2011 年 7 月 のアーカイブ

お菓子な史料3 オモシロイハコ(前編)

7月 30日 土曜日

特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。

現在、企画展示室の入口には、帽子に丸めがねで、着物に下駄を履いたおじさんが描かれた不思議な物体が置かれています。おじさんの上には「ぼっちやん、ぢようちやん、入れて見ませう、でました、でました」の文字があります。

裏側にまわってみても、やはり同じおじさんが描かれています。でもおじさんの上に記された文句は少し違っていて、「入れて見ましよう、おもしろいものがたくさん出ます」とあります。

正面からみて右側面には文字が全く記されていませんが、扉のようなものが見えます。この扉を開けるとどのようになっているのでしょうか。

正面からみて左側面には、水色の部分に赤色の文字で「オモシロイハコ/入れて見ましよう!/でましたでました」、その下の茶色の部分に黄色の文字で「お菓子/玩具/キャラメル」とあります。また、左上にはコインの投入口のようなもの、下の方には取り出し口のようなものが大きく開いています。このあたりで、この不思議な「オモシロイハコ」の正体に気づいた方も多いでしょう。

その正体を明かす前に、表裏に描かれたおじさんから説明すると、このおじさんは「ノンキナトウサン」といいます。今でこそおじさんのことを知らない人も多いかもしれませんが、大正末から昭和初期にかけては知らない人がいないという程の人気キャラクターでした 。ノンキナトウサンの誕生は、大正12(1923)年。麻生豊が「夕刊報知新聞」紙上で連載した新聞漫画で、とぼけたキャラクターが人気を呼びました。そのことを背景に考えると、この「オモシロハコ」はキャラクター広告の走りともいえそうです。それでは次回に「オモシロハコ」の正体を明かします。

お菓子な史料2 唐饅頭の菓子缶

7月 29日 金曜日

特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。

今回の展覧会では、古い菓子の箱や缶がたくさん展示室に並んでいますが、そのいずれもカラフルなもの。エンゼルあり、ランナーあり、キャラクターあり、パッケージのデザインもどれをとってみてもなかなか凝っています。そんななか1点とても地味な菓子缶があります。展示室でずらりと並んだ史料の中で見過ごされそうな地味さ。全体が黒づくめの缶にうっすらと文字が見えます。全体の印象としては、キャンプに行ってご飯を炊くのに使う飯ごうみたいとでも言えばいいのでしょうか。

その飯ごう、じゃなかった、菓子缶に書かれている文字を少し読んでみると、驚くべき事実が。なんと「宇和島名産 元祖 唐饅頭」とあるではありませんか。地味などと言ってすみません。ご当地の菓子缶でした。

まず缶の表側に記された文字を読んでみましょう。上部は横書きで右から左に「賜宮内省御用品之栄/明治四十年十月十七日以降/元祖」とあります。下部は縦書きで「宇和島名産/唐饅頭/陸軍御用」とあります。

缶をぐるっと180度回転させて、裏側も見てみましょう。こちらにも文字があります。読んでみると、上部は表側と同じ横書きで「於内外国各博覧会共進会/金銀賞牌五十餘個/賞状六十餘枚受領」と見えます。下部は縦書きで、「清水閑一郎謹製/本店/宇和島市追手通電五三三番/支店/宇和島市樽屋町電二一九番/出張店/宇和島市樺崎船客待合室内」と読めます。

唐饅頭(とうまんじゅう)は、砂糖・卵などを混ぜてこねた小麦粉の皮で餡を包んで両面を焼いた焼菓子で、宇和島と香川県の観音寺の郷土菓子として知られています。この菓子缶に登場する清水閑一郎商店のものは特に有名で、数々の賞を受けており、追手通に本店、樽屋町に支店を構えるだけでなく、交通の大動脈であった樺崎の船の待合室にも販売所を設けていたことがわかります。清水閑一郎商店を調べてみると、愛媛県生涯学習センターのHPの中に、清水閑一郎氏の孫に当たる清水和氏からの聞き取りが掲載されていることがわかりました。唐饅頭の製造方法など詳しくは、そのHPをご覧ください。

http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=7&P_FLG1=2&P_FLG2=1&P_FLG3=2&P_FLG4=5

聞き取りによると、閑一郎氏が唐饅頭をつくり始めたのが明治初め頃。明治40(1907)年頃に宮内省の御用品になったのでしょうか、そのことが缶には誇らしげに記されています。また、缶には「陸軍御用」の文字が見えますが、陸軍御用の意味について、聞き取りには次のように書いています。

昭和12年から日中戦争が始まり、次第に物資不足になっていましたが、特別に材料をいただいて、出征(しゅっせい)兵士の慰問用に陸軍省に納入していたそうです。当時は、宇和島中のお菓子屋さんが唐饅をつくっていたので、陸軍省のお声掛かりだというので各店でつくってまとめて納入したようです。

