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村上節太郎写真20 関前岡村港と除虫菊(昭和11年)

2007年10月7日

 村上節太郎は今治高等女学校の教諭だった昭和11(1936)年6月15日、関前岡村島(今治市)に渡っている。

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1岡村の集落を見下ろす 昭和11年

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2岡村の集落を見下ろすの現況 平成19年

 写真1は、その時に背後の甲ノ峯から岡村の集落を撮影したもの。港を中心として谷沿いの狭い部分に人家が集中していることが分かる。港には、昭和3年に修築を終えた195mの西防波堤と115mの東防波堤が突き出ており、たくさんのウタセ船や機帆船が停泊している。岡村には大正4(1915)年に小廻船145隻、帆船38隻もあり、昭和20年代には機帆船の全盛期を迎えたというが、その後減少していき現在は港に荷物を運ぶ船の姿はほとんど見かけなくなった(写真2)。
 次に甲ノ峯から下りて、海際で岡村の集落を撮影した写真3を紹介する。町並みには大きな蔵や二階建ての商家のような建物が見え、海運業による岡村のにぎわいがうかがえる。また、漁船がたくさんつながれた船着場には、荷物を積み込むことができるように、階段状になった雁木(がんぎ)がある。手前には帽子をかぶった男性が筵の上に何か干しているが、これは除虫菊(じょちゅうぎく)を天日乾燥しているところ。

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3岡村の港と家並み 昭和11年

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4岡村の港と家並み現況 平成18年 現況写真は節太郎が撮影して約80年後になるが、左隅のモダンな建物がそっくりそのまま残っている。海に向かい埋め立てが進んでいるのも一目瞭然。

 ちょうど写真が撮影された頃、瀬戸内海の島々では、温暖な気候を活かして蚊取り線香の原料である除虫菊が栽培され、貴重な現金収入になっていた(写真5)。節太郎は地理学者らしく撮るべきポイントをおさえながら、昭和11年の岡村の姿を的確に記録している。
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5岡村の除虫菊 昭和11年