安政3(1856)年8月3日になると、宇和島藩から「年中奥向衣服定」が届いています。これは奥方・老女・側小姓・小姓・表使・次の人々の衣装について記されたもので、藩によって奥向きの衣装に規定があったことが分かります。さらに8月5日には、秋田藩から宇和島藩留守居に必要な御道具について問い合わせがされ、御隠居様(宗紀)、遠江守様(宗城)、大膳大夫様(宗徳)、大奥方様(観姫)、奥方様(猶姫)、御客前について秋田藩の方からリストが提示され、必要の有無が宇和島藩との間で協議されています。
また、この時に厳しい倹約を行っている最中なので、秋田藩から渡す毎年1300両の御賄方御手元金を1000両に減額するように宇和島藩側から申し入れがされ、秋田藩側も了解しています。宇和島藩側が1300両を1000両という少ない金額にして欲しいというのは、少し不思議な感じがします。もらえるものなら少しでももらった方がいいのではないかと普通思ってしまいます。ただし、この1300両は佳姫に使途が限定されるお金になります。例えば、宇和島藩が奥向きの費用を倹約のために減らしていたとしたら、佳姫だけ多額の費用をもって宇和島藩に入るということは、奥向きの秩序として問題があったのではないかと思います。おそらく宇和島藩の奥向きの秩序を考えて減らす話しがあり、財政に厳しい秋田藩も喜んでそれに応じたというところでしょうか。