1 開催期間 平成23年4月28日(木)~平成23年6月17日(金)
2 会 場 愛媛県歴史文化博物館 文書展示室
3 内 容 収蔵資料を中心として、近世から近現代にかけて、伊予の災害に関する文書を紹介します。江戸時代における伊予の大地震は、慶長9(1604)年から安政4(1857)年まで、合計9回発生しました。道後温泉の湯がたびたび止まり、中でも安政元(嘉永7)(1854)年に発生した大地震は被害が大きく、宇和海沿岸では津波が発生しました。近代においては、関東大震災が大正12(1923)年に発生し、愛媛県出身者も被災しました。その時に消息や被災状況を伝える電報や葉書が愛媛県の家族へ送られました。現代では、昭和21(1946)年の南海大地震が発生し、県内にも大きな被害が出ました。いつの時代においても、災害後の復興では、人々が団結し、協力することによって立ち直って来ました。伊予における災害から復興、そして現在における防災の様子を紹介します。
4 主な展示資料
(1)火事装束 (江戸時代 当館蔵)
寛政11(1799)7月に大洲城下町で火災が発生し、大半を焼失しました。火災後の復興にあたった大洲藩10代藩主加藤泰済(大洲藩第6代藩主加藤泰衑(やすみち)の5男)が所用した火事装束です。通常、大名の火事装束は、頭巾・羽織・胸当て・石帯・袴で構成されていました。しかしながら、この火事装束の形態は、戦場と同様に動きやすい具足に工夫されています。木地は燃え移りにくい麻を使用し、銅には金属の板が包まれ、胴・篭手・脛当てなどの各部分の縁取りや紐には鹿革が使用されています。当時の消火活動は、建物を打ち壊して防火につとめました。そのため、実用的な変わり具足となっています。
(2)安政南海地震の記録(個人蔵・当館寄託)
安政元(嘉永7)(1854)年11月5日に発生した安政南海大地震について、出海村(現大洲市)庄屋兵頭喜平太が記した記録。郡中町(現伊予市)では、家屋の倒壊によってけが人40人、死者20人が出ました。他にも宮内村・雨井村・楠濱村(現八幡浜市保内町)では、三島神社のふもとまで津波が押し寄せて、田んぼの中まで大船が打ち上げられる被害が出ました。土佐藩宿毛町(現高知県宿毛市)では、津波で町が流されて「無限の」死者が出ました。津波は、「引き際が最もおそろしき事」と特記しています。
(3)関東大震災の被災者が愛媛県の家族に無事を知らせた電報(個人蔵・当館寄託)
「イエ ヤケタ ミナ ブジ(家焼けた 皆 無事)」