当地域の旧石器時代の遺跡は、木村2001によると約20箇所で確認されています。ここでは、展示の中心である愛南町和口遺跡について、紹介します。
和口遺跡 (南宇和郡愛南町御荘和口)
■発見の経緯
1987年に考古学研究者によって発見された遺跡です。木村氏は10数年間、休日を利用して表面採集を行なわれました。採集された石器は約1000点を数えます。著書(1995年)で約150点、著書(2003年)で約450点、追悼論集(2009年)で約300点が報告されています。
■立地
豊後水道に面した御荘湾の背後に形成された低丘陵上に位置し、標高は80m~90mを測ります。
採集された場所は南に舌状に延びる丘陵部の5地点で確認され、以下の点が指摘されています。
1)第1・3地点では製品が認められない。
2)第2地点のA区に小型ナイフ形石器が多い。
3)第2地点のB区に横長剥片素材のナイフ形石器が多い。
4)第4地点で最も多く遺物が採集されている。
5)角錐状石器は第4・5地点で採集される。
和口遺跡における遺物採集地点(木村2003より)
■特徴
本遺跡では、近畿地方から備讃瀬戸地域にかけて発達した2万年前の石器製作技術である、「瀬戸内技法」と呼ばれる技術が存在したことがわかっています。これは採集された石器の分析から判断されたことであり、四国における旧石器時代研究史の上では非常に重要な指摘となりました。「瀬戸内技法」関連遺物には、国府型ナイフ形石器、翼状剥片、翼状剥片石核があります。石材は地元で産出する頁岩ですが、形態は備讃瀬戸地域のものに酷似しており、備讃瀬戸地域からの直接的伝播が考えられ、後期旧石器時代における集団の移動・植民が示唆されます。
国府型ナイフ形石器文化ルート推定図(木村2003より)
参考文献
木村剛朗 2001「南四国における旧石器・縄文期の文化様相」『くろしお』No.11
高知大学黒潮圏研究所
木村剛朗 1995『四国西南沿海部の先史文化 旧石器・縄文時代』幡多埋文研
木村剛朗 2003『南四国の後期旧石器文化研究』幡多埋文研
木村剛朗さん追悼論集刊行会 2009『考古学の源流』
この他にも、宇和島市池ノ岡遺跡、鬼北町興野々遺跡、愛南町広見遺跡採集資料について紹介しています。