番町遺跡2次出土漆器碗(愛媛県教育委員会蔵)
遺跡から木製品はみつかることは稀です。この遺跡が低湿地であったために残りました。これは、表に黒漆を塗り、中に赤漆を塗った木製の漆碗です。表には丸に蔦の家紋が書かれています。出土品は地中で腐らないやきものが多いのですが、江戸時代には漆碗も多数使用されていました。
番町遺跡2次は、松山藩家老の屋敷跡で、松山城の麓に位置し、2006年に(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターによって調査された近世遺跡です。
番町遺跡2次出土漆器碗(愛媛県教育委員会蔵)
遺跡から木製品はみつかることは稀です。この遺跡が低湿地であったために残りました。これは、表に黒漆を塗り、中に赤漆を塗った木製の漆碗です。表には丸に蔦の家紋が書かれています。出土品は地中で腐らないやきものが多いのですが、江戸時代には漆碗も多数使用されていました。
番町遺跡2次は、松山藩家老の屋敷跡で、松山城の麓に位置し、2006年に(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターによって調査された近世遺跡です。
県民館跡地((財)愛媛県埋蔵文化財調査センター提供)
県民館跡地は、松山の中心部、松山城堀之内に所在します。愛媛県美術館を建設するにあたり、1996年に(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターにより、県内で初めて本格的に調査された近世遺跡です。調査では、南北や東西の道路跡や、幕末期には11軒分の中級から上級の武家屋敷が見つかっています。
出土遺物も1000箱を超えるコンテナを数え、16世紀後半から19世紀前半の資料があります。今回の特別展では、県民館跡出土資料を中心に松山藩の武士たちの暮らしのさまざまな道具を紹介しています。
西条藩上屋敷出土南紀男山焼碗(青山学院大学蔵)
伊予西条藩の江戸上屋敷は、現在の東京渋谷にある青山学院大学にありました。敷地内で部分的に発掘調査が行われています。その資料の一部を、今回の特別展ではお借りしています。愛媛県で初公開の資料です。
細かい花唐草が全面に描かれた、美しい染付の碗です。高台には染付で「南紀男山」と書かれています。これは、現在の和歌山県に所在した、紀州藩の藩窯であった南紀男山焼の製品で、19世紀前半の資料です。なぜ西条藩邸で、このような資料がみつかっているのでしょうか?伊予西条藩松平家は、紀州徳川家の一門です。出土遺物からもつながりをうかがい知ることができます。
宇和島藩上屋敷出土卸金(東京都教育委員会蔵)
これは、金属の銅でできた卸金です。表面には目もたててあり、今とまったくかわらない形をしています。これを用いて、大根などをすって大根おろしを作り、お刺身を食したのでしょうか?浮世絵にも刺身が盛られた大皿の横で、大根をすっている姿が描かれています。
江戸時代には、金属は不要になったらリサイクルするため回収されていましたので、この卸金は、その間もなく廃棄されてしまったのでしょう。なお、愛媛県内の遺跡では目の粗い、やきものの卸金が見つかっていますが、金属製にくらべてどうだったのでしょうか。
宇和島藩上屋敷出土温石(東京都教育委員会蔵)
これは、大きさ7.1cm、幅5.2cm、厚さ1.6cm、重さは105gを測る石です。表面には、「賀藤 小西」の文字、裏側には梅樹の文様が描かれています。上には穴があけられています。これは、一体なんでしょう?
温石と呼ばれる、石製のカイロです。暖をとるため、温めた石を布に包んで使用されました。表面の名まえは、持ち主でしょうか?宇和島藩江戸藩邸に住んでいた武士が、江戸時代になんらかのきっかけで落としてしまったのでしょうか。
宇和島藩上屋敷出土徳利(東京都教育委員会蔵)
これは、主に酒を入れるための、やきものの徳利です。江戸後期の風俗誌『守貞漫稿』には、貧乏徳利と紹介されています。胴部には酒屋の屋号が釘書きされています。本資料は瀬戸美濃産のやきもので、宇和島藩の上屋敷では大量に見つかっていますが、伊予では見つかっていません。江戸屋敷には、たくさんの武士たちが居住していました。単身赴任者も多く、酒を飲んで騒いでいた様子が想像されます。
宇和島藩上屋敷出土鯉形花器(東京都教育委員会蔵)
これはやきものでできた鯉です。ちゃんと目も口ヒゲもあり、鱗も一枚一枚浮き彫りに表現されています。鱗には、ところどころ金彩が残っており、当初は金泥で光輝いていたのでしょう。
これは、置物でしょうか?実は花器なのです。胴部が空洞になっており、口が大きく開いています。下側のおなかには穴があり、壁に掛けられるようになっています。壁掛け用花器と考えられます。鯉の滝登りをイメージしているのでしょうか?花を活けて江戸屋敷を華やかに飾ったことが想像されます。
宇和島藩上屋敷出土陶磁器(東京都教育委員会蔵)
江戸時代の大名屋敷には、多数の地下室が掘られています。写真は、宇和島藩上屋敷の一つの地下室から見つかった大量の出土遺物です。組み物の陶磁器や金属製品など、さまざまな種類の製品を見ることができます。地下室に大切に保管されていた品々が火災や災害に遭い、18世紀末~19世紀初頭に、そのまま放棄されたようです。これらの資料は、当時の人々が、どんなものを所有していたかを今の私たちに伝えてくれます。
第32回全国育樹祭のため10月25日から来県されていた皇太子さまは、27日には当館を訪問されました。お昼前に到着された皇太子さまは、玄関前で当館の中岡信久館長らの出迎えを受けました。
そして、2階にあがり、総合案内前で館長から施設の概要などを聞いた後、歴史展示室内を山本信吉名誉館長からの説明を受けながら、原始時代から戦国時代までの愛媛県の歴史に関する資料を見学されました。とくに、関心をお持ちの中世瀬戸内海水運のコーナーでは水軍の船の模型などを熱心にご覧になっていました。
いつもなら静かな月曜日の博物館ですが、この日ばかりは大勢の行啓関係者でにぎわっていました。職員も普段とは違う雰囲気の中で、心地よい緊張感をもって仕事にのぞめた一日ではなかったでしょうか。