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南予の中世城跡探訪20 四万十川水系国境地域の要衝 ―河後森城跡―

2008年8月30日

 河後森(かごもり)城、その名前を耳にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか。松野町の中心部松丸の町並みの背後に見える小高い丘、それが河後森城跡で、平成9年には国の史跡指定を受けました。


  河後森城跡

 河後森城の周辺地域は、戦国時代には河原淵(かわらぶち)氏という領主が支配していました。なかでもよく知られた河原淵教忠は、伝わるところでは土佐一条氏一門の東小路教忠が養子に入ったといわれ、そのためか一条氏寄りの立場を見せます。予土を結ぶ四万十川水系の国境地域という政治・軍事的要衝にあって、一条氏勢力の前線拠点の役割を期待されたのかもしれません。その後、やはり伝承では、一条氏滅亡の後、配下であった芝氏が台頭して教忠の地位を奪ったといいます。
 四国平定後、南予の支配も中央から送り込まれた大名が執り行うようになりますが、各大名は予土国境に位置する城として重視したようです。なかでも、藤堂高虎は、板島(宇和島)・大津(大洲)・河後森を南予支配の3大拠点としていました。伊達家でも入部当初には当地に重臣桑折氏が配されていたようです。近世初頭に廃城になったようですが、おそらく一国一城令などの影響があったものと推察されます。
 尾根が馬蹄形に丸まった独立丘陵の、最も高い部分に主郭、そこから尾根上に曲輪が連なります。現在発掘調査が継続的に進められており、かつての姿が次第に明らかになろうとしています。主郭部では石垣や大型の瓦・鯱瓦なども出土しており、中世城郭から近世城郭への過渡期の城郭遺跡として貴重な城跡です。発掘成果を基に、一部に建物の復元もされて公園としての整備も進みます。


  照源寺

 河後森城から南へ少し行くと、河原淵氏の菩提寺照源寺があります。境内の開山堂跡地には現在墓碑群があり、後世に河原淵教忠の子孫を名乗る人々により建てられた教忠の墓碑が立ちます。その他には、歴代住職の墓碑をはじめ中世のものと思われる五輪塔も多く並んでいます。


  河原淵教忠墓碑


  照源寺開山堂跡墓碑群