2009 年 1 月 11 日 のアーカイブ

号外「怪人れきはくの謎」6

1月 11日 日曜日

怪人れきはく 昔の道具

「初代怪人れきはく」は明治35(1902)年に愛媛県東宇和郡に生まれたらしい。家は代々ちょうちんの職人だった。幼いころから家業を手伝い、14歳にはすでに一人前の腕になっていた。

15歳になったときに学問を志し、周囲の反対を振りきって、東京に出る。宇和島の親類を頼って上京したのだ。そのときに、同じ宇和島出身の穂積博士という法学者と知り合うことができた。

穂積博士は、実は「初代」がちょうちん職人の技を見事に身につけていることを知り、親交のあった渋沢氏に紹介する。

渋沢氏は、その時代、著名な財界人でもあり民俗・民具に造詣の深い人物だった。後の民具研究の基礎を築いた人物でもある。「初代」はこの渋沢氏と出会い、職人技術のすばらしさ、大切さを聞くことによって、自らが持っている「技」と「文化」の価値に初めて気づいた。大正時代のことである。

「初代」が19歳のときに、渋沢氏は全国の民具をあつめて自宅にミュージアムをつくる。そのあつめる作業に「初代」は参加することができた。その活動によって、「昔の道具」の知恵や工夫に感心したようだ。

その直後、「初代」は何の縁かわからないがヨーロッパ・ドイツに留学し、博物館に日常の生活道具が収集され、保存、展示されていることに驚いたという。しかしその後の彼のヨーロッパでの足跡はよくわかっていない。

日本に帰国したのは昭和39(1964)年。ちょうど東京オリンピックが開かれた年。突然の帰国だった。聞いたところでは、そのころに日本、特に都市部の変容ぶりが現地ヨーロッパのテレビで取り上げられ、それを見て衝撃をうけたという。そして、即、帰国したらしい。

久々に日本の地を踏んだ「初代」は、日本の生活スタイルの変化にとまどいつつも、自分は何をすべきなのか、自問自答していたという。

その後の「初代」の日本における足跡をここでは明かすことはできない。いつ亡くなったのか、その原因が何だったのか、この点はメールで聞いても、かたくなに教えてはもらえなかった。

メールの最後には、祖父「初代れきはく」が常に語っていたメッセージが書かれていた。孫はこの言葉をいつも胸に秘めているという。

「人間は道具を使ってこそ人間である。道具に感謝し、道具を知るべし。」
道具に使われる人間社会への警鐘である。

(この話はフィクションです。)