2008 年 2 月 のアーカイブ

南予の中世城跡探訪2 肱川河口を押さえる城 ―大陰城―

2月 29日 金曜日

 肱川河口から約2km上流、JR伊予出石駅の正面には肱川に渡された大和橋、その先には支流大和川沿いに下須戒(しもすがい)の谷筋が伸びます。肱川河口を間近に望むこの川の合流地点の尾根先に、中世に造られたのが大陰(おおかげ)城(下須戒城)です。


  大陰城跡麓から肱川河口を望む

 戦国末期には矢野氏が城主であったと伝えられますが、この地域の領主に関する当時の確実な資料はほとんどないため、残念ながらはっきりしたことは分かりません。
 しかし、大陰城を含む下須戒という地域は、当時の古文書の中にちらほらその名を現します。戦国時代も終盤に近づいた永禄の頃から、道後の河野氏やそれを支援する安芸毛利氏は、喜多郡方面への進出を図ります。その際、喜多郡の中心をなす大洲盆地への主要な進出経路としては、やはり伊予灘沿岸を南下し、肱川をまっすぐ南へさかのぼる方法でしょう。当然、進出する側も守る側も、その通路の入口となる肱川河口は重要な戦略拠点となるわけです。海上交通から河川交通に切り替える場所としても重要であったでしょう。
 河野・毛利勢力は進出の足がかりとして下須戒の確保を目指し、また中継拠点として重視していた様子がうかがえます。しかし、安定的確保は難しかったようで、しばしば攻防戦の舞台ともなっています。そうした肱川河口の要衝である下須戒を睨む軍事拠点が大陰城になります。結局、下須戒を含む肱川下流域では、天正13(1585)年の四国平定の時まで河野・毛利勢力を交えた騒乱が続くことになりますが、おそらくその中で下須戒は常に重要拠点とされ、幾多の攻防が繰り返されたと推察されます。
 四国平定の後、豊臣政権下に入った伊予では、小早川隆景のもとで城郭の整理が行われますが、実は大陰城はその時の状況がうかがえるという興味深い城の一つです。小早川隆景から家臣乃美宗勝への指示によると、「祖母谷(うばがい)、瀧之城、下須戒、これも一所にまとめたい」としています。この3城はすべて大洲盆地から長浜に抜ける肱川沿いに所在する城で、それぞれに河川交通を押さえる拠点となっていたと推察でき、統一政権下ではその役割を1つの城に担わせようとしたようです。

十二単着付け体験、抽選しました!

2月 21日 木曜日

 3月1日、2日は、おひなさまイベント。
 このイベントでは、小中学生(身長140cm以上)を対象に、十二単の着付け体験を行います。体験人数は1日10名、計20名を募集しました。(2月16日締切でした)
多くの方に応募いただき、担当者もうれしい悲鳴!!
応募はがき

募集人数を超えてしまったため、職員が見守る中、抽選開始!
見守る職員もドキドキします。
抽選中

 お申し込みいただいた皆さま、結果は返信ハガキで通知いたしますので、今しばらくお待ちくださいね。 
 おひなさまイベント当日は、十二単の着付け体験以外にも、おひなさまに変身!として、西条藩松平家のおひなさま(女雛)と同じ形式の衣裳(袿袴姿)の着付けも行います。こちらの衣裳は、当日10:00~16:00の間、先着順に着付けます。小学生(身長110cm~140cm)が対象ですが、身長の足りない幼児の方も、袿を羽織ってみることができますので、お気軽にご参加ください。もちろん、カメラを忘れずにお持ちくださいね。

 このほか、体験工作では、貝合わせをつくろうを10:00~16:00まで行います。材料費は一個200円。はまぐりの貝殻は、金色に塗って準備していますので、子供から大人まで簡単にオリジナル貝合わせを作ることができます。
 みなさまのご来館、ご参加をお待ちしています。
 現在、はまぐりの貝殻を準備中。貝殻の並ぶ様子は壮観です。
はまぐり貝集合

