2009 年 11 月 のアーカイブ

お知らせ テーマ展「吉田藩大工棟梁ニ宮家の図面展」の開催について

11月 26日 木曜日

平成21年11月14日(土)から平成22年1月31日(日)まで、常設展示室内の文書展示室で、テーマ展「吉田藩大工棟梁二宮家の図面展」を開催します。

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 二宮家は、江戸時代に吉田藩大工町(だいくまち)の棟梁として代々吉田藩に仕え、昭和49(1979)年に最後の棟梁が没するまで約300年にわたって吉田地方の社寺建築に携わりました。安政の大地震の時にも倒れることなく、現在も二宮家建築の社寺が残っています。

 大工棟梁の家がこれほど長く続き、ともに図面が残ることは県内において、たいへん珍しいことです。二宮家文書は、平成20年に吉田町内の民家で発見されました。東雲女子短期大学特任教授犬伏武彦氏、酒井純孝氏(愛媛県建築士会)の協力を得ながら、当館で調査研究・整理を進めてまいりました。県内でも最古級の図面を約30点を紹介しています。

 <主な展示資料>

(1)二宮長六作「吉田藩陣屋蟇股」(竹に雀紋) 江戸時代後期 当館蔵s-DSC_0017

 江戸時代後期に活躍した長六(ちょうろく)は、16歳の時に住吉神社の設計をするほどの天才肌で、名工として全国にまで名前が知られました。吉田藩の陣屋は幕末に再建され、大工棟梁二宮長六の代表作でした。吉田藩主伊達家の家紋(竹に雀紋)の蟇股が、現在も残っており、匠の技を見ることができます。

 

(2)二宮善治郎作「神殿姿図」 文化6(1809)年 個人蔵

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 二宮善治郎が19歳の時に作成した図。代々二宮家は、棟梁となるために、幼い頃から教育を受けていたことが伺えます。

(3)寺院 本堂側面図 江戸時代  個人蔵

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 吉田地方のみならず、城川町龍澤寺にまで二宮大工の足跡が残っています。

 二宮家の図面の特徴は、柱が特に太いことです。これは、耐震性が高いことを示し、実際には、安政の大地震にも耐えうる設計でした。

 江戸時代中期以降、農村部をはじめとして人口が増加し、それにともなって大工の数が不足しました。江戸時代後期には、全国的に流行した華やかな意匠を得意とする長州大工が数多く南予地方に入って来ましたが、二宮家は伊予吉田地方の伝統建築を守り続けました。

  これまで、江戸時代の伊予の社寺建築において、地元大工の足跡について、不明な部分が多かったのです。このたびの図面の発見により、伊予吉田地方において、300年以上も続く伝統建築の名工として二宮家が存在したことが確認されました。こつこつと地道な働きをされた先人の技をご覧いただくとともに、伊予における建築史の奥深さを感じとっていただければ幸いです。

観覧には、常設展示観覧料が必要です。

歴博の???と一緒に

11月 19日 木曜日

 今日は朝から学芸員もソワソワしていました。なぜなら、民俗展示室1「愛媛の祭りと芸能」に展示している資料の特別利用(博物館資料を閲覧や写真撮影など特別に利用すること)があったからなのです。本日のご利用目的は、新居浜の太鼓台と一緒に結婚の前撮りです。衣裳を身につけて当館までの車の移動は大変だったと思われますが、新郎新婦は疲れも見せず、撮影は順調に進みます。

今日ばかりは、民俗展示室も一転して華やいだ雰囲気に映りますね。
お二人、末永くお幸せに~。

森の時計をつくろう

11月 15日 日曜日

 15周年記念イベントでは、14日から始まった巡回展「森のめぐみ展」の関連として「森の時計をつくろう」を行いました。実りの秋、どんぐりなどの木の実を飾りにした時計をつくろうという企画です。

