Archive for 5月, 2008

愛媛の祭り9 西予市明浜町の牛鬼(うしおに)

2008年5月20日

※南予地方 西予市明浜町狩江

担ぎ手は牛鬼の胴体の中に入ってかついでいますが、南予では体が外に出た形で担ぐ方法が一般的です。江戸時代の絵巻では、この狩浜のような担ぎ方になっており、古い形を留めた牛鬼といえます。

牛鬼の出る祭りは愛媛県南予地方のほぼ全域のほか、かつては上浮穴郡柳谷(やなだに)村や久万(くま)町にもありました。また、高知県宿毛(すくも)市など南予地方と隣接する高知県西部地域にも分布し、その数は約150か所にのぼります。

胴体の中に入るかつぎ方は、江戸時代の東予地方の西条祭りのダンジリでも同じでした。かつぐ人を見せるより、牛鬼やダンジリという作り物を観衆に見てもらうため、人は中に入ってかついでいたのです。

写真でみる昭和の暮らし2 台所の変化

2008年5月18日

 村上節太郎は内子町平岡にあった実家と松山市南町にあった自宅、両方の台所を撮影しています。まず、昭和36年撮影の実家の台所から。

古い台所(昭和36年)

 調理をする女性の背後には、食物の煮炊きに使うカマドが見えます。セメントの流しに土間の古いタイプの台所です。脚付きのまな板の上では、茄子が調理されています。

タイルの台所(昭和36年)

 一方で、昭和36年に撮影された自宅の台所は、清潔感のあるタイル貼りの流しになっています。そして、写真をよく見ると、水道の蛇口の脇に「ワンダフル」と書かれた洗剤が置いてあることに気づきます。これはおそらく、花王が家庭用洗剤として昭和33年に新発売した「ワンダフルK」ではないかと思います。食器の油よごれを落とし、生野菜についている回虫や農薬を洗い流す家庭用洗剤がこの頃に登場、たちまち普及していきました。

ダイニングテーブル(昭和44年)

 もう1枚は昭和44年に撮影されたもの。実家のちゃぶ台に対して、自宅ではダイニングテーブルで食事をしていたことが分かります。またこの頃、村上家の台所にはガス湯沸かし器が導入されています。台所の写真を時系列に並べることで、快適なキッチンへという暮らしの変化が見えてきます。

愛媛の祭り8 西予市城川町の牛鬼(うしおに)

2008年5月16日

※南予地方 西予市城川町窪野

この牛鬼は秋祭りではなく、三滝神社春祭り(4月17日)に川後岩(かごいわ)地区から出されていたものです。角が内側に反っており、闘牛用の牛の角と形状が似ています。この点から、牛鬼の起源が闘牛と関係するという説もあります。

牛鬼の起源は不明ですが、今から200年前の江戸時代半ばの南予各地のお祭りに登場していることが確認できます。なお、言い伝えとして、加藤清正が朝鮮出兵の際に敵を威圧するために用いたのが始まりであるという話もあります。

江戸時代には「牛鬼」という妖怪が有名でした。田畑を荒らす妖怪で、滝や淵や海など水辺に住むといわれていました。県内でも南予地方の山間部に牛鬼の住む淵の伝説が数多く残っています。

南予の中世城跡探訪8 宇和海を望む城跡 ―萩森城跡―

2008年5月15日

 八幡浜市街に張り出す愛宕山、その尾根をたどって奥へ向かうと、みかん畑が広がる山の頂に送電用の鉄塔が立っています。そこが萩森城です。戦国末期に八幡浜北部を支配した萩森宇都宮氏の本拠です。広い主郭の周囲にいくつかの曲輪が配され、一部分ですが堀切や土塁も見えます。


  萩森城跡

 「大洲旧記」などに記す伝承によれば、大津(大洲市)の宇都宮清綱が、本拠を長男の豊綱に譲り、自分は次男・三男らを連れて隠居したといい、その隠居先が萩森城であったとされています。後に、ともに移り住んだ次男房綱が城主になったとも伝えます。しかし、これらには確実な資料がなく、後世の編纂物類の記載や伝承の域を出ません。清綱や房綱の名を記した当時の確実な資料は、現在確認されていないのが実情です。
 その一方で、信頼できる古文書の中に、萩森元教という領主の名が登場します。これも、戦国末期の萩森宇都宮氏とされていますが、そうなると同時期に萩森宇都宮氏には、房綱と元教が存在したことになります。従来はこの両者を別人とみてきました。しかし、最近では両者は同一人物で房綱から元教に改名した可能性が高いという見解が出てきています。
 山頂からの眺望は、南にはあまり開けていない反面、北の大平側に開け、東は大洲との境をなす山々、そして西には宇和海が開けます。大洲中心部から西進し、大洲市平地の高森城を経て峠を越えるとちょうど大平に続く谷に入ります。そしてその先には宇和海。宇都宮氏が萩森城に入った伝承の真偽は不明ですが、こうした地理的性格を見た時、大洲盆地の西方の宇和海への進出をねらい、勢力の伸張という積極的な理由で萩森城という拠点を確保したとの可能性も類推されてくるのではないでしょうか。
 戦国末期にいたると、萩森氏は河野・毛利勢力に属する様子を見せ、さらに四国平定後も、伊予を支配した小早川隆景の下で活動していた形跡を残しています。


  萩森神社

 城跡から北へ少し下ると、萩森氏を祀った萩森神社が鎮座します。現在は小さな社殿が1宇あるのみですが、文化11(1814)年に萩森神社を描いた絵図には、複数の建物や常夜灯などをはじめ、多くの参詣人や物売りの姿も描かれていて、往時の賑わいが偲ばれます。また、萩森氏が用いた銅鑼が、後に鰐口の代用品として奉納されたとの伝承もあり、実際に天正14(1586)年に萩森神社へ寄進した旨の銘が刻まれた銅鑼も伝存しています。

