2014 年 9 月 のアーカイブ

「村上海賊の世界」展示資料紹介(1) 木津川口合戦の一場面

9月 28日 日曜日

9月27日から愛媛県美術館を会場に開幕した4館合同特別展「村上海賊の世界」。
当館も主催者の一員として、多数の歴史資料を出展しています。
どんな資料がご覧いただけるのか、少しだけご紹介しましょう。

最初に紹介するのは、「絵本拾遺信長記」に描かれた木津川口合戦の一場面です。
木津川口合戦「絵本拾遺信長記」
木津川口合戦とは、天正4年(1576)7月、海賊衆村上氏らと織田信長勢が大阪湾で激突した海戦です。
和田竜氏の小説『村上海賊の娘』の主題としても取り上げられています。

この年、織田信長は、反信長の立場を鮮明にしていた大坂本願寺に対し、大軍を動員して周囲を包囲しました。
この動きに対し、毛利輝元は、反信長行動に立ち上がることを決意し、本願寺救援のため水軍を向かわせましたが、この水軍の中核をなしたのが海賊衆村上氏で、来島村上氏の当主村上通総(みちふさ)の重臣村上吉継、能島村上氏の当主村上武吉の嫡男・元吉や従弟の景広、因島村上氏の村上吉充(よしみつ)らが船団を組織しました。
彼らは木津川(現淀川)河口付近で織田方の水軍と激突し、これに勝利して大坂本願寺へ救援物資を搬入することに成功しましたが、信長側の史料によれば、この時村上氏らは、織田方の大船に対して「ほうろく火矢などという物をこしらえ」「船を取籠め、投げ入れ、焼き崩し」たとあります(「信長公記」)。

「絵本拾遺信長記」は、織田信長対大坂本願寺等の一連の戦をまとめた絵入りの読物で、江戸時代後期に刊行されました。
同書によれば、木津川口合戦の際、織田方の兵100人余りが乗船している大船に対し、村上景広は小船を寄せて、熊手をかけて飛び乗ろうとしますが、織田方に熊手の柄を切り取られ、景広は自分の船にどうと落ちます。
しかし、景広の船に侵入してきた織田方の将を切り倒した景広らは、再び織田方の大船に乗り移り、船内を飛び回って兵を倒していきます。織田方は狼狽して、村上方の小舟に飛び乗ってそこで討たれる者や、海中に飛び込んで浮き沈みする者が続出し、ついに景広らは織田方の大船一艘を乗っ取った、と記されています。

木津川口合戦において、実際にこのような戦闘があったのかどうかは定かではありませんが、今回展示している場面で、右手に描かれた織田方の大船に対し、左手に描かれた村上氏の船はまことに小さく、熊手をかけて敵船に乗り移ろうとする様子は、いかにも戦国期の村上氏の姿を彷彿とさせます。
あわせて展示している安宅船模型や関船模型、古文書等とともに、海賊衆の活動の一端に思いを馳せていただければ幸いです。
安宅船模型その他
4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意下さい。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「瀬戸内しまのわ2014」4館合同特別展「村上海賊の世界」開催について

9月 24日 水曜日

本展覧会は、総合科学博物館、歴史文化博物館、図書館、美術館の県立4館が合同企画したもので、村上海賊の歴史資料をはじめ、生活の舞台としていた瀬戸内海を描いた美術作品など、ジャンルを超えて村上海賊の世界を紹介します。

瀬戸内海は古くから多くの船が行きかう交通の大動脈で、戦国時代、海賊衆の村上氏は、その要衝である芸予諸島を拠点に、海の武士として存在感を示しました。「瀬戸内しまのわ2014」の開催や和田竜氏の小説『村上海賊の娘』の2014年本屋大賞受賞により、海を舞台に生きた村上海賊に今改めて注目が集まっています。

本展をご観覧いただいた方が、村上海賊について理解を深め、「瀬戸内しまのわ2014」の多彩なイベントに足を運ぶきっかけとなれば幸いです。

会期中、入場記念品として、みきゃんの村上海賊バージョンのオリジナル缶バッジをプレゼントします(記念品がなくなり次第、終了します)。
会場風景
1 展覧会名
4館合同特別展「村上海賊の世界―その風土と文化―」

2 開催日
平成26年9月27日(土)~10月19日(日)
(休館日:9月29日(月)、10月7日(火)、10月14日(火))

3 開催場所
愛媛県美術館 2階 常設展示室3
松山市堀之内
(電話番号)089-932-0010(FAX番号)089-932-0511
※歴史文化博物館ではございません。ご注意ください!

