2011 年 3 月 30 日 のアーカイブ

佳姫の婚礼9-華麗な婚礼行列-

3月 30日 水曜日

 いよいよ佳姫(よしひめ)が宇和島藩上屋敷に移る日、安政3(1856)年12月16日がやってきます。この日は貝桶を渡す儀礼をはじめいろいろな儀礼がありますが、宇和島藩8代藩主伊達宗城(むねなり)の記録、「稿本藍山公記」から大まかな流れだけを整理しておきます。

 まず、佳姫は五つ(午前8時)に浅草の秋田藩江戸屋敷を出発、四つ(午前10時)過ぎには、宇和島藩の方にも佳姫が秋田藩江戸屋敷を出発したとの知らせが入ります。九つ時(正午)になり、ようやく佳姫が到着しています。佳姫の婚礼の行列ですが、最初は御当日御道具として、当日持ち込む婚礼調度の行列が続きます。この御当日御行列の最初の方、「御召替乗物」と記された駕籠の中に、天児(あまがつ)とあります。この天児は子どもの形をした人形で、大名家では子どもが生まれると、その子が災難にあわないように子どもの身代わりとしてつくられました。男の子は犬張り子とともに15才で産土神の神社に奉納されますが、女子の場合はこのように嫁入りの時にも輿にのせていったそうです。婚礼の際には天児にも膳を捧げたりもしました。

 天児の後には貝桶なども続いています。この貝桶は大名の婚礼にあたり貝桶渡しという儀礼に使われる重要な道具として当日持って入りました。その後にかなり長い佳姫の婚礼行列が続きます。最初に護衛の武士が続き、しばらくすると老女綾瀬の駕籠があります。この老女が佳姫様付き奥女中の中で一番格上の奥女中になります。それからしばらく護衛の武士が続き、佳姫の駕籠がようやく現れます。佳姫の駕籠は、他の駕籠と違って御日傘を差しかける人までも付いて歩いています。さらに護衛の武士が続き、挟箱、茶道の師匠、茶弁当と続き、御付の奥女中の駕籠が続きます。騎馬の行列、藩医の駕籠などが続き、行列の最後に婚礼を差配した秋田藩家老の中安内蔵(くら)の駕籠があります。多くの人間が付き従った華やかな婚礼の行列であったことがわかります。

 婚礼行列が歩いたルートは、先に記した婚礼調度のルートと一緒と考えると、次のようになります。行列は下谷八軒町の秋田藩上屋敷を出発していますが、これは現在の台東区台東三丁目のエリアになります。それから津藩藤堂家の中屋敷前を通り、神田佐久間町、神田橋御門のあたりを通り、日比谷御門方面へ。そして日比谷堀、外桜田の長州藩毛利家の上屋敷の前に行き当たります。この毛利家の屋敷は、現在の日比谷公園に当たります。さらに新橋を抜けると、新橋外愛宕下通の丸亀藩京極家の上屋敷があります。現在の虎ノ門駅付近になります。葵坂、霊南坂と通り、佐賀藩鍋島家の中屋敷がありますが、これが虎の門二丁目の大蔵省の印刷局があるあたり。麻布市兵衛町、六本木通りを通って麻布龍土の宇和島藩上屋敷に到着しています。東の浅草から3~4㎞くらいでしょうか。大人数の行列が午前中、時間をかけながら麻布まで移動しています。正午に宇和島藩上屋敷に到着。その様子を宗城はのぞき見したようで、「佳姫様御到着ニ付廊下へ御出テ御覧遊ハサル、御行装立派ナリ」と「稿本藍山公記」にあります。