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「愛媛・災害の歴史に学ぶ」22 時代とともに変わる火災の原因

2017年3月24日

人間の生活には「火」は不可欠ですが、動物の中でも「火」を扱う技術を習得しているのは人間だけです。サルは「火」を意図的につけたり消したりすることはできません。ヒトは「火」への怖れを抱きつつ、それを制御し、使用する技を身につけたことで、サルから進化を遂げたといえるかもしれません。それでも人間は完全には「火」を制御できてはいません。人類史上、変わることなく火災は発生し、「火の恐怖」を感じ、接してきました。

日本の場合、古くから家屋は木造建築が主であったため、火災リスクとは常に隣り合わせでした。平安時代中期の平安京を始めとする都市部では、貴族や庶民の間で穢(けがれ)意識が高まりますが、死の穢、血の穢などの他に「失火穢」というものもありました。日本の文化の中で社会秩序を乱し、破壊させるものとして「失火」は忌み嫌われていたのです。

「火」は怖れられるだけの存在ではありません。人間は「火」から光と熱という大きな恩恵を得てきました。行灯、提灯、ランプなど灯下具や、火鉢、こたつなどの暖房具を使い、明るさと暖かさを得る事ができたのです。しかし、これらの道具が火災の原因になってきたのも事実です。

愛媛県における火災の原因を見てみると、明治時代には、かまどの火の不始末がトップで、たき火や灰類、灯火、タバコの不始末の順となっています。失火については大正時代には火災原因の88%(年300件程度)を占めていましたが、昭和に入ると年100件程度と減少します。これは電灯の普及、かまどの改良、茅葺き屋根の減少などとともに、国民教育での防火思想や、近代的な防火設備の充実なども要因として挙げられます。

戦後の愛媛では、昭和20年代、火災発生件数は年2〜400件だったのですが、昭和30年代には年5〜600件、40年代、50年代には年7〜800件と増加傾向にありました。昭和53年をピークに徐々に減少し、平成に入ると年4〜500件程度となっています。

火災の原因も昭和20年代まではかまど、漏電が多かったのですが、これらは30年代には姿を消し、たばこと火遊びを原因とする火災が増えました。昭和40年以降でもたばこ、たき火、火遊びが常にワーストスリーとなっています。平成に入っても、こんろ、たばこ、たき火が原因の上位となっています。

このように「火」を扱う技術は人類史上、継承されてきたといいつつも、タバコ、火遊びが主原因になる時代も経て、現在では、例えばオール電化住宅など、そもそも身近な生活では「火」を使う必要のない生活スタイルにも浸透しつつあります。大げさな表現になりますが、火を使わない、火を扱うことができないということは、「サルからヒトへの進化」と逆の現象が起こっているといえなくもありません。人間が人間たりうるには「火」を制御する技術を身体化しておく。これは火災予防の観点からも重要なことだと思われます。