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南予の中世城跡探訪17 城川西部、魚成氏関連史跡 ―龍ケ森城跡周辺―

2008年8月1日

 西予市城川町の西部に魚成(うおなし)という地区があります。東西に伸びる谷に魚成川が東流し、南岸にはなだらかな段丘上に田園風景が広がります。一方、北岸は急斜面の山脈が横たわり、険しい様相を見せています。その北の山脈を越えると同市野村町の阿下(あげ)地区に入りますが、その旧町境の尾根上、南に魚成、北に阿下を望む高みに中世の山城、龍ケ森城跡があります。


  龍ケ森城跡

 龍ケ森城は、中世にこの魚成地域を支配した魚成氏の城です。一見すると、魚成の谷筋の北辺に位置する龍ケ森城は、支配の面で不自然な感じを受けるかもしれません。しかし、近世の地誌「宇和旧記」の記述では、魚成氏は魚成地域のほかに阿下地域の前石・釜川を知行したと伝え、さらに野村盆地を越えて西へ進んだ四郎谷の三嶋神社には、魚成氏が文明3(1471)年に大檀那になって社殿を再建した際の棟札が残っています。龍ケ森城の周辺には、魚成と阿下を結ぶ峠道も何本か通っており、南の魚成だけでなく、北から西にかけて広がる野村盆地も見据えた城であった様子がうかがえます。
 龍ケ森城のほぼ真南の方角には深い谷が南へ切れ込んでおり、その奥には古刹龍澤寺があります。現在は周囲が龍澤寺緑地公園とされ、「森林浴の森日本百選」に選ばれるなどして親しまれていますが、実は鎌倉末期に開創と伝わる曹洞宗総持寺派の中本山の名刹です。開創時は、現在地よりさらに南へ山を登った頂上付近の御開山(おかいさん)に建立され、龍天寺と称していました。室町時代に現在地に移り、寺号も龍澤寺に変わりました。ここにはかつて、中世の魚成氏や魚成地域の様子を伝える「龍澤寺文書」が伝来していましたが、現在では残念ながら所在不明となっています。


  龍澤寺

 また、龍澤寺からから少し北へ出た段丘上の高台、谷越しで北方の尾根に龍ケ森城がよく望める場所には顕手院があります。ここは、寺伝によれば享徳元(1452)年のこと、魚成氏が龍澤寺から星文和尚を開山として招き開創した魚成氏の菩提寺です。ここには、魚成氏の活動を今に伝える貴重な資料「顕手院文書」(県指定有形文化財)が伝存しています。


  顕手院