展示替え情報 歴史展示室2(中世)

2月 20日 水曜日

 常設展示室内の歴史展示室2(中世展示室)について、一部展示資料の入れ替えをおこないました。
 昨年秋に実施した企画展「戦国南予風雲録」の際に、新たに発見した資料、資料価値の判明した資料がいくつかありましたが、その中で現在当館で収蔵している資料について、少しでも多くの方にご覧いただこうと、一部を常設展示の中世コーナーに展示しました。

新しく出品した資料は、
[1]天正7年河野通直(牛福)感状(忽那亀寿宛て)
 大洲盆地の花瀬城(大洲市北只)で起こった合戦で、河野勢として出陣した忽那通著が討ち死にしたことについて、息子の亀寿にねぎらいの言葉をおくった文書。最近、所在が再確認され、後に当館へ寄贈されました。
[2]銀箔押帽子形兜(ぎんぱくおしもうすなりかぶと)
 滝山城(大洲市長浜町)の城主から庄屋となった久保家に伝来した武具の一つ。僧侶がかぶる帽子(もうす)をかたどり、表面に銀箔を施した兜。新たに発見され、中世から近世への過渡期に成立した貴重な資料であることが判明したものです。


展示替えの様子

[3]刀 銘「備前長船祐定 永正十六年吉日」/脇差 無銘
 同じく久保家に伝来した武具。戦国期から近世初頭に作られたと推定される刀剣です。


展示替えの様子

[4]流旗
 同じく久保家に伝来した旗。神仏号、大山祇神社を示すであろう「三」、上り藤の紋章などが手書きで記され、麻地で作られた簡素で小型の流旗。おそらく実用的なもので、南予地域には類似の流旗が他にも2点伝来しています。


展示替えの様子

[5]光明寺五部大乗経
 光明寺(砥部町)に伝来した五部大乗経。その多くが、中国の元版を模刻したもので、奈良興福寺において春日版として作成された可能性が高いという、極めて興味深い事実が最近明らかとなった資料です。

 ※上記資料の一部は、昨年の当ブログにて([1]=4/26付け、[2]=9/24付け、[3]=10/3付け、[4]=10/1付け)若干の解説を掲載していますので、ご参照ください。

 ほんの数点ではありますが企画展「戦国南予風雲録」で展示した資料が常設展示室に戻ってきます。ぜひこの機会にご覧になってみてください。

テーマ展「おひなさま」が開幕しました。

2月 19日 火曜日

おひなさま

テーマ展「おひなさま」は、本日開幕しました。

職員一同、みなさまのご来館を心よりお待ちしております。

西条藩松平家の雛飾りの列品

2月 17日 日曜日

 西条藩松平家の雛飾りの列品に取り掛かりました。この雛飾りは、西条藩9代藩主松平頼学(よりさと)のもとに、京都の公家一条家から輿入れした通子(ゆきこ)が持参したものです。通子が頼学のもとに嫁いだのは、文政7(1824)年、19歳の時でした。

 雛道具は大名家のものにふさわしく専用につくられた木箱に収納されています。さらに、木箱の中では黄色の布に包まれており、雛道具がいかに大事に扱われてきたのかが伝わってきます。そして、私たちも小さな御道具の一つ一つを丁寧に箱から取り出していきます。

西条藩の列品作業1

 取り出した御道具を、雛壇の上にバランスよく並べていきます。今年で展示するのもちょうど10回目。どの御道具をどこに置くのかという配置に悩まなくなり、随分短い時間で今年も並べ終わりました。