つまり、この「陸軍御用」の文字が入った唐饅頭の菓子缶は、出征兵士の慰問用につくられたものだったのです。郷土から送られてくる菓子を、戦地で兵士たちはどのような思いで食べていたのでしょうか。

なお、菓子缶とほぼ同時代と思われる昭和10(1935)年刊行の浅井伯源著『伊豫乃宇和島』(愛媛郷土研究会)にも清水の唐饅頭は登場していて、次のように記されています(旧字は新字、旧仮名は新仮名に改めました)。

宇和島の銀座、追手通清水商店の唐饅は、その高雅、優秀なのを以て夙(つと)に有名で、宮内省、陸軍省等の御用達の名誉を担っている、別に同店で製造する名菓に「柚練り雲の袖」がある、香味絶佳、唐饅と共に宇和島のお土産たる価値が満点である。

慰問用として戦地に送られていた菓子缶が遺ることは、極めてめずらしいことと思います。調べてみると、地味ではありますが、唐饅頭の菓子缶自体が貴重な歴史の証言者であることがわかってきました。

お菓子な史料1 栄養保健菓子ラクダ化粧箱

7月 27日 水曜日

特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。

 

最初に紹介するのは、赤い色とラクダのシルエットが印象的な化粧箱。ついつい「ダクラ」と読んでしまいそうですが、古いパッケージは右から左に文字を読まなければなりません。つまり、「ラクダ」。かわった商品名です。そして、気になるのは「栄養保健菓子」の文字。栄養保健菓子って、どんなお菓子なんでしょうか。

それを調べていると、昭和8(1933)年12月27日付の「台湾日日新報」の記事が見つかりました。この記事にはまず、台湾総督府専売局の技師であった大津嘉納氏が10年の研究の結果、台湾バナナから粉末バナナを精製することに成功、その専売特許を得たとあります。次に、内地における粉末バナナの一手販売権を得た新高製菓が、粉末バナナを混入したラクダというお菓子を発売したとあります。つまり、「栄養保健菓子 ラクダ」の正体は粉末バナナ入りの菓子だったということになります。考えてみると、栄養価の高いバナナは朝食の代わりに食べる人が多いので、粉末バナナ入りの菓子は確かに「栄養保健菓子」の称号にふさわしいように思えます。

そういえばあのグリコも、動物のエネルギー代謝に重要なグリコーゲンが入った「栄養菓子」として大正11(1922)年に発売されています。大正時代から昭和初期にかけて、お菓子は単なる嗜好品というよりも、なにがしか体のためになる食品とされていたようです。少し薬にも似ているようです。

ところで、「ラクダ」という商品名。「ラクダ」は体に必要な栄養を脂肪にかえて、背中のこぶに貯め込んでいるそうですが、「栄養保健菓子 ラクダ」を食べると、体の中に栄養を貯めておくことができる、そんなイメージでしょうか。貧しい食生活だった昭和初期において、子どもに与えるお菓子には現代以上に切実な願いがこめられていたのかもしれません。

特別展「昭和子ども図鑑」開幕しました

7月 18日 月曜日

特別展「昭和子ども図鑑」、無事に開幕しました。

一昨日と昨日は、塩﨑おとぎ紙芝居博物館による紙芝居の実演がありました。これらが実演される昭和20~30年代の紙芝居の数々。

笑える物語、不思議な物語、この後どうなるのか、ハラハラドキドキな物語。楽しい時間を過ごしました。

物語の後には、いろいろなクイズ。次々に元気よく子どもたちの手があがります。大盛り上がりでした。

クイズに当たると、ソースセンベイ。ソースでうさぎちゃん、ピカチュウ、アンパンマンなどが描かれたセンベイが渡されていきます。見た目でも楽しく、食べておいしい。

次回の紙芝居の実演は8月13日(土)~15日(月)のお盆期間に行われます。各日とも13時30分と14時30分の2回公演です。ふるってご参加いただき、昔ながらのスタイルの街頭紙芝居を体験ください。

街頭紙芝居の実演があります

7月 15日 金曜日

ながくてきつかった特別展「昭和子ども図鑑」の準備。いつもはもっと準備状況をブログで紹介するのですが、ここ数日は追い込まれて、準備風景を写真に撮ること、すっかり忘れてました。

でも、最後までねばった甲斐もあって、障子が見えていた建物も、懐かしいお菓子屋さんに変身、完成が見えてきました。あともうひとふんばりです。

明日からの皆様のご来場をペコちゃんも待っています。

それから忘れてはいけないのが、関連イベント。特別展の開幕に合わせて、7月16日(土)、17日(日)には、午後1時30分と午後2時30分の2回、塩﨑おとぎ紙芝居博物館による街頭紙芝居の実演、「復活!街頭紙芝居」があります。場所はエントランスホール、無料でご参加いただけます。この実演には、昭和20~30年代に実際に使われていたホンマモノの紙芝居の原画が使われます。娯楽を前面に押し出した奇想天外なストーリー展開。そしてこの後どうなるのか、気になってしかたがない。そんな街頭紙芝居の世界をぜひお楽しみください。

