2011 年 3 月 27 日 のアーカイブ

佳姫の婚礼7-奥女中の居住空間-

3月 27日 日曜日

 安政3(1856)年8月14日からは、宇和島藩留守居と秋田藩留守居が幕府に提出する御縁組願書の草稿について協議しています。8月19日には両家が表立使者を交換、8月25日に両家から幕府に縁組願書を提出しています。この願書については、秋田藩は取次の御先手山田佐渡守、宇和島藩は取次の御先手本多大膳を通じて、老中堀田正睦(まさよし)に提出されています。8月晦日には、以前も出ていた佳姫(よしひめ)の付人について協議が行われ、秋田藩が頭役1人、書役1人を3~4カ月、医師1人を当分置くとこれまで通りの主張を繰り返すのに対して、宇和島藩は付人は断り、通勤で対応して欲しいとの返答があり、最終的には奥付役人、医師とも交代で通勤することに決定しています。婚礼の準備もだんだん本格化していき、9月10日に佳姫の婚礼に着る御召服が決定し、10月中に江戸に届くように京都へ服が発注されています。

 9月22日に幕府より縁組願書のとおり許可、10月1日に縁組成立、宇和島藩は以後公文書で佳姫様と呼び、御縁女様と記載するようになります。10月21日には秋田藩の佳姫が輿入れする際の御供、使者が決定しています。11月5日には、佳姫の宇和島藩邸への引越の願いが幕府に提出されています。これは秋田藩の取次である御先手山田佐渡守を通じて御用番内藤紀伊守に提出されています。佳姫付きの奥女中についても調整が進み、11月6日には佳姫の奥女中のうち御次1名を増員して、合計18名にすることを秋田藩から宇和島藩へ通知されます。

 11月8日に幕府から引越願を許可、11月10日に佳姫付奥女中が正式に決定、11月21日に奥女中が住む女中部屋に備え付ける道具の照会が宇和島藩からあります。この資料は奥女中の居住空間にどのようなものが置かれていたのかが分かる面白い資料ですが、手水鉢に始まり、かけ竿、てぬぐい掛け、炬燵(こたつ)、すり鉢、すりこぎ、しゃくし、まな板、包丁、貝しゃくし、銅のやかんなどの炊事道具から、しゅろのほうきやはたきなどの掃除道具なども見えます。それから風呂桶が三つとありますが、これは部屋ごとではなく、すべての奥女中で使う分とあります。それから鉄醤壷というものも見えますが、これはいわゆるお歯黒の道具ですので、ここから奥女中がお歯黒をする姿が想像されます。