Archive for 3月 7th, 2008

南予の中世城跡探訪3 出石山東麓、上須戒の中世城跡 ―向居城跡・桜ケ森城跡―

2008年3月7日

 肱川下流の八多喜(はたき)地区から西へ谷を上ると、のどかな山間の集落が現れます。上須戒(かみすがい)地区です。こじんまりした盆地に南面する山並みから迫り出した尾根先に、向居(むかい)城はあります。
 戦国時代、この地域を支配した土豪に向居氏がいました。向居氏は、周辺の土豪たちと対立や連携をしながら、一方で大津(大洲市)を中心に喜多郡域に広く影響を及ぼした宇都宮氏とよしみを通じ、宇都宮氏が衰退して後は道後方面から喜多郡へ勢力を伸ばしてきた河野・毛利勢力に属し、天正13(1585)年の四国平定以降も、伊予(南予)を支配した小早川氏や戸田氏に従い、そして近世には上須戒村の庄屋として家名を保ちます。この向居氏の本城といわれているのが向居城です。


  向居城跡

 この向居城とほぼ向い合うような北面の山並みの尾根先に、桜ケ森城があります。こちらは、遺構の大きさや石積みの存在などから、向居城より新しいもののようです。城主については、向居氏のもう一つの城だとも、向居氏と対立した城戸(きど)氏とも伝えられ、はっきりと確定はできません。


  桜ケ森城跡

 両城とも尾根の先端を利用した連郭式の城で、最も高い主郭から先端に向けて曲輪(くるわ)が連なっていき、逆に主郭の背後(山側)には空堀が設けられています。大まかな構造に共通する性格が見られる一方で、桜ケ森城には各曲輪の周辺に石積み、主郭に土塁が見られ、規模も大きいという違いが確認できます。
 上須戒の集落には、向居氏の菩提寺である宝蔵寺も所在しています。