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へんろ道を歩く~龍光寺から明石寺へ 1 

2010年6月9日

 愛媛の遍路道を実際に歩いてみました。

 今回のコースは、四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺(宇和島市三間町)をスタートし、42番仏木寺(同町)を経て、歯長峠(標高約500m)を越えて、43番明石寺(西予市宇和町)を経由して歴史文化博物館に帰館するまでのルートです。徒歩による完全踏破を目標にしました。健脚向きです。

 このルートは、龍光寺から仏木寺までの山越えの道、仏木寺からの歯長峠道など、徒歩によるお遍路さんが通る旧遍路道がのこっており、ゆっくりと歩きながら、沿道にある大師堂、遍路道標、遍路墓などを調査しました。道中は「へんろみち保存協力会」が整備した現代の歩きお遍路さん用の道標(赤い文字やマークによる看板、シール等の標識)が要所要所に設置され、基本的に途中で迷子になることはありませんでした。

 (1)龍光寺から仏木寺へ

 出発地点の龍光寺。江戸時代までは41番札所は稲荷社とされていましたが明治の神仏分離によって龍光寺となりました。地元の人たちには「おいなりさん」と呼ばれています。神仏習合の面影をのこす龍光寺の鳥居をくぐると、周防国(現山口県)出身の中務茂兵衛(なかつかさもへい)が大正5(1916)年に263度目の遍路供養として建てた遍路道標が出迎えてくれました。施主は大阪の人の名前が刻まれています。手の指で方向を示す矢印は「(手印)四十一番い奈り (手印)四十番奥の院」と刻まれ、現在でも道標の機能を果たしています。また、参道の石段には、越智郡出身の徳右衛門が建てた文化5(1808)年の道標があります。こちらは、地元の宮野下に住む夫婦が寄進したことが刻まれています。

参道入り口の中務茂兵衛の遍路道標

参道石段前の徳右衛門の遍路道標

 歩き遍路道は、龍光寺の墓所を過ぎて 山越えの道となります。入り口付近に、文化5年の淡州(淡路島)のお遍路さんとおぼしき遍路墓がありました。山道をしばらく進むと県道宇和三間線に合流。ここからは県道を北上します。県道のガードレールの外側には、明治11(1878)年に、地元の人たちが建てた道標があります。肉厚な浮き彫りの手印とともに「へんろみち 佛木寺へ廿丁 施主邑中」「へんろみち宇和成家村 いなり山へ五丁」と刻まれています。現在、県道に平行して四国横断自動車道が建設中で、遍路道周辺の風景も時代とともに大きく変わろうとしています。

龍光寺から仏木寺への山越えの道

肉厚な浮き彫りの手印