2009 年 6 月 5 日 のアーカイブ

中国四国名所旧跡図14 出釈迦寺

6月 5日 金曜日

  丸亀に着いた西丈が、実際にどのように四国遍路をまわったのか分からないが、絵の順番でいくと、丸亀から少し後戻った73番の出釈迦寺が丸亀の次に綴られている。ちなみに、丸亀に着船した遍路は、78番の道場寺から札を打ち始めるのが一般的である。
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 西丈の絵では、右下に出釈迦寺の境内が描かれている。境内は石垣の上にあり、中央の大きな建物が本堂(あるいは鎮守社とも)で、その脇の小さい建物が大師堂と思われる。境内にはさらに、手形のようなものが付いた石と石碑のようなものが見える。手形の石には、「露のせとしらは命捨て見よ尺迦の手形か反古にやなるまい」の文字が添えられている。境内にはかつて手形石のようなものがあったのだろうか。
 ところで、出釈迦寺には、次のような弘法大師伝説が残っている。大師7歳の時に、寺の裏山に登り、「衆生済度(迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くこと)」、と言って、山の崖から谷底に飛び降りた。その時に紫雲が湧き天女が舞い降りて大師を抱き留めた。弘法大師は不思議な仏の力に喜び、霊験を後の世に伝えようと、自ら釈迦如来を刻み、その山の麓に堂宇を建立し、出釈迦寺とした。また、身を投げた断崖は、「捨身ケ嶽(しゃしんがたけ)」といわれるようになった。西丈はこの伝説を意識して、出釈迦寺と一緒に画面左に「捨身ケ嶽」が描き込んでいる。その上で伝説にちなみ、次のような言葉を書き付けている。
  難行も苦行も釈迦のおしへなりすつる命をとめるのも釈迦
  残る暑や尺迦も抛出釈迦寺
 最後に『金毘羅名所図絵』の挿絵も添えておく。西丈に比べると、出釈迦寺の境内の様子や眺望が写実的に描かれていることが分かる。

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