写真でみる昭和の暮らし1 ちゃぶ台の昭和

2008年5月14日

ちゃぶ台は昭和の一家団らんを象徴するモノといえます。茶の間の中心にはいつもちゃぶ台がありました。村上節太郎が昭和38年に内子町平岡の実家で撮影した写真にも、ちゃぶ台が写っています。

ちゃぶ台で食事(昭和38年) 

 写真では、少し大ぶりなちゃぶ台を親族一同で囲んでいます。ちゃぶ台の上にはご飯や味噌汁などが並んでいます。普段となんら変わらない食事ですが、大勢で食べると一段とおいしく感じられたものです。
 ところで、企画展「写真でみる昭和の暮らし」では、ちゃぶ台の置かれた茶の間の様子をそっくりそのまま展示室内に再現してみました。

再現された茶の間

 夏の暑い日、家族でだらだら汗を流しながら、カレーライスを食べてる情景をイメージしてみました。カレールウが登場する以前は、肉と野菜を煮たところに、カレー粉とメリケンコを入れて、最後は醤油などで味を調える、素朴なカレーライスがつくられました。
 昭和30年代になると、婦人雑誌の付録にも洋食をテーマにした料理冊子が増えてきます。ちゃぶ台も和食から洋食まで様々な料理で彩られるようになりました。

愛媛の祭り7 愛南町御荘の牛鬼(うしおに)

2008年5月11日

※南予地方 愛南町(旧御荘町)

南宇和郡の牛鬼頭の型は、明治時代に御荘の末武氏によって考案され、周囲に広がりました。宇和島型に比べて重量が重いので、牛鬼の首の長さが必然的に宇和島型より短くなっています。

牛鬼の頭は、牛とも鬼ともつかない形相をしていますが、その表情は一様ではなく、地域により異なっています。一般的には宇和島地方の牛鬼の形相が有名ですが、頭の形を大まかに分類すると、内子型・宇和島型・愛南型などに分けることができます。

南予地方でも、地域によって顔の表情は違っています。「牛」の要素と「鬼」の要素のどちらが強いかで、顔の表情も決まってくるようです。

愛媛の祭り6 宇和間の奴道中(やっこどうちゅう)

2008年5月9日

※中予地方 松山市(旧中島町宇和間)

鬼・猿田彦等と同様に神輿行列の先導をするものに奴(やっこ)行列があります。長柄や鳥毛、槍等の道具を二列に持ち、互いに道具を投げ合う曲芸をしますが、これは東予西部から越智郡島しょ部にも多く見られます。

奴行列の他にダンジリ等の山車(だし)が登場する祭りでは、奴は単に道具を持って練り歩くことが多いのですが、旧中島町や旧丹原町では奴が各種の投げ芸を見せ、祭りの主役を務めます。

奴行列は、神輿の前を歩くことが多く、神輿は奴行列を追いこしてはいけないというしきたりがあります。奴が進まないと神輿も進めないので、神輿が押し戻されたり、けんかをしたりします。

愛媛の祭り5 伊予市永木の鬼(ダイバン)

2008年5月8日

※中予地方 伊予市(旧中山町永木)

旧中山町永木地区の秋祭りで出る鬼です。地元で「ダイバン」と呼ばれていますが、中予・南予地方では、鬼のことを「ダイバン」・「ダイバ」と呼んで、怖がられながらも、親しまれています。

松山をはじめ、中予地方には、おそろしい鬼の仮面をかぶった「ダイバ」とよばれる「鬼」が出るお祭りが多くあります。また、「お神楽(かぐら)」という仮面芸能でも、鬼のことを「ダイバ」とか「ダイバン」とよんでいます。これは、愛媛県周辺での独特のよび方のようです。

ダイバという呼び方は、仏教で釈迦(しゃか)の修行を邪魔する悪役「提婆達多(だいばだった)」に由来するものと思われます。鬼も神の邪魔をする役だからです。

愛媛の祭り4 シダ神輿(みこし)

2008年5月5日

※南予地方 宇和島市吉田町知永

青竹をかき棒にして、シダの葉で鳳凰の形を作って神輿(みこし)としたものです。11月3日の門島神社秋祭りに登場します。変わり神輿として貴重なものといえます。

宇和島市吉田町にはシダの神輿がありますが、今治市神宮にはワラで作った神輿もあります。神輿は神聖なもので、もともとは毎年新たに作り替えることが行われていたようで、その名残とも考えられます。

神輿をかつぐときのかけ声は、近年では「ワッショイ」が一般的になりましたが、「チョーサジャー」とか「フンエーイ」など地域によってさまざまな昔からのかけ声があります。

愛媛の祭り3 継ぎ獅子(つぎじし)

2008年5月3日


※東予地方 今治市神宮野間神社(矢田継獅子)

※東予地方 今治市菊間町池原

今治には若者が基壇となり、縦に3~5段と継ぎ、最上段に獅子頭をかぶった子供が乗る「継ぎ獅子」が広く見られます。江戸時代後期に今治市鳥生(とりゅう)の者が伝習し、広まったと伝えられています。

西条市小松町からしまなみ海道沿いの地域には、ムカデ獅子といって、布幕の中に青年数名が入り、獅子の体を横に大きく広げた獅子が多く伝承されています。それを発展させたの継ぎ獅子といわれます。

今治市の祭りでは、西条市のダンジリや新居浜市の太鼓台、松山市の神輿、宇和島市の牛鬼など、豪華な出し物は登場しませんが、獅子舞の継ぎ技は全国的にも非常に高いものです。