4 観覧料
無料

5 主催
愛媛県教育委員会(総合科学博物館、歴史文化博物館、図書館、美術館)

6 特別協力
今治市村上水軍博物館、イヨテツケーターサービス株式会社、愛媛県生涯学習センター、新潮社

くわしくはこちら(外部リンク)をご覧ください。

みなさまからのメッセージ

9月 15日 月曜日

7月12日から開催した特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界―夏休みは歴博へ急げ!の段―」は、本日17:30、終了いたしました。
会期中はご家族連れや忍たまファンの方々など、大変多くの皆様に楽しんでいただきました。
博物館職員一同、心よりお礼申し上げます。

特別展の会場内で、ご来場いただいた皆様に、忍タマたちへ応援メッセージを書いていただくコーナーを設けたところ、小さなお子さまから大人の方まで、たくさんのメッセージをいただきました。
皆様の熱い思いがひしひしと伝わり、会期中何度も掲示を貼り替えました。
本当にありがとうございました。
応援メッセージ1
応援メッセージ2
当館は、10月11日(土)から開催する秋の特別展「続・上黒岩岩陰遺跡とその時代 -縄文時代早期の世界-」をはじめ、さまざまな展覧会、体験ワークショップや講座など、今後も子どもから大人まで楽しめる各種事業を展開していきます。
引き続き、歴博の活動にご注目ください!

忍タマと伊予の茶堂

9月 13日 土曜日

アニメ「忍たま乱太郎」の原作『落第忍者乱太郎』最新巻の55巻では、外部の者も利用できる休憩の場として「辻堂」が登場します。
『落第忍者乱太郎』55巻P43(抜粋)
『落第忍者乱太郎』55巻P60
原作者の尼子騒兵衛先生によれば、この辻堂の描写は、四国や中国地方にみられる「茶堂」を参考にされたそうです。

茶堂とは、集落の入口の道沿いなどに建つ小さな堂で、一面に石仏を祀り、三面は壁を設けず吹き放しとした開放的なつくりになっています。
街道を行く四国遍路や旅人の憩いの場として、また地元の講や念仏行事の場として機能したもので、四国では特に愛媛県から高知県にまたがる四国西南部に多く現存しています。
尼子先生が直接取材された対象の一つは民家博物館「四国村」(香川県高松市)に展示されている茶堂とのことですが、この茶堂は、もともと江戸時代末期の19世紀中頃、愛媛県北宇和郡川上村(現北宇和郡鬼北町)に建てられた茶堂を移築したものです。
つまり伊予の茶堂が、原作のモデルの一つになっているのです。

四国の茶堂の成立は、史料上16世紀末までさかのぼることができます。天正15年(1585)から慶長年間にかけて長宗我部元親が土佐一国を検地した「長宗我部地検帳」という史料の中に「茶屋堂」「茶庵」などの田畑の地名がみえることから、遅くとも中世末期には茶堂が存在していたとされています。

現存する茶堂は、古いものでも江戸時代末に建てられたもので、中世末期当時の茶堂がどのようなものであったかは史料が残っておらず不明です。
しかし、鎌倉時代に作られた絵巻『一遍聖絵』には、伊予桜井や伊予窪寺の場面などで、壁面を吹き放しにし、低い床を張った小屋がいくつか描かれており、茶堂との共通点が多く、茶堂の建築は中世の辻堂を継承するものとみてよい、との指摘もあります(清水重敦・松本将一郎・恵谷浩子「景観構成要素特論」『奈良文化財研究所学報第89冊 四万十川流域文化的景観研究』第4章、2011年)
尼子先生は、こうした茶堂の建築構造を、『乱太郎』の物語世界に取り込んでいるのです。

ちなみにこの茶堂、当館の常設展示室(民俗展示室3)にも展示されています。
原作に描かれている辻堂とよく似ていませんか?
茶堂
この茶堂、写真撮影は自由にできますが、展示品のため、原作のように床の上でお弁当は食べられませんのでご了承ください。

特別展をごらんになった際は、ぜひこちらもごらんいただき、忍タマたちや当時の歴史に思いを馳せていただければ幸いです。

愛媛忍たま展は9月15日(祝・月)まで。
会期も残すところほんの少しです。お見逃しなきよう!