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南予の中世城跡探訪14 野村盆地のかなめの城 ―白木城跡―

2008年7月4日

 西予市野村町の中心部にはなだらかな盆地が広がっていますが、その北部、盆地を北から一望するかような位置の、比高200mはあろうかという山頂に白木城はあります。山頂部の主郭から、細長い尾根に沿って前後双方に曲輪が連なります。


  白木城跡

 白木城は、戦国時代に野村一帯に勢力を及ぼした野村宇都宮氏の本拠であったといわれています。しかしながら、野村宇都宮氏に関する当時の確実な資料はほとんど皆無に等しく、現在のところ後世の文献や伝承などからうかがうしかありません。また、豊後から南予に亡命して野村に土着したといわれる緒方氏が、戦国末期に白木姓で呼ばれていることを「宇和旧記」に引用の古文書に見ることができ、緒方氏の関与もうかがわせます。
 実は、白木城自体は当時の古文書の中にその名を現します。永禄11(1568)年に、宇和・喜多郡境で河野・毛利勢力と宇都宮・一条勢力が衝突した鳥坂合戦の時、少し前に近くの高島で合戦が起きますが、そこでまさに両軍が激突する直前、毛利方の小早川隆景が家臣乃美宗勝へ宛てた書状。その中で、来島村上氏からの報告を受けて、隆景は「白木城から菅田城・鴇ケ森城(ともに大洲市)へ向けて2里前後(主体が来島村上勢か、一条勢かは不明)にあるということなので、もはや対陣の思いがする、すぐ近くである。」と記しています。残念ながら、合戦の一部始終が詳細に分からないので、この時の白木城がどの勢力に属し、どういう状況下に置かれていたのか詳しく述べることはできませんが、白木城から菅田・鴇ケ森までを最短で結ぶ白髭峠を越える経路上に、最初の両軍直接衝突の地である高島が位置することから考えても、白木城がこの大合戦に無関係ではいられなかったことが容易に想像できます。