現在開催中の「宇和海と段畑のくらし―海と「そら」の恵み―」(~2/4)。もう、ご覧いただけましたか?
ここでは、展示中の資料をシリーズで紹介します。
とても身近だけどあまり知らなかった「宇和海」と「段畑」。資料からは、「宇和海」と「段畑」に生きてきた人々の日々や、その移り変わり、仕事に懸ける想いなどがうかがえます。

『漁業旧慣調』/明治初期/愛媛県立図書館 蔵
『漁業旧慣調』は、明治初期に編纂されました。当時の網代(あじろ)図や漁法、漁具などが描かれ、説明が添えられた貴重な資料です。
ここでは、鰯漁の様子が描かれています。宇和海は「西国一の鰯漁場」といわれており、砂浜が少ないため、沖合いで操業する船曳(ひ)き網で鰯を捕りました。江戸時代から、このような方法で漁が行われていたと思われます。
「漁業旧慣調」に記録された鰯船曳き漁の様子を見てみましょう。
夏が好季節。船6艘で行う。

海のよく見はらせる山の上にムラギミ(村君)が登り、魚の群れを発見したら海上の手船方に合図する。

手船方ではムラギミの合図を受けて網使いを指揮する。
真網

逆網
網船はマアミ(真網)*船、サカアミ(逆網)*船の2艘で長さは7尋(10.5m)。網船2艘が網を入れながら魚群を取り囲み、海岸へひきつける。船を海岸に固定し、徐々に網を引き寄せる。

このとき、マエガリ(前狩)2艘が、網船の間から魚が逃げようとするのを、割木(わりき)に苧縄(おなわ)をつけたものを何回も海中に投げて驚かし、逃げないようにする。

網底が潮に流されないように、小船が1艘底網のほうに漕ぎ出し、錨(いかり)を入れて流れないようにする。
一帖(一つの船団)に、何艘もの大きさの違う船があり、それぞれに役割を持って漁をしていたことがわかります。
船曳き網で獲った鰯は、干鰯(ほしか)にして、船で大坂などへ運ばれ、畑の肥料として使われました。宇和島藩・吉田藩の重要な物産品でした。
このような鰯漁に従事する人々が宇和海沿岸に住み、自給自足のために開墾していったのが段畑と考えられています。
*真網(まあみ)・・・網を左舷につけ魚群に対し反時計回りに廻って囲う船。
*逆網(さかあみ)・・・網を右舷につけ魚群に対し時計回りに廻って囲う船。