ミゼットがやってきた

7月 10日 日曜日

展示作業が続くある一日。博物館のトラックヤードにミゼットが到着しました。

ミゼットは車載車で運搬。長い搬入路を通って、ゆっくりと企画展示室に進んでいきます。

そして、お菓子のホウロウ看板がかかる建物の横に無事に設置。さすがの存在感。展示室がにわかに昭和色が強い空間に変わります。

昭和30年代はまだ通りには自家用車が少なく、ミゼットをはじめとするオート三輪を多く見かけました。松山市内の乗用車の数として、昭和36(1961)年に1104台という記録がありますが、世帯数でいうと57世帯に1台の割合になり、自家用車がまだ高嶺の花だったことがうかがえます。昭和30年代は、荷物をのせて走る働く車、オート三輪の時代だったともいえそうです。今回の展示室のようなお店屋さんの隣にオート三輪がとまっているのは、昭和30年代にふさわしい情景だったことになります。

写真は松山市の御宝交差点付近を走るオート三輪。昭和33年、山内一郎氏撮影。

特別展「昭和子ども図鑑」の展示作業

7月 8日 金曜日

史料を企画展示室に運びいれて、さあいよいよ展示作業が始まります。

この高い所に取り付けようとしている大きな看板も史料。今回史料をお借りした大阪の菓子卸売業最大手の株式会社山星屋さんが所蔵されているお菓子史料は3万点を超える膨大なもの。ありとあらゆるお菓子に関する史料が揃っていますが、その中でも大型なものの一つ。慎重に作業を進めます。

前回紹介した障子が入っている不思議な建物が、次々とお菓子のホウロウ看板で飾られていきます。この建物がどうなるのか、だんだん見えてきたように思います。

企画展示室の一番いい場所に不二家のアイドル、ペコちゃんを設置します。少しずつ展示室ができあがっていきます。

特別展「昭和子ども図鑑」の設営作業

7月 7日 木曜日

いよいよ7月に入りました。夏休みまであともう少し。博物館でも6月の終わりから夏の特別展「昭和子ども図鑑」の設営作業に入りました。

障子が入っている不思議な建物がたてられています。

こちらもなぜか吹き抜けの空間ができていってます。これらは何なのでしょうか?
それはおいおい紹介したいと思います。

今回のイメージカラーは水色。なぜ水色と聞かれても困りますが、強いていうと、涼しそうだから。水色の壁紙がどんどん貼られていき、展示室が水色で染まっていきます。さあこの水色のキャンバスにどのような展示が描かれるのでしょうか。これからいよいよ展示作業に入ります。

ハイトリックについて

7月 1日 金曜日

 博物館では、愛媛の歴史や民俗、考古に関するお問い合わせも多くいただきます。 

 そのうち、5月15日のブログでご紹介しました「ハイトリック」について、続けて2件のお問い合わせをいただきました。

 暑くなり、ハエも増える季節柄、興味をおもちの方も多いのかもしれませんので、もう少し詳しくご紹介いたします。

 

まずは、ハイトリックの中央にある木のふたを開けると

このような構造になっています。

指差している部分が、木製の四角いローラーで、ここに砂糖水や油などを塗ります。

この部分がゆっくりと回り、甘いエサにひかれて止まったハエは内部に入り込みます。

ハエがこの穴に入ってしまうと

金網のカゴから出られなくなります。

カゴの入り口は広く奥のほうが小さくなっているのがおわかりでしょうか。

このように、ハエの入ったカゴ部分はとりはずすことができます。

 本体の左側にある穴に部品を差込み、ゼンマイをまわしたようですが、本資料には部品はありません。

 ちなみにこのハイトリック、当時の価格はどれほどだったのでしょうか?

 大正4年の「自働蠅捕器」(形がハイトリックと似ています)の広告によれば、2円80銭とあります。

『値段史年表』によると、当時の物の値段として以下のようなものがあげられています

 ランドセル               2円(大正13年)

 週刊誌「週刊朝日」     12銭(大正13年)

 タバコ「ゴールデンバット」 7銭(大正14年)

 国家公務員の初任給    70円(大正7年)

 巡査の初任給        18円(大正7年)

 単純に今の価格と比較することはできませんが、それでも高価であったことは間違いありません。

 当時はハイテクな機械だった「ハイトリック」は、民俗展示室2で見ることができます。ご来館お待ちしております。

参考資料

朝日新聞社、1988、『値段史年表』

林丈二、1998、『型録・ちょっと昔の生活雑貨』

岐阜新聞社、2002、『ちょっと昔の・・・』