17日(日)15:00~
解説:当館学芸員
■考古講座
平成19年9月29日(土)13:30~15:00
「副葬品から見た愛媛の古墳時代」冨田尚夫(当館学芸員)
平成20年2月9日(土)13:30~15:00
「埴輪から見た愛媛の古墳時代」山内英樹氏((財)愛媛県埋蔵文化財調査センター)

 展示は来年の2月24日(日)までです。この機会に是非ご覧ください。展示資料については、数回にわたり紹介したいと考えています。

中国四国名所旧跡図12 下村より見る図

 金毘羅往来を進む西丈は、当然瑜迦山(ゆがさん)を参詣したものと思われる。なぜなら瑜迦山と金毘羅山を参ることは両参りといわれ、御利益が沢山あると信じられていたからである。しかし、西丈はどういう訳か、瑜迦山の絵を描き遺していない。

 瑜迦山を参詣した後に、金毘羅山に向かうためには金毘羅船に乗らなければならないが、備前からは三つの港から船が出ていた。下津井、下村、田の口である。このうち、西丈は下村から金毘羅船に乗ったようで、下村からみた瀬戸内海を描いている。

 下村については、弘化4(1847)年に、浪花の代表的な人気作家である暁鐘成(あかつきのかねなり)が著した『金毘羅名所図絵』に詳しい記述がある。それによると、下村は通船に便利な港で、瑜迦山のふもとなので着岸すると参詣する旅客が多い。丸亀までは海上およそ6里(約24キロ)で、船は毎晩のように金毘羅詣、四国遍路の旅人、商人、農民などで乗せて出帆していた。夕方に乗船する者あり、朝に到着する者ありで、大変なにぎわいだったという。

中国四国名所旧跡図12

 西丈の絵では手前の下村は砂浜だけのそっけなく描かれているが、そこからみた眺望は丹念に描き込まれている。瀬戸内海には手前から立場嶋(竪場島)、釜嶋などが浮かび、右奥にはシハク七島(塩飽諸島)をのぞむ。左手前には小嶋(児島)シヲハマとして塩田が描かれいるが、先の『金毘羅名所図絵』にも下村の磯辺はすべて塩浜で数丁(数百メートル)にわたって、塩屋の煙が立ちのぼっていると記されている。右手前からは、児島半島の先端にあたるクスミノハナ(久須美鼻)が突き出ている。画面の一番奥に一際高く聳えるのは讃岐富士こと飯野山で、これから金毘羅船が目指す方向である。このエリアは現在瀬戸大橋でつながれているが、当時から交通の大動脈だったらしく、西丈の絵にはたくさんの船の白帆が描き込まれている。

 下村の浜には人が乗った船が二艘描かれているが、これが西丈も乗った金毘羅船であろう。岡山藩が領内の船数調査を行った天保12(1841)年の記録によると、下村には10反帆2艘、9反帆1艘、8反帆1艘、7反帆1艘、5反帆7艘、4反帆26艘、3反帆10艘、2反帆2艘の合計50艘の船があったと記されている。もちろんこのすべてが金毘羅船というわけでもなかろうが、十分な船数を備えていたことは確かである。

 この翌年の天保13年に、西丈と同じように下村から丸亀へと渡った人物がいる。遠く駿河国大御神(おおみか)村から西国と四国の社寺参詣に出た天野文左衛門である。この天野の道中記録には、下村のあぶらや藤右衛門方より船に乗り、船賃1人前80文、御旅籠80文、ふとん下32文と記されている。3月18日に瑜迦山を参詣した天野一行は、そのまま油屋藤右衛門方で休んだものと思われる。そして、夕方の船に乗り込み出発したものと見えて、朝五ツ時(午前8時)には丸亀に上陸している。

金毘羅船
※『金毘羅名所図絵』に描かれた金毘羅船。風を白帆に受けて、瀬戸内海の島々を縫って進む。