西条藩の列品作業2

 西条藩松平家の雛飾りが完成した姿は、ぜひ展示室でご覧ください。

テーマ展「おひなさま」、列品中です

2月 15日 金曜日

テーマ展「おひなさま」の開幕がいよいよ迫っています。展示ケースや展示台の設置も終わり、いよいよ資料を並べはじめました。展示されるのは、おひなさまばかりではありません。雛道具もミニチュアであることから、ミニチュアつながりで極小の小物細工なども展示します。列品している人間の手の大きさを見ると、その小ささが実感していただけると思います。

列品作業

 ちょうどいい大きさの展示ケースがなく、昨年はすし詰めになっていた御所人形も、既存の展示ケースを改良することで、ゆったりとした間隔で展示できるようになりました。

御所人形

 列品作業も佳境に入りました。一番時間もかかる西条藩松平家の雛飾りの列品にそろそろ取り掛かります。

御殿飾り(曲水の宴)

2月 14日 木曜日

 右側の土台に当たる部分を復元製作して、御殿は組みあがりましたが、この御殿にはさらにこれとセットになる10分割された厚みがあまりない台と、たくさんの人形が付属していました。10分割の台をああでもない、こうでもないと思案しつつ組み合わせて、その上に人形を配置すると、この御殿飾りの全体像がようやく見えてきました。

御殿飾り(曲水の宴)

 御殿は当館が所蔵しているものなかで、最も大きなものになります。そして、白木造りの御所を模した御殿の前には、川の流れとともに桜や草花を配した庭園風の空間が広がります。その川のほとりに、色紙をもった人形を並べると、どうやら宮廷行事の一つ「曲水の宴」の様子を表現したものだと気づきました。「曲水の宴」は、流れる水に浮かべた盃が自分の前を通り過ぎるまでに和歌を詠み、速さと出来映えを競う遊びで、三月三日の上巳(じょうし)の節句に行われたので、まさにおひなさまの季節にぴったりな情景といえます。

曲水の宴の人形1

曲水の宴の人形2

 その後聞き取り調査をしたところ、この御殿飾り(曲水の宴)は、もともとは八幡浜市の旧家に伝わったもので、明治23(1890)年頃のものであることも分かりました。初公開となる春の季節にふさわしい御殿飾りのセットをぜひご覧ください。

御殿がよみがりました

2月 13日 水曜日

 毎年恒例のテーマ展「おひなさま」。新しくおひなさまの寄贈があった年はいいのですが、なかなかそういうわけにもいかず、昨年の展示と違う部分をどう出すのかが担当者としては頭が痛いところです。

 今年の「おひなさま」展を準備する際に、歴史民俗資料館から移管されたおひなさまの活用が課題にあがりました。移管資料にはおひなさまが含まれていましたが、混在していたため再整理する必要がありました。その作業を行っていくなかで、大きな御殿飾りを発見しました。その御殿飾りのパーツを集めてみると、右側の土台が失われているものの十分組み立てられることが分かりました。

 そこで、右側の土台部分は復元製作することにしました。土台を箱形につくりその上に組み立てるパーツの位置を確認しながら、慎重に穴あけ作業を行っていきます。そして、ついに御殿飾りがよみがりました。この御殿飾りの詳細は次回に紹介します。

御殿の台の穴あけ作業

雛壇が立ちました

2月 10日 日曜日

 寒い日がつづきますが、毎年恒例のテーマ展「おひなさま」の準備が始まると、心の中にそっと春の火がとぼるような気がします。そこで、少し気が早いのですが、先日、民俗展示室の山の家に雛檀を組む作業を行いました。大きな雛壇なので、三人がかりで作業を進めます。

組み立て作業

 この雛壇は、もともとは明治30年代に製作されたものですが、傷みが激しいので骨格部分は復元製作しました。それでも、金の背景板や御簾などは当時そのままのものを使っています。御簾や欄干、階段などを取り付けると、段飾りでありながらも御殿風というユニークな雛壇が完成します。組みあがった雛壇に人形を並べるのは、もう間もなく。今年もいよいよ「おひなさま」の季節がやってきます。

完成した雛壇