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 会場は、どんぐり、松ぼっくり、綿の実など、飾りつけの素材でいっぱいになりました。それぞれが思い思いに時計盤に飾り付けをしていきます。

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 自分オリジナルの森の時計が完成しました。

開館15周年記念イベント開催中です

11月 14日 土曜日

 11月14日、15日は開館15周年を記念して様々なイベントが開催されます。

くす玉割り

 本日14日には記念式典があり、館長のあいさつの後にくす玉が割られました。

 

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 11時30分からは餅まきが行われました。お餅と各種イベントで利用できるお楽しみチケットを求めて、大盛り上がりでした。なお、餅まきは明日15日も11時30分から正面玄関前で行われます。お餅もお楽しみチケットもたっぷり準備して、お待ちしています。(雨天時は場所がかわりますので、ご注意ください)

 

 午後からは両日とも各種工作イベント、明日にはお茶会なども行われます。14,15日はぜひ歴博へ。はに坊がお待ちしています。

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「森のめぐみ」展準備中です。

11月 12日 木曜日
14日からはじまる巡回展「森のめぐみ」展の準備のため、総合科学博物館の学芸員さんとトラック1台が歴博にやってきました。
 早速、トラックから資料をおろします。

切り株標本、重そうです

トラックをのぞいてみると、つぶらな瞳が見つめています。

つぶらな瞳がみつめます。

「鹿!?」と歴博学芸員たちがつぶやくと、傍にいた科博の学芸員さんに「ニホンカモシカです」とあっさり訂正されました。

リス

昆虫標本

動物の剥製や昆虫標本などは普段扱うことがほとんどないので、なんだか新鮮に映ります。

作業は順調に進みました。「森のめぐみ」展は、14日(土)、開館記念イベントと同時に開幕しますので、お楽しみに。

西園寺氏の菩提寺 光教寺

11月 11日 水曜日

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   中町から伸びる参道

 

 去る10月、西予市宇和町卯之町の中町の町並みを中心とする一帯の地区が、国の文化審議会から重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう文部科学大臣へ答申されたことは、まだ記憶にも新しいことでしょう。

 その一角、国の重要文化財の開明学校に隣接して、静かなたたずまいを見せる寺院があります。ここは、清泰山光教寺というお寺で、実は中世に卯之町を見下ろす松葉城・黒瀬城を本拠にして、宇和郡内に広く支配を及ぼした西園寺氏の菩提寺となっています。古くは、黒瀬城の麓の光教寺谷という場所にあったのが、火災により現在地に移ったとされています。

 西園寺氏は、京都の公家西園寺家の一族で、宇和荘などの領地が伊予にあったことから、南北朝時代頃に下向し、土着した領主です。戦国時代にいたるまで本家と交流を持ち、一方で幕府や近隣大名とも様々な関係を結んで勢力を維持していましたが、四国平定後に豊臣秀吉が送り込んだ大名戸田勝隆支配の時代、滅亡を迎えることとなりました。

 今でも毎年11月11日には、最後の当主公広を偲んで法要が営まれており、関係者や近隣の人々が集まり、本堂や廟前にて祭祀が執り行われています。

 

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   新装なった本堂

 

 光教寺では、つい先日本堂の新築改修が成ったばかり。お寺の顔がきれいに生まれ変わりました。門を入ると鐘楼、本堂脇には観音堂・大師堂、本堂裏には庭園などがあり、趣きのある境内を見せています。裏手の山に広がる墓地の中には、公広の廟・顕彰碑も建っています。

 

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   西園寺公広廟・顕彰碑

 

 ぜひ、古い町並みが残る卯之町へお越しいただき、その際には本堂が真新しく生まれ変わった光教寺にも足を運んで、戦国の南予に生きた西園寺氏に思いを馳せてみてはいかがでしょう。また、中町や光教寺と当博物館は遊歩道で結ばれ至近の距離にあります。当館にも西園寺氏関係の展示がありますので、ぜひ合わせてお立ち寄りください。